NHK未解決事件取材班の力作「消えた21億円を追え ロッキード事件40年目のスクープ」(朝日新聞出版 2018年3月)の結論は明解だ。
すなわち、日本においては、そもそも「国家権力の振る舞い」というものは、疑ってかかれということだと思う。あるいは少なくとも真に受けるなということだろう。
だから、
「・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。・・・・・」
という憲法前文の格調高い宣言が邪魔で仕方ない政治家こそが、まっさきに「改憲」を唱えるのではないだろうか。55年体制といわれる戦後保守政治の動機が、「人類普遍の原理」に立っているとは言えないからだ。実際は冷戦構造を前提とするアメリカの世界戦略に通底していた。
それは、GHQの政策に占領前期は理想主義、後期は現実選択という真逆現象があったからのように見える。案外その矛盾がそのまま戦後ずっと今日まで続いているのではないだろうか。
つまり、国民はそっちのけ。
戦前回帰を志向する保守派には、憲法に「主権在民」を宣言されては困るのがホンネだろう。いっぽう、革新側にとっては「平和」や「人権」が苦労なく憲法に明記されたので、奇妙な保守・教条体質に陥った側面もある。不毛な論争が長く続いてきた原因だろう。
いずれにせよ、いまだに「民主主義」が社会に広く実体化してはいないと思う。
本文にもどろう。興味深いことに、ロッキード事件当時の現場指揮官であった吉永検事が、実は信頼する「NHK」の記者に捜査資料を密かに託していたという。それをもとにひと世代後の記者たちが今回、綿密に取材した結果、これまで隠れていた新事実を発掘しスクープ報道した。更にこれを「朝日新聞出版」が書籍として出版した。従来信じられてきたロッキード事件の姿を根本的に改める真相を公表した「NHK」と「朝日出版」の努力は、私たち視聴者や読者にとってとても有益で高く評価されるべき仕事だと思う。
76年にアメリカの公聴会での証言を前にして、ロッキード社の当時の社長コーチャンは児玉にかかわる領収書の公表を児玉自身に連絡していた。児玉は慌てて証拠隠滅を指示していたことが判明。実際に証拠を焼却したという人物が、何食わぬ顔で昔話よろしくインタビューに登場。これには驚いた。もはや罪にとらわれない心やすさ、そして己の「武勇伝」よろしく証言しているのだ。
さらに発掘された新事実。
そもそも72年夏、田中元首相がニクソン大統領とハワイで会談する一週間前、丸紅の檜山会長から首相に約束された5億円は、民間機トライスター導入への請託だったというのが裁判で認定された従来の定説だった。しかし、今回の取材では、むしろその後の軍用機「P3C」採用への効果を考えた賄賂であって、当時の丸紅担当者の発案だったという当事者自身の証言も飛び出した。
「P3Cになればね、非常に巨額の口銭が(丸紅に)入るわけです。巨額なもんだからP3Cは」(165ページ)
公式発表では、ハワイ会談の主要なテーマは「日米貿易不均衡問題」だったとされているが、当時大統領副補佐官だったジョン・アレンの証言によれば「キッシンジャーは貿易不均衡のことはまったく意に介しておらず」(158ページ)
ハワイでの会談の真の狙いは軍用機P3CやE2Cの購入を持ちかけることだったという。
マスコミが騙されているのだから、当然国民は何も知らされていなかった。これでは、悪名高い帝国陸海軍の「大本営発表」とあまり変わらない。外交の「機微に触れる」などという言い訳は、権力者のご都合で真相を隠すということにほかならない。
「そしてそのわずか一ヶ月後、田中が対潜哨戒機の国産化計画を白紙にもどし、P3C購入に向けたみち筋をつけていた」(159ページ)というのが事実経過だと暴いた。
「日本が我々の軍用機を購入すれば、私たちはアメリカの懐を痛めることなく、日本のカネで我々の軍事力を拡大することができます。加えて、私たちが望んでいた日本の軍事的な役割の強化にもつながるのです」(160ページ)
やはり真相はこんなところにあったのだった。日本の納税者はバカにされたものである。
まさに、国家権力の振る舞いは、疑ってかかれということ。政府発表など真に受けるなということの好例だった。
そう考えると「ロッキード事件」は、まことに尻すぼみの結末に終わったことになる。実は軍用機の採用こそが「大本命」であり、そのための「本線」だった児玉ルート、その21億円ものカネの行方は今も未解決のままだ。本当の「巨悪」は田中逮捕で胸をなでおろしたことだろう。今更裁判の再審はありえないが、真相の追求は諦めるべきではないと思う。
事件は元首相への5億円という「みみっちいい」(金権政治の総額は何百億にも達するという)金額の贈収賄事件話に矮小化された疑いが濃い。当時の駐日大使ホッジソンの発信した本国への極秘文書を見ると、日米政府の当局者たちがこの結末に安堵した様子が浮かぶ。そもそもホッジソン自身がロッキード社でコーチャンのものとにいた人物だった。朝日新聞が平成22年2月にスクープした中曽根幹事長(当時)の「もみ消し」(MOMIKESHI)疑惑も、その文脈の中にあった。
国会で事件解明を国民に約束した弱小派閥出身の三木元首相も、まるでコケにされたような真相だ。もちろん、三木首相が本当に「正義の味方」かどうかは留保したい。
かくして、一条の光が射し込んだものの、この間に巨額の利権に群がった「巨悪」たちはまんまと闇の中に逃げおおせたといわざるを得ない。ひょっとすると、もっぱら罪を背負わされたのは「出る杭」(=新興勢力)田中角栄元首相だったということになるのだろうか。最強の捜査機関である検察といえども手が付けられないような怪物が、国家体制の海底に潜んでいるらしいということが判明した。
最近、田中元首相へのシンパシーが復活しているのもこうした気配を多くの人が直感していたからかもしれない。
「・・・・余談になるが、今回、取材していて興味深かったのは、在りし日の田中角栄を語る誰もが懐かしそうに”よき思い出”として語ったことだった。毀誉褒貶あれども、田中角栄がいかに魅力的な政治家だったかを感じさせる。」(144ページ)
それまでの首相たちが明治以来の門閥やエリート臭い風情(そのぶん庶民からは疎遠)を感じさせるのに対して、田中首相には大衆的な要素が確かにあった。しかし高等教育を受けずに若くして総理大臣にまでのし上がっただけに、門閥支配の根強いこの国では嫉妬され多くの敵もつくったのだろう。出かせぎよろしく上京して来た田舎の無名青年が、あっという間に表の権力の頂点に立つことができたという、いかにも大衆的なサクセス・ストーリーに共感もあった。
もちろん、「金権体質」が免罪されるものでは決してないが、高度経済成長を背景に、すぐれて「戦後的な所産」のひとつだったことは確かだと思う。愛嬌たっぷりの演技力で大衆の声援を得ただけではないだろう。今はやりの「ポピュリズム」政治家ほど薄っぺらでもないのではないだろうか。
戦争で散々な目にあった庶民が親近感を持った面もあるかもしれない。
元首相はあの愚かな戦争で苦労した一兵卒だった。周恩来と握手した姿に、そうしたイメージを重ね拍手喝采した人もあるかもしれない。よくも悪しくも「戦後民主主義」の一典型だと思う。
しかし、地位や権力、あるいは財力や名誉をめぐる男の嫉妬がいかに陰険なものであるかを、私たちは経験的に知っている。政界官界などは尚更に陰険な悪知恵も底深いのだろう。
「・・・・結果は本書を読んでいただいた通りだ。
東京地検特捜部の内幕、特捜部も知らなかった児玉誉士夫の隠蔽工作、丸紅の担当者が明らかにした驚愕の真相、軍用機を日本に売り込みたいアメリカ政府中枢の身勝手な思惑など、ロッキード事件の史実を大幅に塗り替えるスクープが満載となっている。
児玉誉士夫の側近だった日吉修二(証拠隠滅の実行者)、ニクソン政権の中枢にいた元国防長官メルビン・レアードはいずれも取材の直後に亡くなった。二度と聞くことの出来ない貴重な証言を本当にギリギリのタイミングで得ることができた。」
「ロッキード事件の取材から浮かび上がったのは、巨額の防衛・軍事費をめぐってまさに『魑魅魍魎』が跋扈する巨大な闇、そして、都合の悪い事実は徹底して覆い隠そうとする国家の姿だ。」(同221ページ)
同時に、関係者のなかで取材を拒否した人物が今も「安全地帯」に存命であることとも私たちは銘記しておくべきだろう。その人物がその後も政治的な影響力を行使している事実さを見逃してはならないと思う。
なぜなら、これは決して70年代日本に限った話ではなくて、現在進行形のテーマにも続くと言えるからではないだろうか。むしろ、本書が指摘している通り、
「贈収賄事件の金の流れは、複雑・巧妙化し、ロッキード事件当時と比較すれば、捜査環境が厳しくなっているのは事実だろう。それでも、特捜部に対する期待は今なお消えていない。今の特捜部に『8年沈黙』という言葉がどう響いたのか。『15年』がさらに伸びてしまうのか、今後の行方を注視していきたい。」(220ページ)
「事件当時、1970年代の日本の防衛費は1兆円あまり。それが現在では5兆円に膨らんでいる。奇しくも、2017年11月、初めて来日したトランプ大統領は安倍総理大臣に対し、アメリカの兵器を大量に購入するよう直接的な表現で求めた。また、同じ年に起きた森友学園をめぐる問題などについて、ほとんどの国民は事実が隠されていると感じ、政府の説明に納得していないという結果が世論調査で出ている」(同221ページ」)
という指摘はしごく当然だと思われる。「ロッキード事件」を逃げ切った連中とその後継者たちは更にどす黒い権力悪に手を染めている可能性があると述べているのだ。
権力をカサに着た悪党の邪智は底知れない。
「国家権力」を担う者は、厳しく監視されなくてはならない。
だからこそ、政権の提灯持ちみたいな「マスゴミ」は信用できないという教訓にもなり得る。実際、これでジャーナリストかと疑いたくなるような「忖度」コメンテーターがテレビなどで重宝されてはいないだろうか。
若者の「文字離れ」だけが部数や視聴率低下の原因だろうか。
ジャーナリズムの気概が衰弱して、本来の魅力がないことも原因のひとつではないだろうか。
政府の立場をひたすら代弁する「ジャーナリスト」がにぎやかに登場しているけれど、私には不思議で仕方ない。
そんななか、書店の店頭に氾濫するいわゆる「トンデモ本」もまた、言論空間の劣化現象の一つだろう。たんに刺激を消費するためだけの言説が社会の荒廃を招いてはいないか。それなら、格闘技を楽しんでいる方がよほど健全だろう。
確かに玉石混交、フェイクニュースなどの攪乱要素はあるが、インターネットは情報の民主化をもたらした。
視聴者の「真実を知りたい」、「騙されたくない」という欲求は当然だし、憲法を持ち出すまでもなく「主権者」の大切な「権利」だと思う。自分の嗜好性に囚われて視野が狭まる危険性も自戒しながら付き合おうと思う。
一人一人はまことに小さな存在だが、我々もしっかりした判断力を養い、真相を見極める努力が必要だろう。
そのための信頼できるネットワークがあっても良いと思った。