ロッキード事件(13)  追い詰められた検察

提供された米側資料

 著者は本書のあとがきで、この作品はあくまで「私記ロッキード事件」であって、資料価値はないと断っている。

 しかし、「検察の心意気」「 戦った者のいのちのあかし」を後世に伝えるため、実際に日米相互の「司法共助」に携わった著者自身の実記を回想したのであって、話を面白おかしくするために虚実織り込んだ物語に仕立てた、というわけでもないだろう。それは、仔細に読み込めばわかることだが、当事者でなければ描けない迫真性がうかがわれるからだ。
 それだからこそ、この事件の真実を考える上で重要なヒントも浮上してくるのだと思う。それはまた、大きく俯瞰すれば戦後政治史の「真相解明」にも寄与するのではないだろうか。

 アメリカ発のロッキード事件報道をはじめて聞きつけた76年2月、堀田氏が懐いた感想がさりげなく以下の通り記されている。
「『アメリカから、とんでんもな事件が出てきたんですよ。日本政府の大物にロッキード社が賄賂を贈ったらしいんです。それにからんでいるのが丸紅で、児玉誉士夫にも何十億という裏金が提供されているというんです。』
私の頭は、荒波の直撃を受けたようにしびれてしまった。児玉誉士夫ーー戦後最大のフィクサー。闇の世界をおさえ、その力で金を吸い上げ、政治を動かす。そういった噂が、表の世界にまで広がっているのに、検察はそのしっぽをつかめない。日本社会の裏にひそみ、不気味な力をふるうとおそれられていた怪物が突如表に現れ出て、こともあろうにアメリカの巨大な軍需産業の賄賂工作にからんでいるという。『これは、戦後最大の疑獄になる』私は直感した。」
(「壁を破って進め」上6ページ)

つまり、事件の第一報に接した時、 堀田氏自身もまた児玉誉士夫を介した軍需産業がらみの汚職事件ではないかという心証を持ったのだ。それは、検察官として、この事件に出会う前までに蓄積してきた情報や経験を踏まえた上での「プロ」の直感だろうと思う。
しかし、その「筋」は本書では追求されていない。

 当初危ぶまれた米側からの資料提供という「国境の壁」を堀田氏らの奮闘でやっとの思いで乗り越え、もたらされた・・・米国SEC(証券取引委員会)に保管されていたという・・・・総ページ35綴の捜査資料が日本側に到着したのは第一報から 2ヶ月後の4月10日。
しかし、このときすでにはじめに浮かんだ「軍需産業がらみ」の筋はあっさり消えている。 むしろ、丸紅ルートと呼ばれる民間機導入への汚職がらみの情報と読み取れる資料であった。
その不自然さについて、著者は何も記していない。

そしてここに、今日から見てこのロキード事件捜査の大きな「欠落」があったのではないかという疑いは否定できない。
確かに、戦後最大の疑獄ではあるけれども、本当の主役は取り逃がしたのだろうか。事件は折からの「田中金脈」という枠組みに閉じていった。
三木武夫首相も「灰色高官」の名前の公表に異様なほど固執したようだ。政権を維持するための政治的な思惑を優先したからだろう。
本来、主権者の権利として知るべき「真相」を時の政権が配慮したからではない。事件は政争の具に供されただけであり、やはり「政治家」の言動は真に受けてはならない。かならず裏があって、油断出来ない。

厳重な保管体制に置かれた資料を翌4月11日、はじめて目を通したのは
「最高検察庁の検事総長室に集った検察トップ七人衆(検事総長以下の7名)」。彼らは、コーチャン証言にあった「『政府高官名』掲載の資料に目をこらした。」
そして、その最後の綴にはわざわざ「人脈図」が添えられていた。
それはコーチャンの手書きと思われる人脈図で、その中枢には明確に「Tanaka」が記されていた。さらに全日空経営担当者や若狭得治社長(当時)と政治家や丸紅関係者、そして児玉、小佐野らの氏名が入っていて、互いに矢印が施してある。

 ひと目で見て、全体としては全日空への民間航空機トライスター導入を売り込むためのルートを整理したものと読める。明らかに「丸紅ルート」「全日空ルート」と呼ばれる筋の資料だった。しかもその特徴は、
「それにしても田中への線の集中ぶりは異常である。これがすべて嘘の報告に基づく線だとは考えられない。やはりキーパーソンは『Tanaka』である。」
(同132ページ)
また、同じ綴りにはコーチャンの「日記風メモ」があって、それはどうやらこの人脈の動きを記したものらしく、コーチャンに依頼された丸紅のトップが「P・M」に面会した経過が日付とともにが記されていた。「P・M」はプライム・ミニスターすなわち「総理大臣」と解せる。

コーチャン人脈図( 「壁を破って進め」上 )

 この人脈図の範囲では、児玉誉士夫の「役割」はあくまで「丸紅・全日空ルート」のなかのひとつの役割に限定されている。素人の私が見ても児玉の存在の不十分さは免れないではないか。

こうして事件からは「軍用機」汚職の筋は読み取れず、あくまで民間機トライスター導入をめぐって、商社丸紅を通した政府高官・・・・ずばり田中元首相に渡されたという、5億円の受託収賄事件へと収斂してゆく。
 とにもかくにも資料を提供されただけでも大仕事だったことは本書に縷縷その経過を詳述されているとおりだが、今日から考えると、この資料は「Tanaka」をターゲットとした「首相の犯罪」に日本側の捜査陣を誘導する効果を発揮したのかもしれない。そこに何らかの「意図」が介在したのかどうか、今はまだわからない。

当時、この資料をはじめて見た検察首脳や事件捜査の中心にいた吉永主任検事はどう考えたのだろうか。やはり米側資料に「誘導され」ているかもしれないという気配を感じなかったのだろうか。
著者自身も、自らがアメリカでさんざん苦労して実現した「嘱託尋問」でのコーチャン証言について以下のように記している箇所が後半にある。
「コーチャンの話は、筋が通ている。・・・(丸紅・大久保の5億円)要求を受けてからのコーチャンの反応は自然である。この5億円は、P3Cに関するものではなく、田中総理大臣に約束したトライスラー売込みの成功報酬であることは間違いない。」(同書・下)132ページ)
と、わざわざことわっているところをみると、検察側も軍用機がらみの汚職の線をまったく亡失していたわけではない。ただ、そこまでは手が回らなかったのだろう。
やはり、ここは「ロッキード事件」の解明においてまことに重大な「欠落」なのだと思う。

ところで、せっかく苦労して米側から手に入れたこの資料は、田中元首相の犯罪を捜査立件するにあたってすら、おおいに不十分だったようだ。
「時期も、田中の権限も、そしてその当時ニクソンとの貿易黒字解消についての会談を控え、アメリカからの輸入を拡大しなければならなかったという総理の立場も、そして、大胆に金集めをしてきた田中の性格も、すべてがこの推測の方向に沿っている。しかし、所詮、これは推測の域を出ない。このような状況を並べただけでは、『きわめてあやしい』というだけで、有罪はもちろんのこと逮捕状だって出るはずがない。田中の手に金が入ったことはまったく証明されないし、田中に依頼がなされたことについてもこれらの状況証拠だけでは認定してもらえない。」
(同147-8ページ)
「認定してもらいためにはコーチャンの口を開かせ、また、クラッター、伊藤、大久保あるいはそれ以外の誰か、金の現実の授受に直接タッチした者の口をひらかせるなければならない。」
「がっかりしたよ。あれだけさわがれて、たったこれだけの資料だなんて』と七人衆の一人はあとで語った」
『重かった。出てきた名前が、実に重かった』と他の一人が語った。」
(同148ページ)

「なんとも、重い、重い状況に追い込まれ、どうやればよいのかわからない宿題を背負い込んだ検察。めざすべき真実は、はるかに遠く、何重もの厚い壁に守られている。」(同149ページ)
「あとは、司法取り決めに従って、嘱託尋問を求めるという王道を、早く開かなければならない。」
(同158ページ)

 なぜなら、「時効の壁」が同年8月上旬に迫っていた。退路は絶たれている。もはや「児玉ルート」の解明どころか、丸紅⇒田中ルートすら立件への道は程遠いのだ。
つまり、この時点では、検察側も相当追い詰められていたということがよくわかる。だから、時効前までに元首相の逮捕を実現するため、しゃにむに突進せざるを得なかったのだろう。
しかも、そのために米側に依頼しなければならない「嘱託尋問」の実現にもまた、いまだかつてない高い壁が立ちはだかっていた。 手続きだけの問題ではない。ロッキード社側弁護士との激しい法廷闘争だった。堀田氏の主戦場はここだった。

しかし、素人目に見ても、捜査のいわば「不連続線」が 米側資料到着の前後に 存することは否定できないので、やはり歴史的にきちんと検証されねばならないのだろうと思う。
これは、検察だけに責任転嫁して済まされる問題点でもないのだろう。当局の情報だけに左右され、些末な情報を追って「抜いた」「抜かれた」という不能な競争に明け暮れするマスコミの体質も責任は免れない。
これが故吉永氏が、資料をこっそりNHK記者に別途託した「意図」とつながるのだろう。

たまたまアメリカで起きたウォーターゲート事件の余波で、裂けて見えた深淵が垣間見えたチャンスだったのかもしれない。戦後日米関係の深い闇に一条の光が差した。やはり「戦後史」の深層部分は決して解明されてはいないのではないだろうか。

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