「消えた21億円を追え ロッキード事件 40年目のスクープ」(朝日出版)
NHK「未解決事件File.05 ロッキード事件」は、「実録ドラマ前後編」と「スクープドキュメンタリー」の三本立で2016年7月に放送されたということだが、私はまったく知らなかった。
たまたま書店で2018年3月に出版された
「消えた21億円を追え ロッキード事件 40年目のスクープ」(朝日出版)
を見つけたので、さっそく読んでみた。
今や事件当時とは社会も世代も変わり、この大規模で複雑な事件の経過を知らない視聴者のために、なるべく分かりやすいよう工夫したのだろう。そのぶん、テレビ番組のほうはどうしても登場人物のセリフが説明臭くなったり、おおげさなドラマ仕立ての演技がひっかかる。
それはある程度やむを得ないのかもしれないが、本書をあわせて読むことによって、事件の経過がより鮮明に理解できるだろう。とても読み応えのある内容だった。元首相逮捕という「金字塔」にまでこぎつけたという検察サイドですら自ら認めているように、すべてを解明できたわけではなかったという事実が正直に語られていた。
これで私自身のこれまで漠然としてきた問題意識も次第に鮮明になってきた。
未解決事件取材班は当初
「・・・・ロッキード事件は裁判という枠組みの中では決着がついたものの、その全貌が明らかになったわけでは決してない。検察は、あくまで一部の確実な証拠をもとに事件を解き明かしていくに過ぎない。これは裏返せば、証拠がなければ事件にできない。事件になるものしか追及できない、ということでもある。」(同28-29ページ)
と考えたという。
取材班がその視点に自信が持てたのは、事件当時に捜査を指揮しのちに検事総長にまで登り詰めた吉永祐介氏(2013年死去)の残した貴重な捜査資料の存在。
「資料は、金の流れを示すチャート図や、関係者への聞き取りの記録など全部で600点、段ボール箱にして20箱を超えた」(32ページ)
という。
「私たちは、生前の吉永を知る関係者への取材や新たに入手した検察の内部資料から、可能な限り迫ろうとした。そうしたなか重要な手がかりとなったのが、吉永がひそかに保管していた膨大な捜査資料の存在だった。吉永は晩年、信頼を寄せていた元NHK記者の小俣一平に、ロッキード事件に関する捜査資料を『後世に残して欲しい』と託していた」(同31ページ)
からだった。
なぜ吉永氏がNHK記者(小俣一平氏)に資料を託したのか。
それは、「ロッキード事件を風化させてはならない、というのがその最大の理由だったが、小俣によれば、事件の全体像を解明できずに終わったという’”歴史”も後世に伝えることで、同じことを繰り返して欲しくないという願いもこめられていたのではないかという。」(31ページ)
「検察にとって出来ることと出来ないことがある。吉永はその限界について、40年以上ものあいだ模索してきたというのだ。」(29ページ)
「歴史の検証」を予期してか、自分の所属する検察ではなくて信頼するジャーナリストにあえて捜査資料を託していた故・吉永氏の歴史に向き合う誠意は大いに賞賛されてよいのだろうと思う。自らが生きた日本の刑事司法行政の課題や限界をもさらけ出すことになった。公的な立場に責任を持つ人として、そのあり方を真摯に考えたうえでのことだろう。
だからこそ、まったく違う世代による40年後の調査報道が生きた。ここは見逃せない。
同氏が生きているうちにはできなかったのではないだろうか。
つまり、「吉永資料」の存在が明らかになったればこそ、かつてこの事件に関わった元検事たちも重い口を開き始め、貴重な証言を引き出せたと思うからだ。結果、従来のロッキード事件「像」を根本的に見直す新たな視点を見事に掘り当てたと思う。
事件発覚当時、法務省の参事官として主にアメリカ側との交渉役にあたった東京地検の堀田力氏も
「あの事件は日本にはびこる闇のほんの端っこに過ぎない。ただあれ以上は触れられない事件だった。国家権力を監視する東京地検特捜部といえども、触れられないことがある。田中角栄を逮捕できただけでもすごいことで、完璧にやれたと我々は自負している。ただ、本当の闇の部分に触れたら、すべてが水の泡になってしまうギリギリの闘いだった。ロッキード事件はそういう事件だった」(同40-41ページ)という。
とすれば今後、事件もそして裁判自体の評価も見直される可能性が出てくるのだろう。門外漢ながら、これが「調査報道」というものの成果であるし、とても良い仕事だと思う。
吉永氏の深謀遠慮は、こうした「歴史の審判」を畏れないかに見える昨今の政治(屋)や官僚とはモラル水準において段違い。その場はしのげても、公的な立場である以上は、いずれ歴史の厳しい審判を受けるという想像力が乏しいのだろう。
それほどに人間の器が矮小化してしまったのだろうか。テレビニュースを見ての印象だけで言うのだが、そうした”こつぶ”な人間の正体が「人相」にも出ているなと思うことがよくある。一言で言えば、昨今の政界官界では「風格」のある登場人物が少ないような感じがする。
ロッキード事件は確かに大きな謎を残した。
事件当時には、関係者の間では噂や憶測でしかなかった疑問点・・・・特に捜査の本線は「児玉ルート」であって、そこには軍用機P3C導入にかかわる政財界への21億円もの巨額のワイロが流れたという、日米安保体制の根幹にかかわる疑惑が未解決になったこと。吉永氏自身も最後までその拘りを捨ててはいなかったことも判明した。
すなわち、検察も立件可能性のある「丸紅ルート」(民間機トライスター導入をめぐる元首相の受託収賄)と言われる田中角栄元首相の金脈問題の追及にシフトした自覚があった。だから米国側からの資料を見た吉永氏は当初「誘導かもしれない」という印象をぬぐえなかったのだ。それでも、巨額の金銭にドロドロにまみれた金権政治に、東京検察が果敢に挑戦したことは確かだろう。
証拠を安易に捏造するような後輩たちとは違う。
ただ、裁判じたいの正否についてはもっと議論のあるところだとも思う。
嘱託尋問で日本の最高裁が前代未聞の刑事免責(憲法違反だとの批判も根強い)を与え、やっと得たアメリカの裁判所での証言とその極秘資料。アメリカ発である以上、その情報に頼らざるを得ない検察の捜査は、「時効」の壁との板挟みの中、ギリギリの神経戦のような作業だったこともよくわかった。これは堀田氏の著書「壁を破って進め」(1999年講談社刊 本サイト後述)に詳しい。
だが、やっと手に入れたアメリカの資料にはP3C疑惑につながるデータは見事なまでに何もなかったらしい。むしろ、何もないことが却って意図的であるかもしれないと疑いたくなるほどだったようだ。これでは、日本の検察では手も足も出なかったのは当時として仕方なかったかもしれない。それを問うNHK記者に吉永氏が「ないものねだりだ!」と吐き捨てるように応えざるを得なかった場面があるが、それは苦渋の吐露でもあったことをうかがわせる。
米側から日本に渡った資料には田中元首相とP3Cをつなぐ情報はまったくなかった。
ところが、このたび取材班がスクープした米国側の資料によれば、当時の駐日米大使ジェームズ・ホッジソン(就任直前までロッキード社の副社長でもあった!)は「もし、三木首相の求めに応じてすべての資料を提供していたら日米は政治的同盟さえも失っていたかもしれない」と安堵の秘密電報を直後に打電していたという。
これは重大な事実だ。従来のロッキード事件観がひっくり返る。
堀田力氏も吉永資料が明らかとなった今だからこそ
「・・・・国民の目から見れば、検察にもっともっと闇のところを全部照らしてくれって、・・・・思われるのは無理もないと思います。そこは悔しいっていうか、申し訳ないっていうか、情けないっていうか・・・・」(同45-6ページ)
と苦しい胸の内を明かしたのだろう。
いっぽう、本線からはずれて捜査が丸紅ルートにシフトしたことをいち早く知った当時のNHK取材責任者も、それをスクープ報道することにはやはり躊躇があったという。それは検察の背後にある思惑・・・・ずばり日米政府当局の思惑の片棒を結果的に担いでしまうことになるのではないか、という迷いだったという。報道の現場もきわどいせめぎ合いにあった。
大治氏は『検察ができないから、俺らも報道しない』ではマスコミはいらない。存在意義が問われている気がした」(38ページ)と振り返る。
これは、そのまま今のマスコミにも問われる職業倫理だろう。
一般視聴者からみて、今のジャーなリズムにこの点が希薄になっているのではないだろうか。権力者の意向を忖度するようなマスコミ報道など、私たち国民にはいらない。
「1976年、日本列島を襲ったロッキード事件は、敗戦後30年たった日本のデモクラシーの質を根底から問いかける事件であった。同時に、取材現場に身を置く者にとってはジャーナリズムの責任を否応なしに問われる事件でもあった。」(同書224ページ)
事件直後NHKの社会部遊軍の取材責任者になった大治浩之輔氏の巻末に寄せた一文。
「・・・・危機感をさらに強めたのは、これだけ重大な疑惑が日本自身の内部から告発されたのではなく、外国から、それも日本外交の基軸のアメリカから突然に突き付けられたということだった。アメリカにスキャンダルのしっぽをとっくにつかまれていながら、自分で問題を発見し追及できない。日本民主主義の弱点が露呈していた。」
そして、ロッキード事件は少しも終わってはいない。
「今回の取材では、証拠がなければ捜査が進められない検察の”限界”について何度も考えせられた。その一方で事件の全体像に迫る情報があっても、裁判では起訴された罪を立証するために必要な証拠だけが採用され、それ以外は公表されることもなく埋もれたままになってしまう。ロッキード事件の裁判は、多くの謎が解明されないまま幕引きとなった。」(88ページ)
「結局、最大の疑惑『児玉ルート』は、児玉の脱税の起訴だけ。ロッキード社の秘密代理人としての活動もカネの使途も、対潜哨戒機P3Cの疑惑とともに解明されずに終わってしま」った。(同227ページ)
大学生だったころに起きた「ロッキード事件」騒ぎを振り返ってみて、あらためて日本の「戦後民主主義」の足場があの時、すでにかくも脆弱なものであったのかと、つくづく再認識させられるような気がした。
このスクープは、本書で大治浩之輔氏が後輩ジャーナリストの奮闘を讃えて
「・・・・40年後、残された謎を、一世代若いジャーナリストたちが追跡した。日米の関係者を取材し、いまだから手にできる記録を読み込、緊張と困難に満ちた40年前の捜査をドラマで検証。『なぜ児玉ルートの軍用機疑惑が追及されなかったのか』を、日米にまたがる取材ドキュメントで問いかけた。私たちが置き残した課題を引き継いでくれた。・・・・・この日本国の政治の構造を注視せよ。事件が象徴する日米の裸の権力関係を直視せよ。と、力を尽くし問いかけている。」(同231-2ページ)
と記している通りの力作だ思う。
私たちが生い立ったは「戦後民主主義」は、実は未完のままなのだと思った。