ドン・キホーテと三島由紀夫

マドリードのスペイン広場で初めてセルバンテスとドン・キホーテの像を眺めた。
案内人の説明をきいているうちに、ふと三島由紀夫を思い出したのはなぜだったのか。

帰国しても時々思い返した。
やがて、自分のなかでふたりを連想した理由が少し浮かんできた。

かたや中世の「騎士道」を生きようとして、数々のエピソードを生んだ架空の人物。もう一方はうたかたの繁栄に沸く日本に「武士道の復活」を叫んで壮絶な自決を遂げた。
同時代の世間からは、ある種の「奇矯」「時代錯誤」とみなされ、あざ笑われたことも多かったようだ。
実際、三島由紀夫の場合はバルコニー上で決起を叫ぶ声は自衛官からの罵声でしばしばかき消されるほどだった。お金持ちの流行作家が、暇に飽かして暴発でもしたのか、くらいの反発があったのだろうか。
負傷した幹部には迷惑千万な騒ぎでしかなかったことだろう。

しかし、良し悪しはここでは措くとして、両者のメッセージには大真面目に「いのち」がかかっていた。

確かに、自分が生まれ合わせた時代や社会の「通念」「常識」が果たして「万古不易」かどうか、そう簡単に断言できないのではないだろうか。

その主張の是非は別として、こちらもそうとう覚悟しないと太刀打ちできないのだろう、と思い至った。