「ロッキード事件」(17) 事件をめぐる政局

国会の裏面

76年当時の政局について、現場からの生々しいレポートがある。
タイトルもストレートだから目を引く。
平野貞夫著「田中角栄を葬ったのは誰だ」(2016年7月 K&Kプレス)
政界内幕ものだが当事者の報告だけに臨場感があって興味深いので、いわばカッコつきで紹介したい。

前書きによれば
「昭和51年2月にロッキード事件が発覚し、国会が混迷の極みに達し、『ロッキード国会』と呼ばれた時期、私は前尾繁三郎衆議院議長秘書を務めていた。この異常な時期、私は政治家や政党の動きを膨大なメモに残している。このメモを公表し、事件の実相を明らかにする義務があるということだ。」(同書 プロローグ8ページ)
「当時、私は議長秘書として、常に前尾議長の近くにいた。前尾議長は法務大臣を務め、法務行政に通じ、法務官僚からも信頼を得ていた。前尾議長は田中角栄の無実を信じていた、と私は思っている。」(同10ページ)
 著者は後に参議院議員になるが、この事件当時は国会スタッフで、事務方として衆議院議長に使える身。その立場から政局の裏をクールに見つめ克明にメモしていたらしい。たぶん、いずれ公表するときもあろうと計算していたのかもしれない。

 ロッキード事件を発端とする混乱の政局(ロッキード国会)にあって、時の前尾衆議院議長は誠実に国会の正常化に尽力したそうだ。その理由はたんに議会制民主主義を護るという議長としての使命感だけではなくて、実は驚くべき意図が隠されていたのだという。
秘話ものとしては面白い。

「私が真相を知ったのは、前尾議長が退任してから4年7か月後、逝去する二週間前のことだった。昭和56年7月7日、七夕の夜だった。前尾さんはこう述懐した。『ロッキード国会をどうしても正常化したかったわけは、天皇陛下から核拡散防止場条約の国会承認を強く要請されていたからだ』
衝撃的な話に私は驚愕した。前尾さんが天皇陛下の要請とロッキード事件の狭間でいかに苦悩されていたかを知った」(同10ページ)
「陛下の”ご意思”を活かすため、ロッキード事件で混乱した国会を正常化したんだ。それが田中君逮捕の場面つくりに利用されたんだ。三木君や中曽根君の謀略により、違法な捜査の暴走を許したんだ」(同222ページ)

ただ、事実であれば、それこそ憲法問題だ。
<憲法第4条の条文>
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 「田中角栄を葬ったのは誰だ」というタイトルだけを見ると田中逮捕の政界裏事情をメインテーマにしているようでありながら、実は前尾衆議院議長(当時)の「勤皇ぶり」を書き残したということだろうか。前尾繁三郎氏にかなり傾倒していたようだ。

一方、事件当時の政局の実態についは
 「ロッキード国会は、私利私欲の吹き溜まりだった。三木武夫首相、中曽根康弘幹事長、検察の東京地検特捜部、各野党に自民党。国会と事件に携わる面々は、誰もが『真相究明』を口にしながら、誰も本気で真相を明らかにしようとは考えていなかった。私は七十数日間、その茶番に付き合わされてきた。呆れもしたし、腹も立った。事実、政治家たちを怒鳴りつけたのも一度や二度ではない。
それでも私が絶望しなかったのは、憲政の巨人、前尾繁三郎がいたからであった。
 この清廉で議会制民主主義を愛するベテラン政治家は、ロッキード事件によって混乱した国会を、政治生命を懸けて正常化することに執念を見せた。」
(同171ページ)

  すこし持ち上げすぎではないだろうか、と冷や水でもかけたくなるような書きぶりだ。
 秘密話と聞けば誰しも強い興味を持つのが人情だろう。のぞき見を誘う、なかなか巧妙な書き方。
ただし、政界裏話の類だと割り切って読めば、それなりに日本の議会政治の爛れた一端を垣間見る資料にはなるだろう。たぶん、保革を含めた戦後日本政治の悪弊はなにもこの時だけのことではないのだろう。それが事件勃発によって開いた権力の裂け目から、身もふたもなく露見しただけということだろうか。

そして「ロッキード国会」を端的にこう結論する。
「三木武夫首相がロッキード事件を利用し、田中角栄を政界から葬ろうとした執念。中曽根康弘幹事長が自分に降りかかる疑惑から逃れるための陰謀と巧妙な政治工作。こうした要因が絡まり、田中角栄逮捕への道筋が作られたことになる。(同9ページ)」

 当初はロッキード社の秘密代理人・児玉誉士男を経由して21億円もの裏カネが軍用機採用のための工作資金として「日本の政府高官」に渡されたのではないか、という疑惑が本筋だった。それゆえ児玉の国会証人喚問こそがメイン・イベントだと考えられていた。
 そして、児玉と一番関係の深い中曽根康弘(当時自民党幹事長)がいわゆる「政府高官」として本命視されていたのだという。それを裏付けるように中曽根幹事長(当時)が「MOMIKESHI」を依頼する書簡を米当局に送っていた事実もかなり後になって判明した。
すでにロッキード事件じたいが過去のものとなった2010年だ。

中曽根MOMIKESHI 2010年2月12日の朝日新聞朝刊に掲載されたもの。(「法と経済のジャーナル紙」より)

そうすると、これは著者のたんなる妄想とばかり切り捨てられない。
中曽根側からきちんとした反論があったわけでもない。アメリカの公文書だから反証しようもないのだろう。

 ところで、確かに児玉の証人喚問は実に都合のよい「病欠」のため実現しなかった。当時の私にもそういう印象があった。
実は中曽根かその周辺の関係者の意向を受けた児玉の主治医がある種の薬を盛ったため人事不詳に陥ったからだという。事実なら驚くべき謀略が発動されたものだ。もし、児玉の証人喚問が実現していれば、ロッキード事件はまったく違う展開を見せていたはずで、田中角栄の逮捕もなかったかもしれないという。


 ために軍用機をめぐる児玉ルートは闇のまま解明されず、追及の矛先は全日空・丸紅ルートへとシフトしたが、それは三木首相にとっても中曽根幹事長にとっても都合の良い結果だったという。事情を知る検察も安心して久々に存在をアピールする格好の餌(田中角栄元首相)に飛びついた。そして騒ぎは民間機トライスターをめぐる元首相の受託収賄罪という無理筋の強引な立件に突っ込んでいった。三木にとっては憎き政敵追い落としになり、中曽根にとっては際どいところで自らへの疑惑回避となったのだという。

 前尾議長も中曽根幹事長を激しく嫌悪していたという。
「その機を見るに敏な態度は、タフな政治家の姿を垣間見せる一方で、良識派の政治家からは信用を失うことにもなった。前尾繁三郎はその最たる例で、中曽根康弘を毛嫌いしており、彼が部屋に来るたびに不機嫌になるほどだった。」(同86ページ)

 その様子がありありと具体的に目に浮かぶような描き方だ。当事者でなければ書けないリアリティーも感じられる。
印象に残りやすい刺激的な小話をちりばめた内容であるだけに、政界とは縁のない私たち読者はそのまま真に受けかねない。

どこにも正義などはない

 そして結論的には田中元首相逮捕は「権力の犯罪」だとまで断言してはばからないが、その根拠は本人の「メモ」と記憶、それに基づく推理だけなのだから、素人には検証のしようがない。児玉ルートの軍用機汚職が本当にあったとしても、丸紅ー田中ルートがなかったことにはならないから、慎重な読み方が必要なのだろうと思う。

 さらに暴露話は続く。
 「壁を破って進め」の著者・堀田力氏には事実とすれば気の毒だが、当時の布施検事総長は前尾氏を通して田中角栄元首相に議員辞職を勧めていたという。著者は「日米司法取引」※ そのものを憲法違反と断定している。

CIAの工作資金( 76年4月2日、米有力紙ニューヨーク・タイムズ 記事)を受けたのではないかと著者が疑う自民党・民社党の素性の悪さが事実なら戦後保守政治など国民そっちのけの虚妄になりかねない。冷戦期アメリカの世界戦略に沿う政治構造が、そのままカネで日本に植え付けられたというような話になってしまう。表向きいかにも厳しい議論を与野党で交わしていたかのように見えた国会も実は「茶番」だったというのだろうか。

 最大派閥であった田中派など主流派とのし烈な権力闘争から、党を分かつ政界再編を三木元首相や中曽根元幹事長が模索していたこととか、田中追い落としに異様な執念を燃やす「クリーン」三木首相の正体、威信を取り戻すためこの事件を利用した検察の不当捜査と司法の不正とか、実に刺激的な暴露話が続く。
 つまるところ、どこにも「正義」などないという著者の枯れた政界観察は、修羅闘争の現場体験を基にしているだけに頭から否定もできない。
 しかし、事実とすれば、国権の最高機関という位置づけの国会がこんな惨状ではまじめな納税者が救われないではないか。

ただ、前尾氏が執念を燃やしたという、「国会の正常化」がなぜ田中逮捕につながったのか、国会運営の事情に疎い私にはよくわからなかった。

※正式には「ロッキード・エアクラフト社問題に関する法執行についての相互援助のための手続き」昭和51年3月24日調印。
※「日米司法取引」を憲法違反と断定するのなら前尾氏が担ったという天皇の意向も、国事行為を禁じた憲法問題として議論しなければバランスを欠くのではないだろうか。
 床屋談義みたいな「美談」でかたずけられるテーマではないだろうと思った。

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