この映画は懐かしい日本の風景(70年前)を切り取っている。
小津安二郎が「尾道」を舞台に選んだのは、街が空襲を免れたので、戦前の日本の風景をよく残しているからだったらしい。脚本は野田高梧との合作。
作品を見ていると、尾道の平山家の崩壊を通して「戦後」の特徴が緻密に描かれていることに気づく。
市役所に勤めていた周吉(笠智衆)とその妻とみ(東山千栄子)夫婦のもと、平山家は三男二女の家族構成だった。この時代の大家族では、兄弟姉妹の年齢が離れている場合が多い。
自宅は近くの寺院の境内地に隣接していて、そこは海の見える高台になっているようだ。この寺院は実在していて「浄土寺」という。

戦死した次男を除いて子供たちは順調に育ち、東京で皆それぞれの人生を歩んでいる。次男の嫁(原節子)も子供のいない後家さんとして東京で暮らしている。長男は博士号を取得して医院を開いている。長女は美容院を営んでいる。更に、三男はまだ独身で、大阪の国鉄(現JR)で働いているし、末っ子の次女は教員として自宅から小学校へ通っている。
そこで周吉ととみは、元気なうちに上京して、東京に住む子供たちを訪ねることにした。途中の大阪駅では三男が出迎えてくれそうだ。昭和28年当時の頃、尾道から上京するには夜行急行で17時間もの長旅だった。
隣家の婦人が旅立ち準備の周吉夫婦を覗き込んで、羨むように述べている通りだが、東京でそれなりの「成功」をしている子供たちを訪ねれば孫にも会えて、きっと歓待されるだろうという期待もある。
しかし、実際に上京してみると、現実は大きく違っていた。
長男は「場末のこうまい町医者」だし、長女の営む美容院も下町にある零細な店で内風呂も無い。いずれも仕事や生活に追われ、せっかく上京してきた両親を充分もてなす余裕さえなさそうだ。むしろ持て余し気味ですらある。
そのぶん、実の子供たちよりも、亡くなった次男の嫁のほうが、仕事を休んで甲斐甲斐しく親孝行してくれる。
二人にとっては想定外の展開だった。

ここには、戦前の尾道「平山家」と戦後に東京で展開される新しい平山一族との生活感の違いがくっきりとみてとれる。
社会的に見れば、戦後の「都市化」や「核家族化」、それと「東京一極集中」の実際もよく伺われる。その過程で尾道「平山家」がゆっくり解体してゆく、ひとつの「戦後風景」が伺われる。
紀子の案内で東京見物の鳩バスに乗せてもらう二人。
朝鮮特需をきっかけに経済成長に入った東京は活気に満ち、「戦後復興」の道を駆け上がろうとしている。
しかし、訪れた紀子の慎ましいアパートには、8年前に戦死した次男昌二の写真たてがあった。この嫁だけが、「戦後」にひとり取り残され、まるで「時間」が止まっているように見える。
もう8年も経ったのに、後家生活を送る嫁の行く末が気がかりなのだが、皮肉なことにその嫁のほうが身軽であることも幸いして義理の親をいちばん大切にもてなしてくれるのだ。
「厄介払い」とまでは言わないが、長女しげ(杉村春子)の発案で訪れた熱海温泉で遭遇した喧騒にも、「戦後」が窺われる。会社の慰安旅行のサラリーマン客の騒音で老夫婦は寝付けない。
そして寝不足の疲労からか、翌朝の散歩でとみは目眩に見舞われる。
非情な「死」の予感。このあたりのストーリーの流れは実によくできている。
こうして帰郷直後、とみの急死とともに、事態は尾道平山家の本格的な崩壊過程に入るのだ。それはまた、ひとつの「戦前」の消滅を象徴しているかのようだ。その狭間に「戦争未亡人」の紀子だけは、まるで置き捨てられたように取り残される。紀子は戦前と戦後をつなぐポイントに立ち止まっているのだ。
だから老いを自覚する周吉やとみには、とても心残りなのだ。

とみの葬儀の後始末のため数日尾道に残留した紀子に、周吉は再婚を勧める。このとき、意外にも紀子はそれまで胸に秘めていた深刻な自己矛盾を告白した。
ここからは、実子たちよりも深い部分で「運命」を共にした、義理の親子の「魂の会話」が展開される。それは、互いの「人生の寂寥感」を共有する場面。
とみの亡くなった早朝、たまたま海を二人して遠望した美しいシーンが、これを象徴していた。
紀子は、自分が戦死した夫と義理の親に貞節と孝行尽くしているのは、有体に言って「見せかけ」に過ぎないのだと告白する。
それは嫁としてのつとめを「演じている」のであって、最近では、ふと気づくと夫をすら忘れている自分がある。一人寝の夜、このままでは済まされないという苦しい予感に苛まれるのだと正直に胸の内を明かした。
ここには、紀子がその育った時代のモラルに縛られて取り残され、ために逡巡し、煩悶する誠実な心情が吐露されている。運命とは過酷なものだ。なぜなら、紀子が貞節を尽くす古い「家」はまさに崩壊過程に入りつつあるからだ。
紀子はいわゆる「戦中派」世代なのだろう。
「戦争さえなければねぇ」と大正末世代の私の母もよく言っていた。この世代の共通感情なのだろうか。
周吉は、かねて心づもりしていたのだろう、とみの忘れ形見である古時計を譲ろうとする。新しい門出を促すために過去を「時計」に閉じ込める、周吉なりの深謀があるのだろうか。
周吉・・・「こりゃァ お母さんの時計じゃけえどなァ 今じゃこんなものもはやるまいが -
お母さんがちょどあんたぐらいの時から持っとったんじゃ」
懐中時計を差し出しながら、
「形見にもろうてやって おくれ」
と言う周吉。
紀子・・・「でもそんな……」
周吉・・・「ええんじゃよ もろうといておくれ」
紀子の前に置く。
「いやァ あんたに使う てもらやァ お母さんもきっとよろこぶ なあ- もろうてやっておくれ」
周吉のやさしい真心に泣き出す紀子。
紀子・・・「すいません……」
周吉・・・「いやァ…… お父さん ほんとにあんたが気兼ねのう さきざき幸せになって くれることを祈っとるよ- ほんとじゃよ」
紀子、顔を両手で覆い泣く。
周吉・・・「妙なもんじゃ…… 自分が育てた子供より- いわば他人のあんたのほうが よっぽどわしらにようしてくれた いやァ ありがと」
朴訥に頭を下げる周吉。
泣き続ける紀子。

この映画の頂点だと思う。深い悲しみが胸に迫る。
紀子はとみや周吉を心配させまいと、健気に振舞ってきてくれたのだ。
子供のいない「戦争未亡人」として、「良き妻」「良き嫁」を精一杯演じながらも、そこに無理があり、「自己欺瞞」をさえ感じていたがゆえに、実は深い葛藤にひとり苦しんできたのだった。それを八年も取り繕ってきた。
それが「ずるい」という意味だろう。
葬儀の後も、形見分けだけしてさっさと東京へ帰っていった姉や兄を「自分勝手」となじる末娘(香川京子)をなだめながら紀子が語る厭世観にはぞっとさせられる。
京子、
「いやァねえ、世の中って……。」
それに対し紀子は、
「そう。いやなことばっかり……」
と微笑み返す
しかし義父周吉には、紀子の心が痛いほど判っていた。
周吉も言うように、実の親子よりも「他人」の紀子の方が、平山家の本質的な「終末」に立ち会ってくれた。
連れ合いに先立たれた周吉と紀子は、はからずも人間の「孤愁」を共有したのだ。
私流に言えば
「不思議なことだが、実の子よりも、人生の根本的な悲哀を、いわば他人のお前のほうが共有してくれた」
と、読み直すことができる。
それが嫁いだ紀子の「運命」だったのだろう。家族の悲劇がここにあった。
映画のメイン・テーマを笠智衆と原節子が見事に演じた。
名作たる由縁だと思う。
帰りの車中、紀子はとみの形見の懐中時計を取り出して物思いに耽る。
そこで時計を握り締め、前方をきっと見る紀子を、私はこう考える。
すなわち、無意識のうちに、彼女はこの懐中時計に「平山紀子」を留めたいのだろう。
それが過去への「決別」であると同時に、紀子の新しい「出発点」であるべきだと私は思う。
人は、過去に縛られているだけでは、本当には生きてゆけないだろう。
紀子自身の新しい「東京物語」が始まる。
戦争を挟んでこの国の人々は、歴史上かつてない大変動を経験したのだろう。
そのために、それぞれの立場で未曾有の厄災に遭遇し、戸惑い、深刻な葛藤に直面したこともあったに違いない。まじめに生きた人ほど苦しんだに違いない。
映画「東京物語」は、そうした歴史的視点も濃密に提供してくれたように思う。

