2004年に公開された映画。
戦後ドイツ人自身が初めて正面からヒトラーに向き合った映画だと評価されている。ここに来るまで60年もの年月がかかったのは、ヨーロッパ中を大厄災に巻き込んだ張本人であるだけに、その史実に冷静に向き合うには大きな心理的負担があったからだという。同時代の人々それぞれの事情、感情が纏わり付いていて、これを客観化するための心の整理に、それだけの時間が必要だったからだろう。
それでもできた映画に対しては賛否両論が分かれているようだが、かつての同盟国日本の子孫にとっても決して他人事ではなくて、これもひとつの「戦後処理」の試みとして、一度は観ておくべきだろうと思った。
それにしても、ナチス・ドイツのベルリン陥落の悲惨な史実を、初めてリアリティーのある映像で観た思いだった。戦後の日本人として、太平洋の島々での絶望的な玉砕、地獄のような沖縄の地上戦、そして広島、長崎の大殺戮の歴史を繰り返し見聞きしてきたが、ドイツでも相応の惨劇があったのだと、脳裏に刻み付けられる思いだった。「総統地下壕」の終焉までの、首都ベルリンでの凄惨な市街戦がありのままの迫真性で再現された。
この映画は主に総統秘書だった女性の手記「私はヒトラーの秘書だった」と、歴史家の考証をもとに作られたようだ。だから事実関係はしっかりした根拠があると思われるが、細かい点ではいくつかの食い違いや創作も指摘されている。しかし、21世紀初頭のドイツの映画製作者たちの高い史観レベルが反映されていることは間違いないだろう。
そのオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督自身によると、
「ヒトラーの晩年、常に彼の傍らにいた秘書ユンゲと出会ったことはショックだった。53000冊にも及ぶ関連書籍はどれも 彼(注:ヒトラー)のある側面しか語っていないことが分かったからだ。 本当の歴史を理解するために、そして隠蔽された真実を多くの人に伝えるために私はこの映画を撮ったのだ。」
という。かなりの自信作なのだろう。
神話的な国体観念に閉じて後先も考えず自爆的な戦争に突入した「大日本帝国」と較べて、だいぶ趣きの異なったナチスの近代的な独裁体制だと思った。ただ、その動機にある神がかりの「民族主義」「国粋主義」などは共通性があって、それこそが本質的な元凶なのだろうと痛感した。
もちろん、ことここにいたる過程にドイツの置かれた事情として、第一次大戦での敗北と屈辱的懲罰的な多額の賠償金、更に追い討ちをかけるような世界恐慌がドイツ人を出口のない袋小路へと追いつめた側面は否めないのだろう。
「ア-リア人種の卓越性」などというような不合理的なフィクションに閉じて、ある種の妄想に耽る心情は、そのまま「大和民族の優越性」=八紘一宇の狂信に類似している。「ナショナリズム」という毒性の強い情念は、しばしば人を前後不覚の異常行動に駆り立てるのだろう。しかしそれは何も20世紀のナチス・ドイツや帝国日本だけに特化した「変調」ではない。21世紀の今も、この世界で、あちこちの闇に潜んで登場のチャンスを窺っている「悪性ウイルス」みたいなものではないだろうか。現に懲りたはずのドイツでも日本でも、こそこそ蠢動しているようにすら見える。
踵を鳴らし右手を斜め上に挙げて、忠誠を誓うナチス式敬礼がふんだんに登場するのだが、映画だと思って見ていても、やはりぞっとする。高く差し出した腕の先に、滑稽なまでの虚仮威しでアドルフ・ヒトラーが右腕を上げて答礼するシーン。
端的に言って、病んだ精神の痙攣状態があたりを制する。
首都ベルリンに迫りくる圧倒的なソ連軍に追いつめられ、地下壕に潜むヒトラーは、それでもなお妄想的な指令を怒号する。もはやまともな戦力すら存在しないのに、現実離れした動員命令を連発するのだ。
皆が破局の近いことを感じているが、誰も正面切って反論できない。独裁制の断末魔は凄惨だ。陰ではあっさり「忠誠」が放棄され、先を見越した保身や裏切り、逃亡が横行する。何も真相を知らされていない現場の兵士や一般市民は哀れだ。
連日の空襲で焦土と化した巷に着の身着のままで焼け出された、敗戦直前の日本人(私の祖父母もそうだった)と同じ状況だったのだと思い知らされた。
迫り来る破滅のなかで、パーキンソン病といわれる左手の痙攣マヒをかばいながら、背を丸めてとぼとぼ歩く蒼白のヒトラー。この映画のドイツ語原題はまさに「Der Untergang(斜陽もしくは没落の意)」。
断末魔のヒトラーがやや単純化されたきらいはあるのかもしれない。役者が演じる激高振りが動画サイトでパロディー化されて話題になったが、一面を衝いているのだろう。
それにしても、「優秀なアーリア民族」がなぜこんな狂人に魅了されてしまったのか、専門的な分析など当方にはできないが、映画を見ていてふとひとつだけ頭に浮かんだ理由。
・・・・・それは、前提として一種の歪んだニヒリズムに汚染されていたからなのだろうか。
得体のしれない狂気に身も心もゆだねて吠えることに、ある種の「快感」や「陶酔」があるのだろうか。人間はある面弱いから、つらい現実を耐えるよりはそれを一気にかなぐり捨てて、思い切り幻想に飛び込んだほうが楽なのだろうか。
はたから見てぞっとするほどの嫌悪感を催すが、映画ではナチスの心情のいち典型が宣伝相のゲッペルスに描かれているように思えた。
この夫妻は第3帝国崩壊を前に、6人の罪のない自らの子供たちを全員毒殺して自殺する。最後までヒトラーに絶対忠誠なのだから救いようがない。事実であるだけに凄惨な最後だ。
あえて言えば「カルト」の集団自決に近いのではないだろうか。そう、ナチズムとか、ダイニッポンテイコクなどというシロモノは、ほとんど「カルト国家体制」だったように思えた。まともな人間は窒息する。オウム真理教のサリンの捜索のときに使われたカナリアのように。
ヒトラーには、絶望感や虚無感を基調とする人々の暗い情念をかき集める魔力がある。追い詰められ「変調」をきたした大衆の精神病状を更に増幅させる演技に長けた魔物のようだ。また、ナチ党もそのショー・アップが巧かったのだろう。ヒトラーが子どもの頃に通った修道院の十字からヒントを得たという「鉤十字」などは、どうみても暗くて禍々しい情念に通じる。
こうして暗く歪んだ興奮の坩堝に人々を囲い込み、組織暴力化する手腕は同時代の日本帝国などよりはるかに洗練されていただろう。

人智は使いようでこれほどの悪知恵を発揮するのだろう。
トラウデル・ユンゲ嬢はわずか22歳の若さにして、その張本人の秘書になってしまった。
私の両親もまた、日本の最も不幸な時代に生まれ合わせた。
「私たちの青春は、戦争の犠牲だっだんだもの」とよく母は言っていた。父は学徒兵として、いやいや戦争に駆り出され、中国で抑留生活も経験した。やっとの思いで復員した故郷は完全な廃墟だったという。空襲で実家もなくなり、先祖との繋がりはほとんど焼失してしまった。
だが、トラウデル・ユンゲ嬢は戦後、目覚めた自責の念から逃げないで誠実に生きた人なのだろうと思う。81歳まで生きて貴重な証言を残した。
