高橋和巳「邪宗門」(8) 悪魔の思念

終戦直後、旧軍の遺棄した貧弱な武器を秘かに集め、絶望的な武装蜂起を試みた「ひのもと救霊会」は、圧倒的な占領軍の武力の前に苦も無く鎮圧され瓦解した。これを率いた教祖(実は『詐称』)の千葉潔以下3名の首謀者は大阪・西成の「貧民窟」に逃げ込み、そこで餓死を選んだ。

その結末の「涙」には、何かしら「偽善性」や「ナルシズム」を感じてしまうと記したのは、少し酷かもしれない。

著者自身が自嘲するように、所詮は「妄想」が生んだフィクションなのだから、そんなにむきにならなくてもと言われれば、それまでかもしれえない。
しかし今だに全共闘世代の人びとの郷愁を誘う作品だし、もういちど自分たちの生まれ合わせた戦後を考えてみたいと思うポスト全共闘世代(陽だまり世代などと揶揄されることもある)のひとりとして、率直な感想を載せてみたい。

「餓死」という結末にしたのは、川西政明氏が指摘するように、もともと自殺を容認する発想が「ひのもと救霊会」の教義に、複線として仕込まれていたからだという。それは、ジャイナ教への著者の思い入れが、そうした最後を選ばせたのだろうか。

しかし、多くの無辜の信者を破壊活動に巻き添えにして、それが残酷に鎮圧されたあとで、首謀者が選ぶ始末の仕方としては、拍子抜けするような逃げだと私などは考える。そこに違和感があった。

ほとんど見込みのない<革命>に、教団信者の命を巻き込んだことになるのだから。それは、いくら教主であっても許されないと私は思う。しかも千葉は教主を「詐称」していた。

高橋和巳の「妄想」した主人公・千葉潔は、そもそも平凡な生い立ちではない設定だが、それにしてもついて行けない。

高橋和巳
高橋和巳

三校時代以来の千葉潔の最大の理解者で盟友でもある吉田秀夫が、千葉の破壊的な意図を察して以下の通りに指摘している。

「・・・・もう少し正直になるべきだな。他の企画院の連中はともかく、俺にはわかるよ。君が救霊会を去りかねている理由は、もっと別なことだろう。・・・・・」
「企画院」とは千葉を中心に旧姓第三高等学校の出身者など教団シンパの若手が編成した、教団の参謀的組織だ。若い継主阿貴をささえ、戦後の組織再建を主導した。
このあたりから、次第に学生運動家の好む「前衛政党」に似てゆく。
吉田もその有力なメンバーのひとりで、千葉に一番近い存在だった。

千葉本人には、隠された暗い意図があった。

「・・・・君が(教団を)立ち去りかねている理由と、君が高等学校時代から温めていた理念を救霊会に委任しようとする衝動とが、いちばん不幸な形で結びつくのはよくない。・・・・・」
明治以来、戦争で夥しい血が流された日本では、もうこれ以上無辜の民の流血を招く「権力政治」よりも、民の平和が根付くために寄与できる「民衆宗教」であることこそが本来の目的ではないか、という常識論を述べたのだ。
それは私などが思いつく、平均的で妥当な考え方だ。
また、多くの素朴で平凡な信者の受け入れやすい考え方だったはずだ。

二人の対話を通して、次第に「平和も幸福も欲しくはない」千葉潔の底知れない暗い情念が開示されてゆく。そこには著者のニヒリズムが投影されているのだろう。

思えば、飢餓の中で14歳の我が子・潔に腿肉を与えた母は、息子に自分の遺骨を教団本部へ埋葬することを願った熱心な「ひのもと救霊会」信者であった。
しかし最愛の息子、千葉潔はそもそも神仏を信じてはいない。
孤立無援のなかで苦学勉励して旧制高校に学んだインテリでもある。
長じて出征した南方戦場では、上官の命令とはいえ、飢餓ゆえに食い扶持を減らすために捕虜を虐殺した。幾重もの「原罪」を背負う人間。

著者自身の思念のなかで、千葉潔はそうあらねばならないのだろう。
千葉はこう答える。

「・・・・いま日本人は、確かに戦いに敗れたばかりだから、もう戦争はこりごりだと思っており、もう二度と戦争など、この日本にも世界にもありえないと思っている。その祈願の痛切さを認めぬわけではない。だがその祈願は<神風>にたいする祈願と同様に幻影にすぎない。いま九十九歩のところまできている。だがあとのもう一歩を怠れば、すべてはもとの木阿弥となる。また十年もたたぬうちに同じことを繰り返しはじめるだろう。切開し一時は膿をだしても、根が剔抉はされていないからだ。そしてそれを剔抉できるのは、ここ一、二年の間しかない。・・・・」

千葉から見れば、平和を願う切なる心情も神風の到来を熱望する狂熱も、ともに「幻影」に過ぎないという。つまり「戦前」も「戦後」も、民衆の心情次元において何も本質的に違わないのだ、という醒めた虚無感。
戦後になって日本は変わったのだと思い込んでる我々などは、さしあたって「幻影」のただなかに漂うだけ、その実は「新たな戦前」にいることすら気づいていないということなのだろうか。

この千葉に対して吉田は
「その通りだと思うよ。しかし、しかしねぇ、君の考えたことの実現、それも非常に可能性の乏しいことの実現のために、救霊会の人々を矢面に立たせるというのは、あまりにも無残だという気がする。欲望と私益に釣られて傷つくのなら、それはその人々の自己責任だ。だが救霊会の人々は、欲望で動くのではない。・・・・救霊会が過去にも現在にも特色ある一つのまとまりを持ちえたのは、それが自然発生的な地域共同体的に立脚していたからだと思う。・・・・・だが同時にそれは救霊会が踏みこえてはならぬ限界も暗示していると思うのだ。・・・・救霊会はあくまで地域集団であることにとどまり、資本家が牛耳ろうと共産主義者が主人になろうと、ひたすらに集中しようとするだろう国家権力に対する分散的な抵抗基体として、政治的には消極的なしかし生活と精神の自由は断乎として売りわたすことのない団体として活躍するように助力するべきだ・・・・それを君は・・・・何ともいえぬ痛みのようなものを感じてね。・・・・・」
と、核心を衝いた。

私が違和感をおぼえた理由も、まさにこの吉田秀夫の指摘通りだ。

千葉は吉田の指摘を肯定する
「・・・・君のいうことのほうが本当だろうな・・・・・実際、俺は悪魔のようなことを考えている。それは自分でも知っている。」

つまり千葉潔(=著者の思念)は、百も承知の確信犯なのだ。
そして「ひものと救霊会」を地獄に道連れにする「悪魔の意図」を以下のように述べている

「・・・・・しかしいかに画策しても、時代の趨勢というものと合わねば、どうなるというものでもない。そしてそれなら、それでいい。早すぎる思念は常に早すぎる埋葬の憂き目に会った。だが、ひょいとしたことで、ひょいとしたきっかけから、そんな馬鹿なことがと思われた事が実現することもある。端緒は実に馬鹿げた偶然、だがその偶然を生かすか生かさないかによって事が決まる。ロシア革命の際、レーニンすらソビエト権力が数日持つか否かあやぶんでいた。数日間つづいたとき、彼は雪の上をころげまわってあり得ないことが起こったとよろこんだという。歴史の流れの中で人間の決断が意味をもつ瞬間、しかもそれが偶然のように見える瞬間というものが確かにあることも事実なのだ・・・」

つまり<革命>とは、身勝手な革命家の『博打』なのだろうか。これほどに過酷な原罪を負った人間の、底知れぬ根源的なニヒリズムが打つ、恐ろしい「政治的博打」であるというのだろうか。千葉は明らかに前衛革命をイメージしている。

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ゼネスト中止の発表

ところで、千葉が言う「ここ一、二年」という指摘は1947年の「2.1ゼネスト」を<革命の最大のチャンス>ととらえる状況認識に通じるのかもしれない。「ひのもと」の蜂起も46年に設定されている。
その展望はしかし、占領軍の存在を迂闊にも失念していたようだ。ストはマッカーサーの指令であっさりと未然に中止させられた。こうして戦後日本は<革命>から遠ざかった。それ以来、左翼が夢見た<革命>は成就しないままだ。
左翼がいなくなった後は、軽薄な「右翼気分」が「戦後レジームの見直し」などと、とぼけたことを言う。
千葉のせせら笑いが聞こえるようだ。

日本はかつて「ひのもと救霊会」を治安維持法や不敬罪で徹底的に弾圧し、教団を非合法化した国家体制は滅びたものの、それよりもはるかに強大な米軍の軍事占領下にあった。更にその上部構造には「東西冷戦」が控えていた。そして現に教団を潰したのは、非力な日本の警察力ではなくて、強大な米軍の戦車だった。
ここには「戦後日本」の始まりが、米軍による「軍事占領」、事実上の軍政下だったという実態が露呈している。
マッカーサーの「鶴の一声」でゼネストは瓦解したのだ。しかも「鬼畜米英」は一夜にして親米に変身した。まるで季節に合わせて衣替えするように。

いずれにせよ、神仏を信じない主人公が新興宗教「ひのもと救霊会」の教主を詐称するだけではなく、その教団を一縷の望みもない武装蜂起に導き、滅びるというストーリーは、あくまで著者の妄想である限りにおいて許されるに過ぎないのだろう。

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