高橋和巳「邪宗門」(7)  滅びの教団

河出書房 「評伝・高橋和巳」の著者でもある川西政明氏の解題などを参考に、門外漢の読み誤りの恐れも顧みず、私なりに小説「邪宗門」の構造、「ひのもと救霊会」の信仰の特徴をまとめてみる。

高橋和巳自身は、「我が宗教観」のなかでかつて末期癌に冒された父を目の当りにして、信心深い母が神仏の加護にすがることを熱心に薦めたことを回顧している。しかし父は「苦しいときの神頼みなどしたくない、そんなことをするのは男の恥だ」、と頑固に拒んで死んでいった。高橋は、この愛すべき両親の信仰をめぐる諍いを通して、以下のように語っている。

「・・・・その対立は父や母の個人的な性格というよりは、男と女の根本的な相違のあらわれだったかもしれぬ、とふと思うことがある。」
「・・・・宗教を支えてきたのはいつの時代にも女性だった、というのが私の素朴な、しかし実感的な考えである。・・・・・真にその教えに帰依し、何の野心もなく、わが愛する者に幸あれと祈るのは常に女性であろう。献身的な愛等、宗教的感情はつきつめてゆくと母の子供に対する関係のあり方に帰結する。・・・・・有能だから愛するのでもなく、報酬を欲して世話をするのでもない存在そのものを尊重する母の愛がおそらく、すべての宗教的感情の原型なのではなかろうか。そして、それが同時に一切の煩悩、苦悩の根源でもあるのだろう。業の深さは要するに愛と惑いの深さであり、そしてそれがまた信仰心の深さにもなるのに相違ない。
そして男というものは、半ばそういう愛に包まれて育ちながらも、その温かい懐からはみ出すことによって自己を築くものなのである。だから、女性の薦める神仏祈願を拒否するのも、肉のつながりに縛られている狭い愛をより高次的なものに高めて指導するというかたちになるのも、男の役割としてはそう違ってはいないのだとも言える。」
と述べている。
なるほど味わい深い述懐だと思う。日本人の情緒的な宗教観に当て嵌まるのかもしれない。

高橋和巳

高橋は昭和23年に、埴谷雄高の「死霊」自序にあった、釈尊と耆那大雄の対話を予告で読んでいらい、その釈尊と六師外道の思想的対立に深い関心を払ってきたらしい。とくに耆那大雄と、そこから分かれて一派をなしたものの、古巣の大雄と激しく対立し、法論に負けて狂乱のうちに亡んだという、マッカリ・ゴーサラのイメージにも心ひかれたという。
当時17歳だから、古代インドの思想や宗教に強い関心を示す、感受性の強い青年だったのだろう。

『邪宗門』で新興宗教を素材にした理由について、川西氏はいくつかの理由を挙げている。

一、高橋自身はいずれの教派、宗教も信じていなかったが、にもかかわらず宗教を受け入れる素地を持っていた
一、民衆の生活に根ざしたものこそが、宗教的な態度だと思えたこと
一、釈尊と耆那大雄の対座を、現実の場にかえして思考実験してみたかったこと
一、宗教のなかに運命共同体の理念をこめてみたかったこと
一、個人の内部にあるとともに集団のなかにも生まれてくる聖なるものと穢なるものの葛藤を、個人的な幻想の領域をこえた集団的な幻想としてえがきたかったこと

などを挙げている。
そしてこれら人間の自由連合体が、最後には必ず破滅することを、あらかじめ予定して小説にとりかかっているという。初めから「破滅」が決まっているのだから、ニヒリズムが前提なのだろう。

あたかも時計仕掛けの時限爆弾のように、「破滅」が「埋め込まれ」ているのだ。作品の基調は「滅びの美学」とでもいうべきだろうか。

「ひのもと救霊会」の根本要諦である三行、四聖師、五問、六終局、七戒、八誓願というような、数字の語呂合わのような教義要素・・・・いかにも大衆運動として掛け声にしやすい形態なのだと思う・・・・のうち、とくに重要なのは、五問、六終局、八誓願だという。

「・・・・五問とは、貧苦と饑餓で半狂乱になった開祖まさが発する執拗な問いかけで」
・・・6人の子を生んで、4人に先立たれ、残った子にも背かれた母親の命になんの意味があるのだろうか、と。なぜ長男は戦死したのか。なぜ長女は娼婦になり病毒におかされて死んだのか。なぜ次男は行方知れずになったのか。なぜ次女は地主の納屋で首をくくったのか。なぜ三女は末子を餓死させたのか。その三女は山でどうなったのか」
というように、自らの人生の壮絶な不条理が
「・・・宗教が本来持っている個の救済の方へ向かわず、社会の不合理そのものへ鋭く刺さり、世直しを求める声としてはねかえってくる。」
回路を辿るものとしている。根本にあるのは、生まれた世の中へのある種「怨念」のような感情なのだろうか。

開祖行徳まさの「お筆先」は、実在の大本の出口なおの世なおしを予告する「お筆先」とほとんど同じ趣旨らしい。それは、世直しを激しく志向する新興宗教「ひのもと救霊会」を借定するためのヒントになったという。

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現に高橋自身が
「・・・そこで、ぼくの方法として、事実から虚構というのでなく、この頭の中で考え想像したものをどう描くかということで・・・・」
大本教をあくまでモデルにしたのだと、手の内を明かしていることに明らかだった。
歴史的事実としての大本教とは、きちんと区別しておくべきなのだろう。

「お筆先」は社会の不条理を糾弾し、世の中の「立替」「立て直し」を強く示唆するので、体制の側からすれば既存の秩序を揺るがす危険思想とみなされて弾圧された。だから「お筆先」は六終局の予言に直結した。それは世直しの前に、まずこの世が経験せねばならない六種のカタストロフイであり、ここにインドのマッカリ・ゴーサラの「八終局」を援用したのだ。
かくして「ひのもと救霊会」の信仰の性格は、救済への明るい展望よりも破局を強調する発想が色濃く、気が滅入るような終末感を増幅する。昭和初期の泥沼化する戦争、日本社会の暗い世相も反映しているのだろう。それがまた青年期特有のナルシズムに馴染むのかもしれない。
だとすると、私が主人公・千葉潔の「末期の一滴の涙」に違和感を持った理由も、案外こんなところにあるのかもしれない。

17歳の私が、三島由紀夫との対談を読んで初めて高橋和巳という作家を知ったとき、なにかしら「いじけた暗さ」を感じたのも同じ理由だろうか。ただ少し作者の立場を弁護すれば、すでに病(結腸癌)がかなり進行していたという健康上の不如意もあったのだろう。

川西氏は、こうした高橋和巳の文学の最大の特徴は「・・・・(ゴーサラの)狂乱の論理構造を、自己の妄想の論理とし、近代日本の精神を衝つ武器として現実に還行させた。」ことだと論じている。
門外漢の勝手な言い方を許してもらえば、そもそも「近代日本」には健康な「文学作品」は少ないように見える。

しかし小説「邪宗門」は、様々な社会的不条理を鋭く抉ってみせてくれた。
その筆致は、晩年に入って自分の生まれ育った戦後の意味を考えはじめた私にとっても、学ぶことの多い作品でもある。著者に敬意を表して正直に告白しなくてはいけない。

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