
1956年の作品。切ないメロディーが心にしみる名画だ。何回観てもそのつど新しい発見をする。イタリア映画の水準は高いと思った。
もちろん、細かいニュアンスを読み取るためにはキリスト教文化とイタリア語への理解が不可欠なのかもしれないが。
まずは予断なく観てもらいたい。その上で読んでもらいたいのだが・・・・。
特急列車の鉄道機関士アンドレアは50歳、幼い末っ子サンドロにとって父は誇りだっ た。
だが、思春期を迎えた長男マルチェロや長女ジュリアは、職人気質で亭主関白、頑固な父親を敬遠していた。
事態は、クリスマスイヴに始まりクリスマスイヴに終わる・・・・。
まずは長女の妊娠と流産。
家族で祝う大切なクリスマスイヴの夜なのに、アンドレアは行きつけの居酒屋でつい深酒をしてしまい、入院中の長女の流産に間に合わなかった。
自責の念にかられる。
いわゆる「できちゃった婚」なので、世間体を作ろうために結婚式をさせるが、娘夫婦の間はもなく破綻の危機を迎える。このあたりの事情は、日本人社会にも共通性があってわかりやすい。
長男は仕事もなくぶらぶらしているが、どうやら不良仲間との間で金銭のトラブルを起こしているようだ。
そのため、母親の大切なネックレスも借金のかたになってしまう。厳格な夫と、父親の横暴に反発する子供の不行跡。間にはさまれて心を痛め悩む妻サーラの心労も絶えない。
ただでさえ薄給の身。支払っていない組合費を催促し活動参加を促す組合幹部とも、次第に折り合いが悪くなってしまう。
職場では組合の賃上げストライキが決行されたが、アンドレアは機関車を運転し、仲間から「スト破り」の行為と非難される。そのために、アンドレアは友人達からも孤立し、場末の酒屋にいりびたり、家にも帰らぬようになる。家族からも孤立して、家庭崩壊の様相だ。末っ子サンドロはアンドレアを心配する友人に伴われて、酒場をめぐって父を探し出し、以前に父が友人たちとギターを弾いて歌った酒場に連れ戻した。
サンドロの手を引いてアンドレアを捜す、このふとっちょで独身の旧友の存在も大きい。人情家で、アンドレア一家の理解者でもある。
そして彼も機関士で、特急列車ではアンドレアの良き相棒だった。二人の間には男の友情がある。
しかし、このときすでにアンドレアは内臓を患っていた。酒が原因だろう。
忍び泣くような哀切なテーマミュージックも名曲で有名だから、誰しもきっとどこかで聞いたことがあるだろう。 私も聞くたびにサンドロの悲痛な叫びを思い起こす。不遇・家族愛・友情・人情・労働組合・・・・人生を考えさてくれせる名映画だ。無垢な子役サンドロの演技がとても素晴らしい。その曇りなき眼が大人たちの矛盾を、まるで鏡のようにくっきりと映し出してくれる。
実際、この歳の離れた末っ子サンドロが要所要所の勘所で家族の絆をかろうじてつなぐ役割を果たすのだ。いがみ合う家族が、それぞれの心の告白をできる相手が幼子のサンドロだけなのだ。まるで揺れる家族をかろうじて支える支点のように。
天使のような無垢さが印象深い。
長男長女が家を出て行ったあとの家庭崩壊の中、残された母親と末っ子サンドロが交わすベッドの中での会話。
大人の世界の諍いの理由がまだ充分理解できない末っ子。
「家族皆が自分が正しいと思っているから譲らない。そして会話がなくてバラバラなの。」と泣きながら告白する母親。
するとサンドラが「お母さん泣かないで!」と、すがりつくようにして訴える名場面は悲しみとともに深く心に沁み入る。自分自身が子供に戻って共鳴してしまうのではないだろうか。幼い息子にとって母の悲しみが一番つらい。
子供の視点から見える大人たちの葛藤の姿がありのままに描かれていて、実にリアリティーがある。
表面上の違いは大小様々にあるだろうけど、本質において同じ不遇に悩む子供はあまりにも多いことだろう。だからこそ、この映画は多くの共感を呼び、高く評価されて来たのだろうと思う。家庭の平和と幸福は人類共通の課題なのだから。
労働組合運動や政治だけでは本質的な解決はできないし、遠くの政治課題より身近な生活現場の困難のほうが切実感がある。
しかし、結末の締めくくり方には少し物足りなさも感じた。
スト破りで孤立したアンドレアは再び昔の仲間の人情で暖かく迎え入れられる。
少し辛口かもしれないが、私にはそのプロセスはやや緩く思える。長男長女が一年後のイヴの日に家に帰ってくるという経過もやや楽観的ではないだろうか。
各自が自らの努力と成長のはてに家族の絆を回復してゆくわけではない。
実際問題としては、むしろ子供たちは帰ってこない場合のほうが多いのではないだろうか。そして、外の世界でますます底なしの不幸の沼に溺れてゆくケースが結構多いのが今日の現実ではないだろうかと思える。
あるいはストーリーに「救い」を入れるために飛躍が生じたのだろうか。それとも、我々の時代の家庭崩壊の様相のほうが、この映画の時代よりもさらに深刻なのかもしれない。
陽気なイタリアーノはそんなに根深くない、というご批判を受けるかも知れない。表面では意地の突っ張り会いをしているものの、実は家族共に深い愛情の絆で繋がりあったのだ、ということなのだろうか。
もしそうだとすると、母親サーラの存在をもっと評価すべきかもしれない。
職人気質の「亭主関白」。貧しい生活の中で、その夫を彼女はどこまでも献身的に支えている。いまどき日本人にもいないような辛抱強い、古風な良妻に描かれている。長男、長女は横暴で酒飲みの父親よりも、この母親の存在に救われている面が大きい。
アンドレアにも妻や子供の手前、泣き言の言えない彼自身の職場の事情があった。緊張を強いられるきつい長時間労働で安い給料、それでも一家を支えなくてはならない。唯一の楽しみは居酒屋での仲間との飲み会。ついつい深酒してしまう。
父親の死んだあと、長男はやがて父と同じ職・・・・機関士につく。長女も元気に働いている。末っ子も明るく学校に向かう。
しかし、皆を送り出した母の表情は冴えない。夫を失った寂しさや見通しのない生活苦を表しているのだろう。これからも続く人生の辛苦を予感しているかのようだ、と言ったらシニカルすぎるだろうか。
はじめまして。
「鉄道員」、私の好きな映画です。鉄道マニアだった小学生の頃、列車が出てくるというだけで観た(父に教えられた)映画でしたが、今ではストーリーの面白さも分かる歳です(笑)。
イタリア映画では、V・デ・シーカ監督の「屋根」(”Il Tetto” 1956)をお勧めします。「鉄道員」でも出たイタリアらしさが出ていますが、こちらは穏やかで、キリスト教的な意味で祝福された感じです。主人公の名前がナターレ(イタリア語で「クリスマス」)というのも意図的かもしれません。
(実はYouTubeで公開されています(英語字幕付き)。違法ダウンロードに当たるかどうかはちょっと不明確ですが)
コメント有難うございました。
我ながら、偉そうに書いていますが、実はあまりたくさん映画を見ているわけでもありません。
年末休暇に入りましたのでさっそく見てみます。
有難うございました。