1937年に始まった日中戦争(日華事変)を機に、翌38年には国家総動員法が制定された。
この法律は侵略戦争の遂行を経済活動のすべてに優先させるため、あらゆる「人的」および「物的資源」を「統制運用スル」大幅な権限を政府に与えたもので,国家権力への白紙委任状にも等しい授権法であるとされる。
これまでのゾルゲの論考で見てきたように、真相は中国大陸への「略奪的侵略」に過ぎないのに、麗々しく「国防目的達成のため」などと謳いあげるところにあざとい欺瞞性があった。もちろん、一般国民に真相は知らされていなかった。マスコミも、ほとんどが戦争を遂行する御用機関に成り下がっていた。
今日に至るもその本性はあまり変わっていないと思う。
いかにも正義づらしていながら、その実は「安全地帯」に生息する「権力の提灯持ち」みたいな報道やコメンテーターが多いのではないかと疑う。また、特に日本は、いい加減な「横並び主義」傾向が強い。談合や忖度の温床だと思う。そのほうが御身安泰だからだろう。批判のための批判を求めているのではないが、気骨のある言論は少ないのではないかと思う。
暗黒の戦時体制のときに、ドイツ国内向けの雑誌紙上で、「同盟国のドイツ人ジャーナリスト」が日本事情をとても客観的に分析して報告していた、ということは驚きだ。しかもその正体が旧ソ連のスパイだったというのだから、いまどきの安っぽい探偵映画も顔負け。
ゾルゲは「地政学雑誌 1939年2-3月号」に「日中戦争中の日本経済」というレポートを発表していた。
一読してみて、この内容が当時の日本人に反映されなかったのは、返す返すも残念だと思った。
「同盟国ドイツ」の雑誌だが、日本では公にすることが困難であったのだろうか。それに「言葉の壁」が大きかっただろう。日本は、一種の「文化的鎖国状態」にあったからだろう。
もちろん、日本語でこんな「国家機密」に抵触するような情報や分析を公開することなど、この時期の”狂気”に近い「国体」を考えると、到底出来なかったことは確かだ。今からは想像もつかないが、まともな言論空間などほとんど窒息死に等しい日本だった。
「知る権利」「言論の事由」が我々にとっていかに大切かよくわかる。また、それを保障する現行憲法が権力にとっては邪魔で仕方ないのも頷ける。
21世紀の今も、何事につけ、大衆には都合の悪い「真実」を隠そうとするのが政治権力や国家機関の本性だと断じて間違いない。政府の「公式発表」などハナから疑ってみるくらいでちょうどいいではないか。
読むにつれ、すべてに軍備を優先する歪な戦時経済体制が、いかに問答無用の統制を国民生活に強いていたかがわかる。
そもそも、当時の日本の貧弱な国力では、大陸侵攻はもちろん、その上に米英を相手に大戦争を企てるなどという行為それ自体が、ほとんどナンセンスな所業であったことが明瞭だ。日本人は、なにを血迷ってこんな愚行に身を委ねたのだろうか。それも民族挙げて。狂気というほかない。
ゾルゲは言う、
「・・・・
「・・・・しかし、
これでは、ほとんど勝負にならないことは誰が見ても明らかだったが
それにしても、こうした閉塞状態のなかで「神国」などという不合理な妄想が、なぜあんなに大手を振ってまかり通っていたのか。いわば「カルト国家」まがいなのだ。どこかの独裁国家を馬鹿にする資格はない。
むしろ最近は、その独裁国の若い指導者のほうが良くも悪しくも抜け目のない外交術作に長けていることが判明してきた。

更にゾルゲは続ける
「・・・・その上、日本は戦前(注:
子供の頃から不思議に思っていたのだが、北アフリカや欧州戦場に登場する第2次大戦の戦車(連合国側もドイツ側も)に比べると、なぜ日本のタンクがブリキのおもちゃのように貧弱だったのかその理由がよくわかる。日本はそもそも近代戦を戦う工業生産力や技術も充分ではなかったのだろう。
その点では、ナチス・ドイツのほうがはるかに先進国であって近代的な軍備を短期間で一気に整備したようだ。確かにナチスは脅威だったにちがいない。
ゾルゲが指摘するように、せいぜい「同じ文化レベル」の中国軍と前近代的な戦争を行うには比較的優勢ということだったのだろう。だから39年のノモンハンでは、新興ソ連軍にはまったく歯が立たなかった。その事実は都合が悪いので隠された。
無謀な作戦で亡くなった兵卒こそ哀れだ。
ゾルゲの指摘は続く
「・・・・日本経済は不足だらけの資源に基づいていることや、
そのため
「・・・・
貿易収支構造ひとつとってみても、日本が英米に大きく依存していたのにその相手に戦争をしかけるなど、そもそも無謀でしかなかったことがわかる。
「・・・・
「日本の輸出さえ大部分英米に依存している。・・・・
結局、借金相手まで敵に回してしまったようなものだが、その実ははじめからお寒い足元を見抜かれていたということだろう。経済に疎い軍人が愚かな掛け声だけで政治を壟断したからだと思う。端的に言ってまともな「良識」がなかったとしか言いようがない。
吉田茂が述べたという、この頃の日本は「精神に変調をきたしていた」という指摘が言い得て妙な説得力がある。
そのうえ、
「・・・
とゾルゲは的確に指摘していた。
「・・・なお、アメリカと大英帝国は日本への原油、綿花、羊毛の供給では独占的な立場をもっていることも考慮しなければならない。また、自動車の供給もアメリカが相変わらず第一位である。・・・・・」(115ページ)
ゾルゲは明記していないが、対英米戦などハナから勝ち目のないことを含意している。それにもかかわらず、やがて追い詰められた日本はゾルゲの狙い通り「南進」した。これでスターリンは極東をしばらく心配しなくて良くなった。対独戦争に軍事力を集中し得たのだった。
それでもゾルゲの結論は微妙だ。
「・・・・その機構と経過について今まで略述してきた日本の戦時経済は、多かれ少なかれ即製の統制経済下で避けがたい『小児病』的な状態を驚くべき速さで克服したのである。・・・・しかし実際の困難とこれまで述べてきた矛盾は機構上では除くことのできない領域のものである。すなわち、日本の戦時経済が外国よりの輸入に強く依存していることである。・・・・しかしこのほか、その数においても以前の日本の常備軍の何倍かに増加している軍隊を常に攻撃態勢の整った大国民軍として完全にこれを維持してゆく使命が加わる。・・・・・さらにまた、日本の戦時経済は新しい満州国を経済的にも軍事的、戦略的にもテンポを緩めず育成しつづけなければならず、また中国の占領地を軍事的に確保し、政治的には機構の改革をして、これを経済的に発展させ、少なくとも緊急を要する鉱石、金属、石炭をこの円ブロックから外国為替を用いずに買い入れなければならない。・・・・・近衛首相が、・・・・また陸軍大臣が・・・・『戦争はまだ始まったばかりである』と述べたのは、決して意味のないことではない。」(125~6ページ)
できたばかりの傀儡国家・満州帝国への巨額の投資と資源の調達、広大な大陸を支配するための軍政軍備の拡張と経済投資が急務だが・・・・・実際には政府のコントロールが効かない軍部の略奪戦争の拡大が国家予算を急速に窮乏化させ、これによる更なる重負担を国民に課すだけで、ほとんど合理的な展望が描けていないのだろう。
ゾルゲは注意深くこの不合理な国策に傾く「同盟国」の実情を、政治批判を避けながらすれすれの表現で描写してみせた。読む人が読めば、軍国日本の前途には、ほとんど希望がないと考えてもおかしくはなかっただろう。勇ましく英米と戦うどころの騒ぎではなかったのだ。それほどに、外交も内政も拙劣の極みだった。根本は経済政策の破綻だった。
学徒兵であった父の話では支那派遣軍では、兵站の不足を「現地調達」(実態は略奪)で補えという軍命だったという。被占領下の人々の反感を買うのは当たり前だ。これでは 敵を拡大再生産するだけだった。八路軍が広汎な支持を獲得し得たのは、こうした日本軍の愚かな軍政が原因になったことだろう。
しかも友軍内では兵站を無視した劣悪な補給条件のなかで、学徒兵の半数は戦病死だったという。悔やみきれない。事実は惨めな「無駄死に」ではなかったのか。
初年兵教育で、「お前たちの命は一千五厘だ」(赤紙の郵送料)と体に叩き込まれたという。特に学徒兵は目の敵で、「娑婆っ気」を抜くために毎日殴られた。「神国の軍隊」は自国民にすら情け容赦のない暴力装置であったのだという。
戦艦大和の威容や0戦の勇姿だけに眼を奪われていると、日本はいかにもりっぱな軍事大国であったかのように見える。確かに造船業だけは第3位だったようだが、これもいわゆる時代遅れの「大艦巨砲主義」にとらわれ、実戦ではほとんど役立たずだったようだ。居心地が良いので「大和ホテル」と影で揶揄されていたという。
日本近海での「艦隊決戦」を前提とした「八・八艦隊」計画などは、日露戦争時の日本海海戦の成功体験を教条化して凝り固まっているうちに、時代に取り残されていた「幻想」だったではないだろうか。頑迷硬直した軍隊思考が原因だったのだろう。
そもそも真珠湾攻撃じたいが「空母機動部隊」の作戦行動だった。戦艦などは後景にあった。残念なことに巨艦大和も武蔵も、戦場ではほとんど無用の長物に終わった。今更悔いても悔やみきれない。
石油の90パーセントを輸入に頼っていたのだから、当たり前ながら戦艦も連合艦隊も「張子の虎」みたいなものでしかない。
経済の実情にそぐわない硬直した「軍備優先」のゆがみが生んだ、ほとんど奇形とも言うべき「大日本帝国陸海軍」だったのだから、もともと勝てるはずがない。
これほどの国策上の大失敗は世界史的奇観ではないか。
見てくれだけは勇ましい大言壮語ばかりだが、内実はかくも薄ら寒い有様だった。
決して忘れてはいけないのは、そのぶん人命が極端に消耗したことだ。狂気としかいいようの精神構造が「玉砕」「特攻」を生んだ。美名に騙されては死んでいった人々が浮かばれない。今どきの「自爆テロ」は遠い外国の他人事ではない。ついこの前のニッポンで大手を振った「国家自爆テロ」が人びとを悲惨に追いやっていたのだ。
本当にたくさんの尊い命が無慚に失われた。
「もしあの学徒が生き残っていれば、戦後日本のために役立った人々だと思う。」と、元学徒兵の父が述べていた。
いかに愚劣な戦争であったか。
ゾルゲはきちんと見ていた。

山本五十六がパール・ハーバー奇襲を強行したことや、失策といわれるミッドウェー攻略にこだわったのも、こうした彼我の力の差を知悉していたからだろう。緒戦でことを決しなければ日本に勝ち目は全くない。米国駐在武官として、アメリカの国力を知っていた数少ない軍人だったからだと思う。
同じくアメリカ駐在武官だった硫黄島の栗林中将も含め、「正常な」情勢判断のできる人々は少数派だったのだろう。そして、そういう軍人のほうが、アメリカにとっては手ごわい「敵」だったのが歴史の真相ではないだろうか。
何も終わった過去の話ではないと思う。今の日本にもつながる傾向性ではないだろうか。
戦時という異常な興奮状態のなかでは、声が大きいだけの「主戦派」「教条派」が多数派になる。彼らの唱える勇ましい怒号が狂気に拍車をかけ、冷静な少数派をブルドーザーのように圧殺する。ついでに便乗した無責任なマスゴミも世論を扇動する。そのなかで目先の効く悪党が欲を描いて要領よく立ち回るのだ。かくして「寄らば大樹の陰」で、皆が仲良く手を繋いで奈落に転落した。
高等学校の恩師S先生が、情熱を込めて教えてくださった歴史の教訓は、まさにこのことだったと思い出す。冷静に考えることはしばしば「消極論」とみなされやすい。しかし、皆が口角泡を飛ばして同じ方向に走ろうとするときほど危い時はない。
1943年(昭和18年)という時点ですでにルーズベルトやチャーチル、蒋介石が集まってはやばやとカイロ宣言を発表した理由もなるほど理解できるように思った。
この時すでに誰の眼にも軍国日本の敗戦は客観的に必至だったのだろう。戦後の日本統治方針が協議されたのだった。

カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
カルトまがいの「神国」などというナンセンスな幻想の虜になって正常な自己決定能力を喪失し、ぐずぐずしているうちに、日本民族は史上初の原爆を投下された。
「ダイニッポンテイコク」は、まったく勝算のない自爆戦争を敢行したのだとしかいいようがない。
敗戦直後に「一億総懺悔」などという無責任なスローガンを思いついた政治家がいたそうだが、指導層のほうがはるかに罪は大きい。その無責任さには怒りを感じる。
わずか80年近い前の史実だが、日本で絞首刑にされたスパイ、リヒャルト・ゾルゲの情報収集力、観察眼、そして分析力には今日なお学ぶべき慧眼があると思った。
あの戦争は、生前に父が言い残したとおり、まことに「バカな戦争だった」のだ。
そして、同じ民族なのだから、すぐに忘れてしまって本質的な総括をしていない以上、これを繰り返さないという保障はない。
なぜなら最近、こんな暗黒時代をなぜか懐かしみ、妙に屈折した情念が昂ぶってきているように見える。まるで「先祖返り」を待望するような。
その底流に、堀田善衛が指摘したような暗い「宿痾」が潜んではいないだろうか。