後半を拾い読みしてみよう。

「・・・・日本の軍部は常に積極的な外交政策を推し進めてきた。軍は自己の上に立つ政治意思の武器にすぎないようなことは一度もなかった・・・・維新以来世界大戦(第一次)にいたるまで、その積極外交政策には一貫した大綜合計画が基礎にあった。膨張による島国帝国の保全がこれである・・・・これらすべての膨張は従来、激しい勢いで拡大する外国勢力に対する日本国の安全確保とみなされ・・・・」(「ゾルゲの見た日本」13ページ)
と言う具合に軍部の外交方針は明治以来、帝国保全のための海外膨張で一貫してきたとみなしている。
面白いのは、同書の「日本の膨張」というドイツの「地政学雑誌」(39年)の論考で、上古の神宮皇后以来その膨張主義の特徴は朝鮮半島を経由して必ず中国大陸に向かう傾向にあると分析している。(同127ページ以降)
だとすれば、大陸から見てはた迷惑な島国だ。
「・・・中国大陸の有する巨大な地域が過去においても現在においても日本の膨張の第一目標である。」(129ページ)
「統帥権の独立」を錦の御旗にした日本軍部の一貫した暴走ぶりも、そうした日本史の傾向線上にあるとゾルゲは考えたのだろう。そして「国家の安全確保」という大義名分のもと、政党政治の弱体化した政府の外交方針をあざ笑うかのように、歯止めの利かない大陸侵略へと突き進んだことを指摘しているのだろう。
「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである。」との有名な山本五十六の戒め、自制心を失った軍部の行動は、近代的な軍隊の本来の役割から大きく逸脱していたのだ。
ちょうど飼い犬の首輪がはずれて「狂犬化」したように。

特に第一次大戦以降には対華21か条要求(1915年)、ロシア革命に干渉したシベリア出兵(19年 これは失敗した)、やがて満州国創設(32年)、北支侵略へと、あまりに身勝手な軍事行動を拡大した。産業界も一般国民も帝国主義の拡大を諸手を挙げて歓迎した。
つまり「・・・軍部は『安全確保』というこの枠からはみ出し、ついにアジア大陸への生命圏の武力政策的な拡大へと踏みきったのである。・・・・」(同14ページ)
それを支えた精神には、合理的な思考を欠いた日本主義(内実は神がかりの皇道理念)の情念でしかない。

「・・・・『有色人種を白色民族の非道な搾取から解放すること』を要求する(陸軍省の11月文書から)。これこそ日本外交を左右し始めた『日本主義』の思想である。」(同14ページ)という。
軍部の幼稚なナルシズムは、日本を「アジアの盟主」とでも誇大妄想したのだろう。
そして合理的な思考の致命的な欠如は
「・・・・最近になってさらに日本軍部の計画に強い影響を及ぼす新しい要素が現れた。・・・ボルシェヴィズムを日本軍部に対する不倶戴天の体制上の敵と」短絡的にみなしはじめている。(同14~15ページ)
ツアーリズムを倒したボルシェヴィキ革命を、単純に「敵」とみなすだけの政治センスしかなかった。
だから近隣諸国をすべて敵に回すような、手前勝手な冒険主義に陥ったのだろう。獣のような武力のメカニズムだけが一人歩きした。
まったくもって救いがたい視野狭窄というべきかもしれないが、それはそもそも「政治の貧困」が軍部の思い上がりを助長させ、暴走を許したのだというゾルゲの分析どおりだと思う。とともに、私はより本質的には明治体制に重大な欠陥があったからではないかと考える。軍部独裁を許す制度的な欠陥もあったと思う。専門家でもないので詳細に論じる力はないが、日本の「明治維新」を諸手で賞賛することには強い疑問を感じる。アジアの「お手本」だなどとは少しも思えない。
近代日本が本当に立派な「お手本」なら、あんなに惨めな亡国の敗戦を招くはずはないだろう。漠然とした印象発言を許してもらえば、敗戦と外国による「軍事占領」によって、民族の文化的な連続性に深い断絶が刻みこまれたのかもしれない。その禍根は、未だに回復していないのかもしれないとすら思う。

「・・・しかし最も明瞭なのは、中国問題における公式外交と軍の計画との対立である。・・・・」(17ページ)政府の中国問題における方針とはうらはらに、軍部の独断専行が我が物顔で中国侵略を強行しつつある。
これに対して「・・・・日本軍部のこの大陸計画に比較すると西南および南太平洋の役割は比較的に小さい・・・」(同17ページ)のだという。
既述した「島国帝国」の単線的な大陸侵攻への性癖を指しているのだろう。
以上の批判的な分析を披露しながら、ゾルゲは一転して
「・・・・すべての国々の中で日本軍部が積極的な、親密ともいうべき態度を示す唯一の国はドイツである。これは公式外交を遥かに超えている。特に日本陸軍はドイツに対し、軍事的に蓋うことのできないほど多くの恩恵を受けている。そして日本の国民的社会的改革につとめている軍部の人々は国民的革新の重要な諸原則を今日のドイツから得、また今後もさらに学ばなければならないのである。我々はしばしばこの事実の昂然たる是認に出遭うが、現下の世界において珍しいまた喜ぶべき現証である。」(19ページ)
と面映い一文を挿入している。まるでクセ球だ。
「友好国ドイツのジャーナリスト」と、自らを偽装するためではないだろうか。
いかにも日本軍部がナチス・ドイツの侵略主義を見習う「模範生」であるかのように持ち上げておいて、内心は軽蔑していたことだろう。
その実、ゾルゲは日本軍部の対ソ軍事行動にこそ最大限の関心を払って防諜活動に励んでいたのだった。その関心のありかが、はしなくも「・・・・日本軍部のこの大陸計画に比較すると西南および南太平洋の役割は比較的に小さい・・・」という分析に滲む。
そして「内政上の計画『総動員』の要求および外交上の諸要求は、日本の軍部により、日本の存在は外国からきわめて重大な脅威を受けているという見地から提起されている。・・・・」(19ページ)が、ゾルゲはこの軍部の情勢判断の根拠は薄弱だと指摘している。
だから、こうした軍部の膨張主義を、経済的社会的に支えるための目下の「総動員」体制の緊張がいつまで続くのか、という疑問を呈している。(実際の「国家総動員法制定」は38年)
「ソ連もアメリカも近い将来、日本に対して積極的な行動に出ることの不可能をよく認識していると信じてもよい」(24ページ)にもかかわらず。
ここにさりげなく「ソ連」を差し挟んでいるところに、秘かなゾルゲの狙いが隠されているのかもしれない。
最後にゾルゲは、こうした軍部の国内政治行動や対外侵略路線の矛盾点を「地政学的」に指摘しながら、用心深く「・・・しかし、このことや多くの他の批判的考察は、日本の今後の発展の親切な傍観者であり得る吾人の任務には属しない。」(26ページ)と、腰を引いたうえで
「内政外交上に重大な危地におちいった日本が、
とやんわり締めくくっている。なかなか巧妙だと思う。
さんざん批判的な分析を加えたうえで、日独双方に計算づくのエールを送るのだから、したたかな筆致だ。
考えてみると、ソ連赤軍第4部のスパイでありながら、いかにも「歯に衣を着せぬ」ジャーナリストとして友好国ドイツ大使館のオット大使から全幅の信頼を得、ゲシュタポや日本の憲兵、特高の疑いの眼を掻い潜ったゾルゲの、大胆で知的な高等戦術が凝縮されているように思う。
しかし、ソ連にとっては余人を持っては替えられないゾルゲの任務になってしまったので、思いのほか長期化した。このため帰国のチャンスをついに失った。そして日本軍部の北進(対ソ戦)がないという結論が出るまで、結局のところゾルゲの孤独な独壇場となってしまった。
そしてこの防諜目的の達成とともに、ゾルゲはあたかもその使命を終えたかのように、直後に検挙されてしまったのだった。