1935年に発表された「日本の軍部」の「むすびの考察」を先取りすると
「・・・・内政外交上に重大な危地におちいった日本が、
と言う具合に、困難な状況に性急な解決を焦らぬように、と日本に自制を促しているのだが、
このとき外交的に孤立を深める日本は、ドイツの間には友好ムードがあって、本格的な軍事協調を目前にしていた。
ゾルゲは抜け目が無い。台頭しつつある日本軍部の外交行動について
「・・・・すべての国々の中で日本軍部が積極的な、親密ともいうべき態度を示す唯一の国はドイツである。これは公式外交を遥かに超えている。特に日本陸軍はドイツに対し、軍事的に蓋うことのできないほど多くの恩恵を受けている。そして日本の国民的社会的改革につとめている軍部の人々は国民的革新の重要な諸原則を今日のドイツから得、また今後もさらに学ばなければならないのである。我々はしばしばこの事実の昂然たる是認に出遭うが、現下の世界において珍しいまた喜ぶべき現証である。」(19ページ)
と、ちゃっかりドイツにも媚を売っている。なかなか芸が細かい。邪推かもしれないが、書きながら内心ほくそ笑んでいる姿さえ思い浮かぶ。
発表当時、ドイツでは高く評価されたようだ。
ドイツの雑誌に寄稿した論考だが、日本国内に還流して自由に公表することはできなかっただろう。
本当は、同時代の日本人が真っ先に読むことができていたらと残念に思う。社会において自由な「言論空間」
余談だが、映画「風とともに去りぬ」(1939年)も、日本では戦前には公開されなかった。アメリカの実力を一般に知られることが、権力にとって不都合だったからではないだろうか。
日本占領下のシンガポールで「こんな映画を作れる国と戦争しても、そもそも勝ち目は無かったと痛感した」という話がある。「大日本帝国」の閉鎖性が伺われる。
本論考は戦後に東京外語の生駒教授が翻訳されたものらしいが、
ゾルゲは2.26事件の1年前の時点で、軍部の暴発の可能性を正確に予言していた。そこに至る
まず前半の一部を紹介しよう。
「・・・・日本の目下の情勢はその近世史上最も困難な一つである。
そして軍部を除けば、
「・・・・
と鋭く指摘している。
軍部を除くと、まるで今日の日本の政治状況を述べているような錯覚
国家官僚にも将来を託するべき後継者がないと断じた上、ナチスやイタリアを念頭においているのだろうが、右派について
「・・・ファッシスト的または国家社会主義的色彩を帯びた若い組織は、少なくとも現在のところ絶望的に分裂している。・・・・」(同2ページ)
という分析ははたぶん、政治上の一党独裁体制に発展するような見通しはない、というわけだろう。
では日本になぜ危機を脱する真のリーダーが出ないのだろうか。
それはまず国家の最高権力者が神話的存在で、しかも宗教的崇拝の対象であるという、特異な日本事情を指摘しているのだと思われる。つまり奇妙な「国体観念」が近代的な政治リーダーの出現を阻んでいるというのだろうか。以下の論述は興味深い。
「・・・・しかも、
これは、日本が立ち至った国家的困難を救済する主体を、神話的な天皇親政と考える(あるいは信仰している)ために、そうした不合理な国体観念が災いして、現実の具体的な政治勢力を形成を困難にしているということだろう。言い換えれば、合理的な仕組みや政治的人材を生み出すことを困難にしている、と言っているように見える。
つまり、非科学的な神話物語と現実世界の区別がつかないような曇った思考様式が、差し迫った現実の困難を合理的な解決に導くリーダーシップを生み出しにくくしている、と指摘しているのではないだろうか。狂信的な情念や情緒が、まともな理性を駆逐した。
「・・・・国内政治に何事かが迫っている。今日少なくとも唯一の眼に見える勢力であり新しい進路を求めている日本の軍部は、将来あり得べき内政上の変革の際には決定的な役割を演じることとなろう。この勢力を認識すべきときが来ている。」(同)
客観的に見て、こうした閉塞状態に突破し得る唯一のパワーとして軍部が登場する可能性を見ていて、ここに注意を喚起していた。
実際、その翌年に2.26事件が勃発し、これを契機に軍部独裁が強化されていったのだった。
それでは、その軍部の動機と内情はどうか。
ゾルゲによると、そもそも日本の近代的工業化は農民の犠牲の上に築かれた。ところが、なにより軍人の構成をみると
「・・・彼らは大多数農業出身者で、ほとんど99パーセントまでは貧しい家の生まれで」(同3ページ)
将校団も兵士も経済不況の過酷なしわ寄せを最も受ける被害者層の出身であり、同時に「社会的差別の強調を排斥し、家父長的な絶対服従の基となっている伝統によって(上官と部下の共通性が)強固に(統制)されている。」(同)
軍部は「最も簡素な生活、不動の忠誠、戦闘における絶対的な自己犠牲・・・・・これは現代において他で多く行われているより真剣に、かつ文字通りに考えられている。」(同)
そしてそこに「国の覚醒がおくれたのに応じて、最近になってようやく燃えるような祖国愛が加わった」(同)のだという。
従って上官も兵も反資本主義的な感情を共有している。
「・・・・農民的民族共同体と天皇制の上に築かれたこの過激主義は、著しい反資本主義的要素を持つ」(同6ページ)
「しかし、日本はその短い近代史においてせっかく戦いとった一つ一つの成果が外国によって脅かされていること、国内の経済的困難およびそれに相応した膨張への衝動が、この若い国家主義をはなはだしく成長させ内部的に強化した」(同4ページ)
本来は「・・・・陸海軍人には今日最高権威となっている明治大帝から(軍人勅諭で)政治関与がきわめて厳重に禁止されて・・・・」(4ページ)いた。
他方「・・・・陸海軍大臣はその時々の日本政府からはあまねく独立し、議会の党派関係からまったく左右されることはない。」(5ページ)
つまり「統帥権の独立」を意味しているのだろう。これが政治的危機のときに軍部が控えから飛び出して、政権や政策を左右する行動を可能にした。
戦後の東南アジアや中南米の軍事国家にそっくりではないか。
端的に言って「後進国」だったのだろう。

1932年の5.15事件は軍の「威嚇効果」を最大化した。更に「統帥権の独立」を逆手にとった軍部の膨張主義が政府のコントロールを逸脱して満州事変を起こし、傀儡国家・満州国を軍部主導で建設したことで、その政治力を強大にさせた。
「・・・・・軍部はこのこと(満州国の経営)を日本国内でも実現する絶好のチャンスをもっている。果たして軍部はこれを実行するか?そしてまたいかなる目標のもとに?」(5ページ)

しかし、軍部は自らの矛盾には無自覚だった。
「・・・・わずか数年中に軍部はすでに承認されている国家財政に対する要求を全予算の47パーセントに増加させている。・・・・この全日本経済の極端な重荷は、時もあろうに、日本農業と、今日日本における最も広汎な国民階層である農民が未曾有の窮状に陥っている時機に軍部によって強行されるのである。・・・・」(同7ページ)
矛盾の解消と性急な社会改造を、軍部はいかにも軍人らしい発想・・・・帝国主義的膨張で一気に解決しようとした。それは中国では蒋介石軍との絶え間ない小競り合いを生み、北方アジアでは新興勢力のソ連とも対峙した。
軍事行動の拡大を可能にするために、軍部主導の国家経済社会の改造と、人々の生活の隅々にまで戦時体制を貫徹する「国家総動員体制」を画策した。
「・・・それにはその計画の核心としての日本皇室に対するほとんど宗教的に浄化された観念が伴っていた・・・・」(同8ページ)。
それはドイツの国家社会主義やイタリアファシズムとは別次元の「日本主義」の特徴だった。
ゾルゲは陸軍省の公的な発表文書を引用しながら、この「日本主義」が更に嵩じて狂信的な視野狭窄に陥り、西欧文化のもたらした(と勝手に断定した)精神的頽廃を嫌悪し、「三千年の歴史を有するわが日本」(10ページ)の文化を宣揚し、「世界を指導」するとなどいう、ほとんど妄想的な「皇道の理念」を紹介している。
しかしすべての軍人が政治関与に完全に同意していたわけではなかった。実際、関与を避けるべきだと考えた軍幹部もいたようだし、国家改造の手法を巡って「皇道派」と「統制派」という二大派閥の激しい内部抗争もあった。
さらに「・・・・面白いのは、上述の思想の発展に海軍があまり関与していない」ということも見逃していない。
このころに娘時代を送った母の思い出話にもあったが
「威張る陸軍は嫌い、海軍さんはスマートでかっこ良かった」
などと、一般庶民の素朴な気分を言い当てていた。
「・・・・軍部は今後も理念的分析の宣伝のみで満足するであろうか、あるいは大規模にこの国内改革を遂行するための力を糾合するであろうか、これこそ日本における最も重要な政治問題である。」(12ページ)
翌年に起きた青年将校の決起は、こうした空気を反映した。
特に皇道派青年将校たちは、自らの出身階層の惨めな貧窮化をもたらした政治の貧困と経済格差を、これ以上手をこまねいて見ていることに我慢できなくなっていた。そこに満州への動員命令が来た。戦場に出れば、生きて日本には帰られないかもしれない。これが決起のきっかけを促したようだ。
政財界にいる「君側の奸」(と勝手に断定して)を排除すれば、あとは軍首脳がかつての「元老」のように天皇を支えて名実共に「昭和維新」を断行するはずだと一途に考えた単純な動機も、彼らだけの思い込みとは言えない背景があったのだろう。2,26事件を起こした青年将校には多くの国民からの同情も集まったのだった。