2010年6月、7年間60億キロの惑星間飛行を完遂して地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」は、多くの日本人に強い感動を与えてくれた。
あのとき、バブル崩壊後のデフレ不況に沈む日本人に、自信を取り戻す機会を与えてくれた功績も大きいと思う。
「もうだめかもしれない」と思われるような数々のピンチを、技術者たちの不屈の粘りと工夫、奇跡的な偶然も味方して見事に乗り越え、小惑星イトカワのサンプルを持ち帰った。
46億年前の太陽系成立の謎を解くための、人類未踏の快挙だった。
この分野の宇宙工学技術で日本は世界をリードしたようだ。7年間の惑星間飛行を管制室で支えたプロジェクトチームの偉業を、誰しもが心から讃えた。実際、嬉しかった。
ところで、私がことに興味深く思ったことは、科学者も我々フアンも「はやぶさ」をいつの間にか擬人化して、まるでアイドルのように熱く語っていたことだった。
そして「はやぶさ君」の動静に皆が一喜一憂しながら、帰還を待った。また、それが不自然ではないほどに、数々の心躍るドラマが続いた。
広大な宇宙を舞台に、たった一人で前人未到の大冒険に乗り出した「はやぶさ君」。その冒険旅行は、思いもよらぬ数々の危機に遭遇した。
これを持ち前の勇気とチャレンジ精神でからくも潜り抜け、満身創痍になりながらも、とうとう故郷・地球に帰還できた「英雄譚」のように語った日本人。
難しい宇宙工学の専門的な説明よりも、擬人化された「はやぶさ君」の「物語」として受けとめていたのだ。実は「ストーリー性」こそは人の心に深く差し込む秘訣だ。
「はやぶさ」は歴史に残る宇宙神話になったようだ。
それにしても、はるか3億キロ先の宇宙(太陽から見て木星と土星の間)にいる長径わずか535メートルほどの小惑星にまで、よくぞたどり着いたものだ。イトカワの形状も面白いことに「ラッコ」が仰向けに寝ている姿を髣髴させた。
時速300キロの新幹線で走ったとしても、114年もかかるというから、その長大な飛行距離が実感できる。
JAXAのホームページを覗くと、プロジェクトリーダーの川口淳一郎氏はインタビューでこう述べている
「・・・・・「はやぶさ」は子供のような存在でした。探査機は、基本的にはプログラムが組み込まれた機械です。しかし、一度入れたプログラムを打ち上げた状態のままずっと使うのではなく、頻繁に書き換えたり、書き加えたりします。・・・・・・これは、子供をしつけ、育て上げるのと本当に同じ感覚なのです。
・・・・・・・・プログラムを書き換える度に新しいことを習得し、地上の手を離れていく「はやぶさ」は、まるで、子供が成長していくようでした。育て上げた子供が、教えたことをけなげに一生懸命やってくれている、というような感覚でしたね。」
さらに、オーストラリアの砂漠に帰還したカプセルを見て、こんな面白い感想を述べている。
「・・・・・さらに、『へその緒』が残っていることにも大変感動しました。これは、英語では『アンビリカルケーブル(Umbilical Cable)』と言われるもので、カプセルと探査機本体をつないでヒーターに電力を供給したり、信号を送受信するのに使います。そして、カプセルが「はやぶさ」から切り離される際、このケーブルは切断されるのです。大気圏再突入のときに、カプセルは1万度を超える高温に包まれますので、へその緒は熱で融けてしまって痕跡もないだろうと思っていました。ところが、へその緒はきれいなまま残っていたのです。それを見たときには、信じられない気持ちと、はやぶさの形見を見た思いでいっぱいでした。」・・・・・
まるで擬人化を、想定していたかのような実話。
それが最先端の科学者の言葉であるだけに、事態の受け止め方とその表現につくづく感心した。
チームにとっても、「はやぶさ」は、もはや冷たい金属製の工学技術の塊を越える存在になっていた。
だからこそ「へその尾」とか「形見」とかいうような表現も生きているのだろう。ビジネスを超えた、深い一体感がある。
実際、予測を超えたトラブルの連続だった。
イオンエンジンや姿勢制御装置が故障、燃料漏れ、イトカワでの着地失敗、バッテーリーの枯渇、そして致命的な通信途絶などなど。そもそも地球との交信に往復40分もかかる、はるかな遠距離だった。
最大の難所イトカワ「着地」に再挑戦して成功した直後、喜んだのもつかの間、今度は致命的な通信途絶を起こし、一時は行方不明に陥った「はやぶさ」。
もうアウトかとさすがに皆が思いつめた。
大宇宙を相手に気の遠くなるような苦心惨憺の補足劇。
試料が本当に採取できているかどうかも、最後まで確定できなかった。
こうしてからくも危機をくぐり抜けて来たものの、ほとんど満身創痍の「はやぶさ」は、それでも、息も絶え絶えのなか、ついに故郷・地球の近傍にまでたどり着いた。
そしていよいよ大気圏に突入する直前、「はやぶさ」は最後に感動的な映像メッセージを地球に送ってきた。まるで永遠の別れを告げるかのように。
これを見て多くの人が涙した。
あえて今わの際の「はやぶさ」に地球を撮らせたのも、そうした日本人ならではの感性が強く反映しているのではないだろうか。
「地球を見せてあげたい」。プロジェクトリーダーの「はやぶさ」への熱い思いやりだったらしい。
神々しい瞬間、巧まざる演出効果だった。
その直後、漆黒の闇の中、最後の光芒を放って「はやぶさ」はまさに「散華」した。そのとき同時に、まるで「我が子」を産み落とすかのように、「宝のカプセル」(イトカワの微粒子が確かに入っていた!)を地上に送り届けてくれた。
美しい感動的な光景だったと思う。
まるで母親が子供を残して先に逝ったようなイメージを連想した、という女性が多い。
「はやぶさ」の擬人化は、その死と再生のドラマへと昇華したのではないだろうか。
日本人の美意識を強く喚起した瞬間だったのだろう。
翻ってもしも、「はやぶさ」が生き残ったとしたらどうだろうか。
もちろんそれでも「はやぶさ」の快挙に変わりはないが、受ける印象は全く違う。変わり果てた姿でも、それなりに大切に保存されただろう。
しかしそれは、熱烈な映画ファンが、実物の俳優に出会ったときに生む、ある「違和感」に似た感情を生じる場合が多い。
すでに各自の心に「はやぶさ君」のイメージが定着しているからだろう。
「散るべき時に散る」のは古来、日本人の美意識だ。
だから桜が国花なのだろう。
「はやぶさ」はまるで「散り時」を心得ていたかのようだ。自らの「死」と引き換えに、新しい「生」を残した。
この「工学実験探査機」は、いかにも日本人の古来変わらぬ心象を巧まずして演じきってくれたといえる。
美意識の期待に応えるためには、逆説的だが消えるしかない。そうして初めて美しいイメージが永遠化するのだ。
スペースシャトルのように再利用できるロケットではない。
広大な宇宙の闇のなか、小さな体で絶体絶命のピンチをたびたび乗り越え、帰還した直後に力尽き、自らの分身(カプセル)を産み落として、最後の煌めきを放ちながら燃え尽き消える、というストーリー。
それが我々の心底に流れる、ある種の美意識を強く喚起したのではないだろうか。
日本人好みだと言って良い。
21世紀の科学技術の叡智を凝縮した「はやぶさ」の、奇跡の大活躍と帰還を通して、我々の心に生じたイメージが意味深い。いみじくも日本人の伝統的な死生観や美意識が、集合的無意識として表出された社会現象だったのだろう。
それはある面で、民族が歴史的なピンチにあることも示唆しているのかもしれない。
「はやぶさ」の名前は新探査機「はやぶさ2」に引き継がれ、この秋、新しいミッションに向かって旅立つ。
今度はどんな物語を紡いでくれるのだろうか。