アメリカ現代史瞥見━「ケネディの道」と「2039年の真実」

ソレンセン著「ケネディの道」(弘文堂新社 昭和44年刊)

古典的な名著とされている。
確かに、いちど読み始めると思わず没頭してしまう。

若くて清新、理想主義的な大統領に仕えた側近が、政権の史実を生き生きと書き残した。

J.F.K
J.F.K

ソレンセンは J・F・ケネディの上院議員時代から暗殺事件まで11年にわたり、ほとんど「黒子」として仕えた。

大統領に就任した61年1月からの1000日間。
当事者ならではのリアリティーがある。
私はまだ小学生低学年だった。

本土は戦災を受けず、二度の世界大戦の決定的な勝者として史上かつてない栄光を手にしたアメリカ合衆国。とくに第二次大戦後は荒廃したヨーロッパやアジアを尻目に、世界史の主役に踊り出た。将来とも人類の歴史で、これ以上のスパー・パワーは出現しようもないだろう。そのエネルギーと繁栄、そして「自由」にみなが憧れた。
ニューヨークの「摩天楼」や豪華絢爛たるハリウッドの世界などもその象徴だった。

しかし、若い人工的な多民族国家は、それゆえに複雑で深刻な内部矛盾も抱え込んでいたのだろう。

ヨーロッパ戦線の英雄だったアイゼンハワー自身が、大統領離任にあたり率直に表明したように、戦争ビジネスで肥大した「軍産複合体」が大統領ですら手に余る「怪物」になっていたという。巨大な利権パワーは国政に重大な影響力を発揮した。決してやわな話ではない。
ケネディ政権は、その負の遺産を背負わざるを得ないめぐり合わせでもあった。
戦後の東西冷戦構造。米ソ超大国が互いに有り余った戦備を抱え込んでにらみ合い、その緊張関係はやがて一触即発のレベルにまで達していたようだ。平和を望む声が核戦争による人類の破滅を危惧していた。

ケネディ政権の閣議
ケネディ政権の閣議

特に62年10月のキューバ危機では核戦争の危機が最高潮に高まり、人々は人類滅亡の淵を覗いたといっても過言ではなかった。キューバ周辺海域でアメリカが発動した海上封鎖では、ソ連潜水艦の核ミサイルボタンが押される寸前にまで至ったことも後年に判明している。
一方、沖縄の米軍核施設(32基)も発射寸前にあった。嘉手納基地に配備されていた「メースB」にいたっては誤った発射指令まで出ていたなどという戦慄の事実も検証で明らかになった。背筋の凍るようなクライシスだったのだ。子供だった私は、もちろん何も知らなかった。

政権発足直後の理想に燃える若き優秀な政権スタッフたち(当時、ベスト&ブライテストと呼ばれていた)の、緊迫した姿も鮮やかに記されている。
軍の最高司令官=大統領を囲む閣僚たちの真剣で熱い会議録は、今読んでも生々しい。
あたかも全人類の運命がかかっているような重みがあった。

<冷戦思考の見直し>

そもそも新政権の歩みは、始めから平たんな道ではなかったようだ。

まず、就任直後の61年4月、アイゼンハワー政権から引き継いだキューバのピッグス湾侵攻の大失態。
就任100日の「ハネムーン期間」のはずが出鼻をくじかれたケネディは政権の危うさを胆に銘じたことだろう。この後始末をめぐって軍やCIAとの深い確執を生んだといわれる。
大統領自身はこの挫折から、従来の冷静型思考に引きずられる危うさを強く実感したのだと思われる。分別を失えば核戦争と人類の破滅の道につながる。

ここに硬直した二項対立の外交政策を見直し、新しい発想で局面を打開しようとするケネディの本格的な戦いが始まったのではないだろうか。そこには、理想に向かって困難にあっても現状に甘んじない若さ、革新性があった。人類存続の責任を担おうという気概があったと思う。了見の狭い「アメリカ・ファースト」ではない。それは、もとをただせばアメリカ建国の理想に淵源を発していたはずだ。
圧制からの独立と自由獲得の戦いはまた、「フランス革命」の精神をも引き継いでいたと私たちは学んだ。だから「自由の女神」はフランスの贈り物だった。

しかし、大戦の成功体験に慢心した軍やCIA、FBIなど既成の保守勢力が呼号する声高な「主戦論」は「覇権主義」に傾き、若い大統領の理想主義との摩擦は深刻な政治対立に発展したようだ。その攻防が、手に取るように読み取れる。
大統領を中心にした新政権の人々の、既成概念にとらわれない現実的で合理的な判断力、核兵器の本質をとらえた認識、そして何よりも人類全体への旺盛な責任感と行動力が読み取れる。
キューバやベルリンでも、このスタンスがすれすれの危機回避に効奏したように思う。

やはり今日の目に余る劣悪な政治家(屋)たちとは「格」の違いを感じる。
その原因はどこにあるのだろうか。これから始めるブログの一つの問題意識もそこにある。

<最悪の事態を克服>

ソレンセンの語るキューバ危機の史実は、筋書の荒っぽい戦争映画なんか足元にも及ばないほどリアリティーがあると思う。読んでいて「手に汗握る迫真性」とは、まさにこのことだろう。

フィデル・カストロ
フィデル・カストロ

実際、当時のマクナマラ国防長官はこの時の切羽詰まる危機感を別著でこう証言している。
・・・・・「1962年10月27日の金曜日の夜、床に就くとき、私は次の土曜日まで生きていないかもしれないと思っていた。」と。
「果てしなき論争」 2003年共同通信社刊

時の核超大国・アメリカ国防長官が、人類絶滅の危機をひしひしと実感するほどに事態は深刻だったのだとわかる。

ウイーン会議での両首脳

まことに一触即発のところで人類の破局は回避されたものだと思うのだが、当時小学生だった私には、ほとんど記憶がない。

もしもあのとき、アメリカがケネディ政権でなければ、そしてソ連がフルシチョフ首相でなかったら、それに後述するように両者の間に「人間としての相互信頼」ができなかったら、人類はどうなっていただろうかと今更ながら思う。
これはそのまま現在の政治にも教訓になると思う。

マクマナラは当時、この戦争に「勝者はない」と分析して見せた。たぶん、フルシチョフも同じ認識だったのではないだろか。第2次大戦の悲惨さを身で体験していた。
当時の両大国の核戦力からして、戦争になれば億単位の犠牲者が予想されたのだった。そうなれば、確実に人類は滅びたことだろう。
しかし、両国とも内政では勇ましい「主戦派」が優勢だったのだろう。

よく目にすることだが、最終責任のない感情論が陥りやすい「悪弊」。そこに「ポピュリズム」の悪しき特徴があると思う。一言で言えば「無責任」だろう。

話は日本の江戸時代初期になるけれど、木曾三川の治水灌漑を徳川幕府に強制された島津家中の国元での評定ともよく似た経過であることが興味深い。口角泡を飛ばす主戦論が勢いづいて、その感情論に全体が流されるときこそ危ない。藩の勘定奉行・平田靭負の沈着冷静な判断力、勇気と責任感の偉さはここにあると思う。それが島津家を救った史実。時代も国も異なるが、単純化すれば方程式はよく似ている。

同じく、勝算のない戦争政策に陥った昭和初期の日本も、「国家神道」の毒素が全身にまわって理性を失ったことが原因だろう。冷静な議論ができなくなっていた。居丈高な武断の風潮が跋扈した。まともな指導者は表舞台から追いやられた。それを大部分の国民が喝采したのだ。ジャーナリズムの無責任もあった。
吉田茂元首相が「あのころの日本は精神に変調をきたしていた」と述懐していたと聞いたことがあるが、妙に納得性があった。
軍国日本の「狂気」は局面打開のつもりで、窮鼠猫を噛むような国策上の大失敗を犯したのだが、それは冷徹な国際政治のパワーゲームにたけたルーズベルトやチャーチルの術中に嵌ることでもあったといえないだろうか。その結果が未曽有の亡国を招いた。

これは、昨今の険しい感情論にもあてはまる。
遠吠えだけは勇ましいが、その実は無責任な毒文が言論空間に拡散している。けばけばしいタイトルのトンデモ本・雑誌がまるで粗悪品の「たたき売り」のように書店の店頭に溢れている。
こんな思考停止状態に身を任せてはいけないと思う。
そのあげくに劣情に迎合するデマ政治屋を選んでは、結局有権者が大損害を招くのだと思う。

このときのアメリカも二つの大戦で連合国側の勝利を決定づけたと自負していただけに、軍首脳部にはそうした粗暴な全能感にとらわれていたことだろう。最近、オリバー・ストーン監督などは、そうした従来型の史観に説得力のある異論を唱えている。決してアメリカ独りが勝者ではなかった。
監督が指摘するように、実は多大な犠牲を払ったソ連の粘り強い徹底抗戦がなければ、連合国側の反転攻勢はもっと深刻な困難に遭遇していたことだろう。
我々は西側(特にアメリカ)からの意図的な洗脳を刷り込まれ過ぎてはいないだろうか。これも冷戦思考の惰性かもしれない。中国の長期にわたる辛抱強い抵抗が日本の侵略政策に重大な支障を生じさせていたといえる。

ところでキューバ危機では、米国とソ連の圧倒的な力が世界をくっきりと二分していたがゆえに、最終的には両大国の指導者の政治判断に事態の帰趨が大きく収斂したと思われる。
事件が勃発した時、地球規模の危機を一身に背負うような深刻な緊迫感と孤独感が政治指導者の肩にはのしかかったことだろう。逆に言えば、その危機意識を相手の中に共有できると発見できたからこそ、からくも破局を回避し得て事件後のデタントの道も開けたのではないだろうか。
この時代の人々は、それぞれの立場で悲惨な第2次大戦を実体験していた。

フルシチョフが回想録で、ほとんど手放しでケネディを讃えている事実には、体制やイデオロギーを超えた「人間の信頼」が感じられる。それがいかに「国際の安全保障」の秘訣であったかを示唆していると思う。

やはり、政治指導者のキャラクターは大きい。
思想信念がないので、大衆の情緒だけにおもねり、右顧左眄する安っぽい政治家(屋)が多いように見える。

自分のほうから相手を刺激しておいて「対話の窓口は開いている」などという欺瞞的な口舌を弄する外交センス。勇ましそうに見えるが、思想的な裏付けのない軽い言葉には、安っぽい政治センスが透けて見えてしまう。
官僚たちも権力への阿諛追従・・・・最近は「忖度」というのだそうだが・・・・に浮き身をやつしている輩が多いのだろうか。国家の行政を担う信念や気骨はうかがえない。公文書の改ざん、ウソ、言い逃れが目に余る。そもそも国会をバカにしているようすらに見える。その国会じたいがまるで「鳥獣戯画」レベルに思える。

むろん選挙で選んでいるのだから、政治の劣化は有権者の責任だろう。
素人なので、精密には論証できないが、根本的な「世直し」は最終的には広い意味での「教育」にたどり着くのではないだろうか。

本題に戻ろう。

本書は大統領暗殺直後の出版だから、その時点ではまだ生々しすぎて書けなかったこともあると思われるが、今読み返してみて、やはり20世紀の貴重な記録だと思った。

<アメリカの凋落>

自分自身の記憶をたどってみても、63年秋の大統領暗殺は印象深く覚えている。
ちょうどテレビで日米衛星放送が初めて開始された折の、最初に飛び込んできたアメリカのニュースがケネディ大統領暗殺事件だった。
テレビ画面に登場した、アメリカ人アナウンサーの流ちょうな日本語にも素朴に驚いた(実は同時通訳だったようだが)が、その口にしたニュースがなんと「大統領暗殺事件」だったから、子供心にもその驚きが強く刻印された。

実際、後から見ると、ケネディ暗殺後のアメリカの歴史はあきらかに暗転したように見える。直後のベトナム戦争への介入で取り返しのつかない深手を負った。ロバート・デ・ニーロ主演の映画「タクシー・ドライバー」(76年)など、その事情をよく反映しているように思った。

多くのアメリカ人が今もなお、ケネディ時代の理想主義、平和志向を懐かしむのも無理はない。この時代を頂点にしてアメリカは坂道を転がり落ち始めたように感じられる。それを登場する大統領の質が象徴しているように思える。

第2次大戦の栄光も、ベトナム戦争の泥沼に足を取られて、あっという間にかき消えて泥だらけになってしまった。最大55万人の米軍を投入したベトナム戦争。世界中で反戦運動が拡がった。
それほど国の威信は傷ついた。人々は自信を失い、社会は混乱し、世論にも深刻な分裂と対立が露呈した。アメリカ人の表情が険しくなった。

まさに、現代アメリカ史の分岐点に62年11月のケネディ暗殺事件があった。その後の大統領には、ケネディほどの存在感やメッセージ性を発信できた人は少ないように思う。「政治」は次第に大衆迎合に傾き矮小化していったのではないのだろうか。一言で言えば「指導性」の喪失。ケネディと今の大統領の表情を比べてみると、英語をあまり解さない自分でも、そこに「落差」を感じてしまうのは誤解だろうか。

ケネディに僅差で負けたニクソンの陰気な暗さや、レーガンの中身の薄い大仰なパフォーマンス。私はなんとなく「嘘くさいな」と冷ややかに見てきた。
映画俳優が大統領になる時代。「役者」と「政治家」の境界が曖昧になったことも、プロの政治家の劣化がもたらした皮肉な現象なのかもしれない。

日本も同じような傾向が顕著だ。劣悪な世襲議員や人間失格者が多いことは、やはり全体として「停滞」の反映なのだろう。

良い意味でエリート政治は終焉を迎えたのだろうか。

<暗殺の深層>

ソレンセンの「ケネディの道」に刺激されて落合信彦著著「2039年の真実」を久しぶりに再読した。著者畢生の力作だ。
作家・落合信彦氏は当時、留学先のアメリカの大学のキャンパスにいた。そして、この暗殺事件の報に衝撃を受け、嘆き悲しんだ多くの同世代の学生たちの姿をその場で目撃している。
世界的なショックだったのだろう。

卒業後はケネディ政権で司法長官だった弟のロバート・ケネディの政治姿勢を意気に感じ、大統領選挙にボランティアとして参画した。それが青春の発露だったようだ。
R・ケネディの体を張った命がけの行動、「リベラル」な志向に感激した著者は、勝手に自分の「師」と決め込んでボランティア活動に没入していった。青年を引き付ける魅力が、ケネディ兄弟にはあったらしい。

それだけに、劣勢をはねのけて勝ち進み、民主党大統領候補指名を目前にして、落合の眼前でR・ケネディが暗殺された衝撃も大きかっただろう。

R・ケネディ暗殺
R・ケネディ暗殺

68年6月、 この時のテレビ報道も記憶にある。撃たれた直後、仰向けに倒れたR・ケネディの眼は空を睨んでかっと見開いていたことを記憶している。

そこから著者は持ち前の侠気、行動力を発揮して、まずは兄の暗殺事件の真相に迫る。
ライフワークに近い作品だ。

調べるに従って、かなりな無理筋の「オズワルド単独犯説」で強引にケリをつけ、暗殺の真相をもみ消そうとはかる大きな陰謀の輪郭が透けて見えてくる。
上は政府から下はマフィアにまでに至る、大がかりな謀略ネットワークの存在が浮かび上がってくるというのだ。

これが真実だとすると、その規模からいって、ほとんどクーデターに近い。
著者は自分の誇大妄想ではなくて、確かな裏付けのある証拠の発掘と、これに基づく緻密な推理からたどりついた「真相」だと主張する。
報告書を作成した「ウオーレン委員会」の、筋書の粗さや欺瞞性を的確に暴いている。
同時にそれは、アメリカ社会の深い闇に差し込む探求となった。

当時ですら様々な憶測が流れたが、今日、「オズワルド単独犯説」を信じているアメリカ人は少ないという。

ウオーレン委員会の後に編成された下院委員会の報告でも、結局は尻すぼみのオズワルド単独犯説に落ち着く。それでも、ウオーレン委員会の報告にはない、いくつかの疑問点も提出された。
ただし、それ以上の追求をしていないので、中途半端でお茶を濁している印象は免れない。

その後も、各方面から様々な謀略説や複数犯暗殺説が公然と主張され、ギャリソン検事のように裁判にまで持ち込んだ人物もいる。これは「JFK」という映画にもなった。ギャリソンの売名行為だという批判もあるが、それ相応の関心を集めたのは皆が政府の公式見解を信じてはいないからだろう。
そこには「ケネディ神話」へのある種の郷愁も感じられる。アメリカの栄光を取り戻したいという心情が広く潜んでいるのだと思う。

ケネディ兄弟
ケネディ兄弟

自分たちの結論に都合の悪い情報には意図的に目をつぶり、ひたすら真相を覆い隠そうとするかのように見える政府報告書。

反ケネディの包囲網は厚い。
ケネディ兄弟のリベラルな政治傾向を危険視する保守派や軍産複合体。キューバ侵攻をケネディに妨害されたと恨むCIAや亡命キューバ人たち。ケネディ兄弟を毛嫌いしたFBIの独裁者フーバー。そして、不倶戴天の敵、地下組織マフィアなど。
さらに、当時昂揚を見せていた「公民権運動」に、ケネディ政権が連邦軍を動員して(アラバマ州立大学)まで全面的な支援を行ったことへの感情的反発。
68年にはマーチン・ルーサー・キングJrも暗殺されている。「アメリカ合衆国」の国家原理をめぐる闘争だともいえる。
つまり、ケネディ兄弟の周りは二人の存在を厭わしく思うイデオロギー上の敵対勢力の厚い黒雲が十重二十重に取り囲んでいたと言って良い。暗殺の動機には事欠かなかった。

逆に言うと、ケネディらは理想を目指した「改革者」だったのだと言えるのだろう。

米政府の調査報告は、これ以上の議論を封印するためか、ジョンソン大統領によって2039年まで封印された。だが、2039年になっても真相は暴かれまい、と著者は言う。
※最近、トランプが大袈裟に情報公開を公言してみせたもののたちまち撤回。やはり全面開示とまでは至らなかったようだ。肝心なところは国家機密を盾に非公開なのでよくわからない。

著者によると、ケネディのために大統領選で苦杯を舐めたニクソンが大統領のときに、肝心な情報は抜き取られ、消失した可能性が大きいのだという。ニクソンも又、共謀者の一人ではないかと推理しているのだ。
暗殺の実行部隊ではないかと疑われる人物たちの中には、ニクソン政権の「ウオーターゲート事件」実行犯と重なる者がいるらしい。

はじめから単独犯と決め付けられ逮捕されたオズワルドは、二日後にダラス市警察本部の地下駐車場でルービーという男に射殺された。時を経ずしてそのルービー(かなりいかがわしい素性だとされる)も殺されるという次第で、次々と有力な証言者が、まるで口封じのように16人前後殺されたり原因不明の事故死を遂げていく。
このミステリアスな「怪死」の連鎖は、安っぽい犯罪ドラマよりも迫力がある。

迫真の調査と推理は著書に譲るとして、この著作は現代アメリカを学ぶためにも、とても良いテキストだと思われる。
専門家ではない自分としては、結論は慎重に留保したいと思うが、現代アメリカ史を考えるには好著だと思った。

ケネディ夫妻
ケネディ夫妻
Kennedy funeral
Kennedy funeral

いずれにせよ、この時、アメリカ自体が大きな歴史の曲がり角にあったと言えそうだ。

面白いことに当時の日本の新聞論調は、ステレオタイプな左翼的世界観に偏っていたためか、当初のケネディの評判は決して良くなかったという。

<アメリカ現代史の見直し>

映画監督オリバー・ストーンは、自らも出征して苦い体験をしたベトナム戦争をはじめ、「アメリカの正義」そのものの見直しを主張している。「建国の栄光」すら、先住民族にとっては残酷な侵略史であったとする根本的な批判を展開した。
こうしたラジカルな問題意識が登場する理由も、よくわかるように思った。
隆盛の頂点を極めた栄光の50年代から60年代前半。

ケネディ記者会見

ないものねだりかもしれないが、もしケネディが生きていれば、そしてせめて弟のロバート・ケネディが健在であれば、こんなことにはならなかっただろうと嘆く人々は多い。
「なぜアメリカはこんなに悪くなってしまったのだろうか。」と。

それでもやはり、なんとか復元力を発揮してもらいたいと願う。
占領後のアメリカの「洗脳」が上手だったのかもしれない。あんなに酷い目にあわされた惨めな敗戦国に生まれ合わせた子どもたちだったが、それでもやはり「アメリカ」は憧れの国だった。