翌早朝、田辺駅前6時25分発本宮行のバスに乗るべくバス亭に並んだ。
乗ってみて驚いたことに、私を含め3人ほどの日本人を除いてあと20人近い乗客は欧米人ばかりだった。車内で語られる言葉はたぶん、英語とスペイン語だろうか。乗員は運転手ひとりだけのワンマン・カーで、正面左上に掲げた四角の表示ボードは日英語で停車場名と出発からの乗車料金だけは記している。
大阪・心斎橋筋あたりを、コロ付きの大きなキャリーバッグであたり憚りもなく声高に話しながら闊歩するアジア系外国人の姿とはまったく趣を異にする観光客ばかり。ひとりの日本人案内役を中心にした数人のグループもある。
5月の強い日差しを避けるためにサングラスをかけ、トレッキング用の杖を持ったバック・パッカー風の西欧人が多い。なかにはひとり静かに窓外の雄大な景色を眺めているいるおとなしい雰囲気のひともあって、私にはむしろ親しみが湧く。
せちがらくない。
昨晩同じ宿舎だったので顔なじみになった若い女性に、どちらから来たのか尋ねてみると、フランスの「ノルマンジー」だという。私が反射神経的に第2次大戦の「ノルマンジー上陸作戦」のあたりかと尋ねてみたら、そのイメージの貧しさを補うつもりからか、「モンサンミシェル」の近くからやって来たという。私が知ったかぶりで「ああ、海に浮かぶテンプルだね?」と応じると「アビー」と返ってきた。
つまり、キリスト教の修道院だというのだろう。
なぜわざわざこんな極東の果ての山奥まで来たのか聞いてみたかったが、彼女は「Kumano」の景色はとても素晴らしいと満足そう。
そして、「Hosshinmon-Oji」(発心門王子)で下車するのだという。この熊野古道を私などよりも予め詳しく調べてからきている様子だった。
彼らはたぶん自らの位置情報を確認するのだろうスマートフォンの画面をしきりに見やりながら、掲示板を見て車内アナウンス(バス停名を読み上げるだけ)に聞き耳をたてている様子。
こんなに「熊野古道」が欧米人にポピュラーな観光地になっているとは知らなかった。
途中の温泉地バス停で三々五々下車してゆく人も多い。そこで逆に乗車してくる客もやはり欧米人が多くて、私の観察していた限りではアジア系の外国人はほとんどいない。
このことは大いに考えさせられた。
同じ訪日外国人でも、日本にもとめているものがかなり違うのだろう。
熊野古道の終点「本宮」まで二時間あまりの山道は快晴で、新緑が陽に映えて美しかった。昨日急峻な山道で懲りたこともあるし、今日中には紀伊勝浦にまで行きたかったので古道歩きは次回に譲り、ともかく終点本宮まで乗り続けた。
お目当ては、限られた時間内で本宮大社や大斎原、そして世界遺産熊野本宮館という展示施設を初めて見学すること。
到着してさっそくバス停近くの小さなコインロッカー室を見つけ、まずは大きな荷物を外して身軽になろうとしたときだった。
私の前にいる体格の大きな欧米人女性が、何やらコインロッカーの扱いで困っている様子だった。一番大きな500円のロッカーがうまく閉まらないというのだ。
見かねて私が代わりに試してみても、やはり100円玉がうまく入らない。隣のロッカーもだめ。300円とかの小さいロッカーはできるが、この人の荷物は大きいのでどうしても500円のボックスでないと収納できない。これは弱ったなと思って改めてロッカーを眺めてみると、なんと珍しい「500円玉専用」のロッカーだった。これは不便だ。彼女も私もたまたま500円玉は持ち合わせていない。
すぐ近くの売店に入り、主らしき女性に500円玉の交換を頼むと、いかにも面倒くさそうに「うちも500円玉ありません」とにべもない返事。
この山奥でこれは不親切だ。
協力者の私を見かねてだろう、その外人女性は「あなたの時間を無駄にして申し訳ないから、もういい。ありがとう。」というような話(英語だった)になり、結局私は何の助けにもならなかった。
細かいことかもしれないが、はるばる遠い異国からやって来た観光客には、設備も含めてもっと親切な配慮をするべきではないかと思った。
大斎原(おおゆのはら)
周囲にこれといった建築物がないので、なおさら大斎原(おおゆのはら)の鳥居の巨大さ(高さ34メートル)は際立つ。参道の周りは手入れの行き届いた美しい水田が碁盤目状に並ぶ。素人ながらたぶん「神田」なのだろうと見当がついた。
近づいてみると、素材は比較的新しいコンクリート作りに見える。その鳥居の中央にはあの「八咫烏」が刻印されていた。
無知な私は、最近まで日本サッカー・チームのマークの由来がここ熊野にあるとはついぞ知らなかった。
熊野本宮大社
八咫烏は熊野大社にもあった。
神武東征の物語で、八咫烏が紀伊半島を案内したというエピソードがあることからして、古代の人にとってはカラスは神聖な鳥なのだろう。
この三本足のカラスはとても愛嬌があって楽しいが、ほんものは都会のごみを荒らす「害鳥」のイメージが強い。ヒッチコック映画「鳥」でもカラスは気味の悪い描かれ方だったし、何よりあのてかてかと黒光りした風体が生理的に受け付けがたい。
もともと本宮大社は大斎原の後ろに鎮座していたようだが、この地は熊野川の中洲になるので古来から増水による災害が多かったらしい。明治22年の大水害を期に現在の地に移動したものだという。
なぜこんな水の難所に大きな社を祀ったものなのか、理由はよくわからない。かつては橋もなくて、この川を渡るときに「清め」て社殿に詣でたのだそうだが、それがひとつのヒントになるのかもしれない。
さらに言えば、この不便な山奥の地がなぜ古来からの「蟻の熊野詣」の終着点とされたのかという素人っぽい疑問が浮かんだが、とりあえず今日のところは先を急いだ。
大斎原から北へ徒歩15分ほどの本宮大社を上下する長い石畳の階段では山伏姿の人もいた。
数年前、大阪・阿倍野橋から吉野方面へ向かう私鉄快速急行でたまたま眼の前の席に乗り合わせた立派な山伏姿の人が、電車が出発するやいなや車内で弁当をむしゃむしゃ食べはじめ、終わるとすぐにこくりこくり居眠りを始めたのに驚いたことを思い出した。
ここの修験者はどうなのだろうか、などと関心が湧いた。
ところで、以前から知りたかった「熊野九十九王子」という場合の「王子」という呼称について、展示館では以下の通りの説明文があった。
「中辺路では、熊野神の御子神を祀った『王子』が点在することが最大の特徴で、その多さから『熊野九十九王子』と呼ばれている。王子では上皇及び貴族の参詣の際、修験者に従い奉幣や読経といった神仏混淆の儀式や法楽のための舞、相撲、和歌会などが随時行われた。」
という。
なるほど、こうした参詣途中でのイヴェントも大事な行事だったのだろう。しかし、それが一部の貴族のためにだけに費やされた人的物的なコストを思うと、風流だとはいえ合理的な思考になれた私のような現代人には、何かしら割に合わないような気もする。
それから、フランスからピレネー山脈を超えスペインに至る世界遺産「サンチャゴ・デ・コンポステーラ 巡礼」のパネルが簡単に展示されていた。自分の無知を告白することになるが、西欧の人々にとって山岳巡礼は今に伝わる一つの宗教的文化的な伝統なのだと初めて知った。
ここ「熊野古道」に、西欧人がはるばるやってくる動機のひとつもここにあるのだろうと思い至った。
ともあれ、新宮経由で紀伊勝浦に至るバスに間に合うまでの時間内で三箇所をあたふたと見回ったことになる。
本宮からは熊野川沿いの雄大な景色を楽しみながら、新宮経由で那智勝浦にたどり着いた。
今日はここで投宿して、翌日早朝の那智の滝行バスに乗る予定なのだが、そろそろ不足してきた身の回りの衣類や食料品を手に入れるため、駅から徒歩20分くらいにあるという大型スーパーマーケットで買い物をした。
こうした地元の事情は駅ナカの観光案内所が親切に教えてくれる。
そこの陳列品を見ていて、発見したのはこの光景。
ムカデ退治の商品がこんなにうず高く積み上げられて販売されているのは、都会暮らしの自分にはなかなかの「奇観」。
果たして今晩泊まる予定の民宿には出ないだろうか、などと少し心配になってしまった。