那智の滝と紀伊松島

JR紀伊勝浦駅前から那智の滝までの、乗り合いバスから見た窓外の景色は明るい新緑映えが続いて、とても爽快だった。

平日早朝の乗り合いバスだったからか、乗客は私一人だった。

終点で降り長い石の階段をのぼると寺院や神社の鳥居などがあって、やがて奥に滝が見えてきた。

小学生の頃、家族旅行で見た那智の滝の記憶がうっすらと蘇った。
確かにこの風景だ。絵葉書にもよく使われる馴染みの絵柄。

実は神社の境内地だったのだ。
滝それ自身を御神体と崇めるのは、やはりこの圧倒的な瀑布の威容が人間業を超えたパワーを感じさせるので、自然な崇拝感情だと理解できる。外国人にとってもわかり易いだろう。

しかし境内で販売されていた「おみくじ」を外国人観光客はどう理解するのだろうか。
それにしても、和英文のおみくじ(A Written Oracle)とは面白い。これもグローバル化のひとつなのだろうかと感心した。

なんで大きな犬の絵馬があるのかはじめは不審に思ったが、あとになって今年の干支だと気づくほど、今の私の生活には「十干十二支」は縁遠い。やはり古典に親しむためにももう少し知識と感度を磨かないといけないな、などと反省しつつ歩いた。

那智の滝からの帰るさの美しい「熊野古道」では、巨木の間の石畳を味わい深く踏みしめて森林浴を大いに満喫できた。

都会ではこんな贅沢は望んでもできない。

道すがら、南方熊楠がいっとき住んだという宿所があった。
かねてから関心のある「巨人」の足跡がこんなところにあったのも、自分には新発見だった。
時間を見つけて熊楠を学んでみたい。

ときどき「まむしに注意」などと書かれた立て札がある。
どうやら難敵は「ムカデ」だけではないようだ。そう言えば、昨晩泊まった民宿でも件の害虫が来はしないかと、夜中にふと目が覚めたのだった。
しかし、この南紀地方の人々にとって目下最大の難敵は「地震と津波」のようだ。

道を歩いていても、車両に乗っていても、あちこちに津波対策の掲示板が目につく。今いる地点の海抜を知らせる看板も多い。

とくに東日本大震災以降は南海トラフの危険性が大いに喧伝されているからだろう。

ただ、私が思うに自然とは皮肉なもので、こちらが警戒しているときは姿を現さないように見える。
むしろ無警戒なところを選んで地震が襲来しているように思えるのは曲解だろうか。
もちろん常に警戒体勢を忘れないでおくべきだろうが、なぜか専門家の予測が当たったためしというものもあまり聞かない。それだから「〇〇の予言」などというイカサマが横行する。

「想定外」などという弁解が頻繁に使われるようになったのは、確かあの大震災直後からだった。科学がどんなに進歩したところで、人智を超えた自然の圧倒的な威力にはまったくかなわないのだと思う。
この傾向はたぶん、永遠に変わらないだろう。
人類は自然の猛威からは決して逃れられない。我々が生きている間にたどりつく人智の範囲も、やはりとても限られているに違いない。
むしろ今は、自然を荒らしたぶんだけ逆襲されているようにすら感じる。

実際、この世界がなぜかくあるのか、自分がどこから来たのか誰もわからない。
科学が解明するのは「事実の因果関係」であって、存在論的な疑問にはからきし無力だ。オウム真理教はその間隙を撞いた。
だからこの方面に免疫のない、鋭敏な人のほうが、あえなく絡め取られたのだろうか。

133メートルの大瀑布に手を合わせるのは、そうした人間業を超えたパワーへの畏敬を込めた人間の素朴で素直な「作法」なのかもしれない。
そうすると、それは合理主義に偏した我々が想像するよりも、実は大切な行為なのではないだろうか。
こうした感覚に接し呼吸できるチャンスは都会生活では限られているが、その代わりにへんてこな「都市伝説」やグロテスクな風景が重宝がられるのだろうか。
東京や大阪の猥雑な繁華街や地下街を歩いていると、ときに疲れやめまい、そして漠然たる不安感が涌くのは自然から切り離され人工物のジャングルの中で息切れしているように思える。

ところで、この那智勝浦港を歩いていて「紀伊松島」なる観光船ルートがあることを偶然発見したので、この際即座に乗船してみた。
所要時間は一時間ほどで、多様な変化に富む海岸沿いの景勝を存分に楽しめてとてもお得だった。

ほんものの松島を見たことがないので比較の仕様がないが、確かに名勝だと思う。ふだん味気ないコンクリート・ジャングルの不自然な生活に逼塞している身としては、自然の麗しさを大いに堪能できて嬉しかった。
この景色の優しさと津波の凶悪さとが、まるでコインの裏表のように同時に存するあり方が、自然の厳然たる「実相」なのだろうな、などと思いに耽りながら。