「ローッキード事件」(4)  戦後保守政権とCIA

「岩波書店2016年刊「秘密解除 ローッキード事件」奥山俊宏著」
第6章の内容は、かなり衝撃的だ。

私は本サイトの(3)で
「私達の生きた日本の戦後社会が、あらゆる局面にわたって良きにつけ悪しきにつけ『アメリカ』の強い影響下にあり、その出発点を辿ると敗戦直後に始まった占領政策に多くの起源があると気づく。」
と記したが、そうした漠然たる実感の理由の一つは、まるで向日性植物のように、戦後の保守政権がずっと「アメリカ向き」で過ごして来たという印象があるからだろう。それだけではない。あらゆる情報も、もっぱら「アメリカ」のフィルターでろ過されたものが長らく続いてきたからだろう。戦後生まれの私にとって「アメリカ」は一つの「権威」だった。
この淵源を遡れば、敗戦を招いた日本自身にも原因があるのだから、感情的に反発してみても仕方ない。
ともかく新しい首相が就任すると、たいていはまず「アメリカ詣で」が演出される。まるで江戸時代の参勤交代宜しく「アメリカさん」のご機嫌伺いに出かけるような、ある種の平和な政治風景が続いて来たように見える。その大統領の質がだんだん劣化しているようにも思えるのだが。

だから1955年に成立し戦後長きに渡って日本の政治を支配してきた保守政権とその歴代首相が、本書が明らかにしたように実はアメリカの諜報機関CIAの秘密工作の影響下にあったという、発掘された公文書を目の当たりにしてもなるほどと合点できるものがある。
これを「親方がソ連でなくてよかった」というたぐいの床屋談義レベルにするまえに、そもそも戦後日本の独立国としての「自己決定力」にかかわる根本問題と捉え直す議論もあって良いだろう。
それに、この先戦勝国「アメリカさん」のご機嫌さえ伺っていればいつまでも安泰という国際環境でもなくなりつつある。「アメリカファースト」を公言して世界に不安を与える大統領さえ出てきた。
目覚ましい中国の台頭をどう捉え態勢を仕切りなおすのか。戦後の「常識」が揺らいでいるのだと思う。

そもそも国際関係を、明確なポリシーもないまま右顧左眄するような生き方は、日本人として惨めだ。佐藤政権の時だったか海外から「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」などと、恥ずかしくなるようなおだて言葉に思い上がっていたときから考えると、今やあっという間に国力は長期低迷傾向に陥った。今では小手先の金融操作に偏った「○○ミクス」とやらで株の値段だけ吊り上げて、なんとかお茶を濁しているだけという批判も根強い。それもいたずらに財政赤字を膨らませただけで手詰まり感をかくせない。素人目にも実体経済の内容が良いとはあまり思えない。
この間、いまに至るまで、国際的に評価されるような発信力のある政治リーダーが日本からは出なかった理由も、戯画的に言えば「アメリカさん」の風向き次第という戦後保守政権の基本姿勢に由来するのだろうか。

日本にとって不都合なアメリカの公文書や情報が発掘されたものだが、素性の知れないフィクサー(=国民の信託を受けていない)や政商が、超法規的に暗躍してきた事実が露見したということだろうと思う。国の「自主性」にもとるような秘密が暴露された。
およそ「国政」というものにタッチできる機会をほとんどもたない一般国民にとって、いっそう政治不信が増幅する話だろう。

これまた格調高く「国民主権」を高らかに謳い上げた憲法の前文に大きく違背していると思う。

「・・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。・・・・・」
(日本国憲法前文)
「人類普遍の原理」という高尚な言葉が空々しいいほどだ。とうてい現実感が湧かない。それほどレベルの低い日本の戦後保守政治の現実を、今頃アメリカの公文書できっちり跡づけされたようでなにか情けなくなるが、嘆くだけなら誰でもできるだろう。

冷戦期アメリカの世界戦略は、何よりもまず「反共の防波堤」たる日本の位置づけが優先された。だから日本列島を「不沈空母」に譬えたスローガンも、そうした文脈で読み解くと、アメリカさんのご意向へおもねった旧軍人「負け犬」の尻尾振りにすらみえる。
与えて言えば、保守政権はその秩序を当然の前提に、精一杯日本の生き延びる道筋を現実的に模索してきたということだろう。
しかし、国力こそが彼我の政治的位置、上下関係を決する秩序原理と考える姿勢は、必然的に新興アジアを下に見てきた。それが透けて見えるからアジアの人々から本当の信頼を得られないのではないかと思う。アジア留学生から「日本にカネがある間はちやほやされるけど、なくなれば見向きもしなくなるよ」と厳しく言われたものだ。

憲法広布

もちろん、発掘された資料で名指しされた歴代首相は児玉誉士夫との「不都合な」関係を認めてはいないが、納得性のある反論もあまり聞かない。アメリカ頼みの日本型保守政治がその子孫によって今も惰性的に続いている以上、やはり日本の「戦後」はまだ終わっていないなという感想を持った。むしろ国力の衰退とともに「停滞期」に入ったのではないだろうか。平成時代のひとつの特徴かもしれない。

気持ちは良くないが、少し拾い上げて引用してみよう。

「・・・児玉らは憲法を改定して、再軍備を実現し、反共産の国防機構を打ち立てたい意向だったが・・・」(190ページ)
「・・・・その年(1955年)8月11月15日、民主党と自由党による保守合同が実現し・・・・(党も政府も)どの政治家も児玉と近い関係にあり、自民党は児玉の狙い通りの私党になったといえる。」(同191ページ)

「・・・2006年7月18日、米国務省の歴史担当者は資料集『合衆国の外交』第29巻第2部を刊行し、その中で初めて、CIAによる対日工作の存在を公式に確認した。米政府は1958年から68年にかけての10年間に、『日本の政治の方向に影響を及ぼそうとする秘密のプログラム』として『アメリカ寄りの数人の保守政治家への財政支援』を含む四つの作戦の遂行をCIAに許可していた━━。資料集の『編集ノート』の冒頭にそう書かれていた。」(同217ページ)
また、その前年
「2005年、児玉に関するCIAのファイルの秘密指定が一部解除された。『日本帝国政府情報公開法』という米国内法に基づき、各省庁の高官が参加して作業グループが設けられ、1999年以来、精力的に秘密指定解除にあたったという。2007年10月23日、米国立公文書館からその旨が発表された。」(同216ページ)
そしてそのなかにロッキード事件発覚直前にCIAがまとめた児玉の経歴資料があって、児玉は
「・・・・自民党の結党を助け・・・・数人の首相の指名に参加した」
「児玉は、戦時中に蓄えた富(※いわゆる「児玉機関」の収益だろう 筆者注)と名声によって、戦後政治に大きな役割を果たすことができた。・・・・親友である佐藤栄作、岸信介、鳩山一郎の政治キャリアを押し上げるのに大きな影響を与え、その全員が首相になった。」
また、「日韓関係の正常化に深く関与し金大中事件の解決策を中曽根康弘から求められた」
などと記されているという。(同217ページ)

 つまり1976年当時、米議会上院で児玉とロッキード社の関係が暴露された頃から、CIAはその危機管理のためにその時点から20年前の自らの行為を独自に調査整理して、CIAの手先としての児玉の長年の役割を十分認識していたことになる。
そもそも「『日本帝国政府情報公開法』という米国内法」など、これまで聞いたこともない。まるで宗主国政府がかつての植民地統治に関する公文書や情報を管理・公開するような響きがある。これもいわば敗戦と占領の副産物なのだろうか。

そして今度はその直後の76年4月2日、米有力紙ニューヨーク・タイムズの一面トップに『CIAは1950年代に(※日本人政治家への)ロッキードの賄賂を知っていたとされる』という記事が踊った。それは2月4日、米議会上院外交委員会の多国籍企業小委員会でロッキードが自社製の航空機を売り込むため、日本の政治家に賄賂を払ったと暴露した内容に関連して、それまで隠れていたCIAの秘密工作とロッキード社、そしてその秘密代理人・児玉誉士夫のただならぬ秘密の関係を初めて表に晒したのだ。
ニクソンを追い詰めたワシントン・ポストの活躍を横目に、今度は政府の情報筋にアクセスしたニューヨーク・タイムズの取材力が紙面を飾った格好。
これまた「アメリカ発」だ。

しかし、保守本流ではない三木首相周辺を除いて当時の日米両政府関係者は、CIAの裏工作については終始ノーコメントで押し通す方針だったようだ。むしろ日本側が隠蔽を頼んでいたという事実まで明らかになった。野党の追求を国会審議ではねつけた宮沢外相(当時)答弁が米国から「優等生」宜しく評価されるといった有様だったという。まるで従属国のような姿だ。

さらに見落とせないのは、政界に深く食い込んだ児玉の工作は、丸紅ルートといわれる田中角栄の民間機トライスターよりも更に桁違いに利幅の大きい軍用機のロッキードF104の選定にも及んでいたという事実が発覚。
むしろ、こちらのほうがやはり「本命」「本丸」だったのではないかという疑念が膨らんだ。

「児玉がロッキード社を知るようになったのは、保守合同が実現したと同じ年、1955年で、そのビジネスに関わるようになったのは、58年(昭和33年)のことだった」(同195ページ)
「児玉は『兵器発注に私利私欲は許せぬ』と言い」ながら、その実ロッキード製戦闘機のF104選定過程から暗躍していて、そのつど多額の協力金を同社からせしめ、とうとう年間5000万ものカネをせしめる同社顧問にまでおさまっていた(同196ページ)というのだから驚く。
セスナ機で児玉邸に自爆テロを挑んだ意図もここにあるのだろうか。

また、戦後の日本政界の動向についても、元国務次官補のヒルズマンの証言によれば、アイゼンハワー政権時代(1953-61)に日本の政党からアメリカ政府に資金援助の依頼があったが、その無心の理由はなんと「ソ連政府から共産党の資金が供給されているので」ということだったという。
50年に勃発した朝鮮戦争で、極東の緊張は世界大戦の危機をはらんでいた。CIAの秘密工作とロッキード社、そして児玉誉士夫のただならぬ関係が初めて表に出たのだ。
もちろんこの証言はその時ただでさえロッキードをめぐる賄賂騒ぎのさなかで、三木首相の追求姿勢にもかかわらず、事件の拡大を望まない日米両政府関係者らの隠蔽工作によってからくも封印され続けた。

焦土と化した敗戦国を再建するにあたって、戦勝国・米国の圧倒的な軍事管理下にあった日本が、その力の支配を逃れることなど到底できなかっただろうとは思うが、ここまであからさまな従属関係があったことを暴露されると、やはり日本人としては忸怩たるものを感じる。

その政策の分岐点は1948年ころの占領政策の「転換」にあったという。その兆候が実は戦犯の解放だった。

GHQは1948年10月A級戦犯で巣鴨に収容されていた児玉を「証拠不十分」を理由に不起訴の方針を固めた。
「知日派の米国人たちの間では当時、日本の民主化と武装解除に力点を置いた占領当初の対日政策を見直し、日本を『反共の砦』に仕立てる『逆コース』の方向に舵を切るべきだという意見が強まっていた。そうした政策転換の予兆の一つだったのかもしれない。48年12月24日、児玉は、のちに首相となる岸とともに巣鴨プリズンから釈放された。」(同184ページ)

本書が強く指摘したい戦後保守(反動)政権のいわば「原点」がここにあるのだろう。そしてこの文脈に保守合同が目指す憲法改正の理由も浮かんでくる。保守政権にとって「占領前期の産物」として、とても邪魔で仕方がないのが現行憲法であるということを強く示唆している。
たぶん、この文脈が朝日新聞の戦後史の読み方なのだろうと思う。

確かに「不磨の大典」だとは思わないが、保守政権が唱える改正の動機もあまり適切だとはいえないと思う。これまでの「護憲」対「改憲」の争いの原点は、アメリカの対日占領政策の矛盾からコト起こったのだと言えなくもなさそうだ。

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