高橋和巳「邪宗門」  (5)  神なき戦場

昭和20年はじめ頃、父は支那派遣軍の一将校として中国に出征した。

任地は「軍機」なので事前には教えてもらえなかった。
行ってみてわかったのだが、それは中支の漢口というところだった。「歩兵第二十八連隊の通信将校」だったという。
モールス信号を扱う任務だったと聞いたが、余り実戦の話はなかったから、たぶん戦闘経験は少なかったのかもしれない。
しかし瓦礫に立つ写真が一葉だけ残っている。

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ところがわずか八ヶ月で日本は無条件降伏し、支那派遣軍は国民党軍によって武装解除され、捕虜になり抑留生活に入った。それが1年前後で復員できたそうだから、恵まれていたほうだろう。
シベリアであれば、生きて帰ってこれなかったかもしれない。

東シナ海を復員船で渡り、横須賀港からほうほうの体でたどり着いた故郷・岐阜は灰燼に帰していた
「戦争ボケといってな、しばらくの間はぼーっとしていて、何もする気が起きなかった」と述懐していた。

岐阜大空襲

高橋和巳著「邪宗門」の登場人物・「ひのもと救霊会」出身の貝原軍曹は、激しい戦闘のなかで負傷し友軍からはぐれ、戦死したものと故郷には伝えられていたが、実は生存していた。
そしてやはり国民党軍の捕虜となったのだが、このときはまだ、中国大陸の激しい戦闘は続いていた。

そこから貝原洋一の数奇な運命が始まる。

やがて第一線で日本軍兵士にむけて反戦宣伝をする、工作員としての「教育」を受けることとなるのだ。

捕虜収容所ではかつての(皇軍)将兵たちが、新しい権力者たちを前に「・・・・要領のいい男や卑屈な俘虜は先を競って自分を売り込みはじめ、かつての上官の悪口や日本軍の腐敗を暴露して、歓心を買おうとした。貝原洋一は人々のかげにかくれて、あまりにも変わり身の素早い捕虜仲間の醜態をじっと見ていた。それは戦いそのものよりも、むしろ陰惨だった。・・・・・」
日本人捕虜の惨めな浅ましさは、眼に余るものがあったのだろう。

貝原は普通の敗残兵とは違っていた。
「・・・・彼は天皇制に反抗して弾圧された宗教団体の一員であり、権力者は常に民衆から富を吸い上げ、犠牲を押しつけることも知っていた。・・・・」
やがて、捕虜生活に予想外の変化が起きる。

「・・・・中国側についている才気走った日本人よりもその(教育係りの)丸顔の女子軍将校のきりっとした態度に、なにか心ゆさぶられるものがあって、彼はその女性から毎日二時間ずつ北京官話を習った。」

「・・・・うすうすは初めから解っていたことだが、・・・・反戦の宣伝をする工作員として、貝原洋一たちは訓練されていたのだ。はっきりと教育目的を語られる前から、貝原洋一はそれに気がついていた。しかし、拒否するつもりなら病気や無能を装って避けることもできるその道を、あえて彼は歩んだ。
・・・・(収容所のなかで)一応は平和な生活に蘇った救霊会信仰、一列平等、衆生共存の教えのためではない。ただ何かの信念に輝くその李珪芝という女性の瞳と、なんども繰り返す初歩中国語の発音の美しさに触れている時だけ、生きのびても死んでももはや同じことであり、二度とは故郷を踏めぬ身である自分の<余生>にも許されたある喜びが感じられたからだった。・・・・」

皇軍の兵士として、最も恥ずべき「生きて虜囚」となってしまった貝原には、もはや生きんがための損得勘定なども念慮の外、ただなりゆきというほかない。「生きのびても死んでも、もはや同じこと」だったのだ。

そして貝原洋一が反戦同盟員としてはじめて任務についたのは、長江を下った、そそり立つ山の中腹だった。
はるか眼下の谷間に、日本軍の先遣隊が休息しているのが見えた。

野営する日本軍の飯盒炊飯の煙の消える頃、夜陰に紛れて備え付けたマイクに、担いできた蓄音機で音楽を流す。

第一大戦2

このときの貝原の心理の変化に、著者はあの戦争の不条理さを克明に投影してみせた。

貝原は当初中国軍が予定していた軍歌の替え歌ではなくて、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」を自分が選んで流したのだった。

中国軍から命じられていたのは、「父よあなたは強かった、兜も焦がす炎熱を」という、当時の日本人なら誰もが知っている戦意高揚の軍歌の替え歌だった。
その歌詞は「父よ、あなたは馬鹿だった 兜も溶かす炎熱に 敵の屍とともに寝て」と、軍歌をパロディー化したものだった。

(実際に聞いてみると、戦争を知らない世代の私には、なぜこんな陰鬱な歌が戦意高揚の歌なのか、まったく理解出来なかったが)

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しかし貝原は、その中国軍の女性将校に
「他に歌がないのなら、しかたがありません。しかし『荒城の月』もあるんだから、それを流しましょう。こういう替え歌は、日本の兵士が酒保や慰安所で自分で歌うのならいい。だが、こんな歌が敵側から聞こえてきたらどんな気がすると思います? 人間は自尊心をもつ動物です」
と主張したからだった。
月明かりの洞窟の中で、女性将校の李珪芝は貝原を信頼して応諾した。

「・・・・静まりかえった山中の谷間に、ふいにマイクを通して・・・・」
荒城の月の物悲しい歌が流れ始めた。

「・・・谷間におこった一瞬のざわめきはほとんど手にとるようだった。銃器が触れあう音がし、軍靴が岩を蹴る音、そしておし殺した声で上官が命令する声・・・・・」

  ・・・・春高楼の花の宴、
巡る盃かげさして
千代の松ヶ枝、わけいでし
昔の光 今いずこ・・・・

歌詞が二番に移り、さらに三番に変わるころには、しかしあたりはふたたび深い静寂にもどっていた。
・・・・・そして歌曲の終わり近く、貝原洋一は震える手でマイクを」とった。

「・・・・・『親愛なる日本軍兵士諸君、なつかしい我が同胞よ。・・・・自分は反戦同盟に所属する日本人貝原洋一であります。しばらくの間自分の言うことを聞いてください。この戦争、この殺戮、この流血は、無意味です。・・・・ではなぜ戦うのでしょうか。・・・・・いったい何のために戦うのでしょうか。・・・・・心優しい日本の兵士たちよ。あなたがたは行軍の途次、路傍に伏せる罪もない農夫の屍を見て、焼け落ちた家の前で泣く老婆や幼な児の姿を見て、何もお感じになりませんか。荒れ果てた田畑を見て、心に痛みを感じませんか。風土や言葉こそ違え、人間の悲しみは共通です。両親を失って悲しむ子を見て涙をもよおす気持ちがあるなら、それを我が身のこととして、もう一度なぜこんなことをせねばならぬのかと考えてみてください。
日本の兵士たちよ。あなたがたの大半は農村の出身者です。なぜ鍬もつ手に銃を持ち、同じ農民が労苦して耕す田畑を荒らさねばならないのかを、考えてみてください。
・・・・盧溝橋いらいすでに皇軍の死傷は五十万余・・・・・この広大な土地に、占領はされてもけっして征服されることのない人民が六億もいるのです。百年費やしても、日本が敗けることはなくとも、勝つこともないのです。賢明なる日本の将官方よ。ナポレオンのモスクワ攻撃の悲劇の轍を踏まないようにしてください・・・・』」

切々たる声が谷間の闇にこだまする。心に沁みるような場面だと思う。

荒城の月
このとき、貝原の声が途切れた。

「・・・・彼はなぜか急に胸がつまり、暗夜にひとり涙を流していたのだ。・・・・・
『自分は日本人です。自分はもと第十〇中隊所属の伍長でした。重傷して捕らわれ、そして良心的な、目醒めた人々に導かれて今は反戦同盟の仕事をしております。この声を聞いてください。自分は日本人です。宣伝のために言ってるのではありません。
なつかしい日本の兵士たちよ。すぐに後退してください。あなたがたのいる地点は危険です。明日になればあなたがたは包囲殲滅されてしまいます。何将軍のひきいる湖北軍が、剳門からあなたがたの背後を突きます。欧陽将軍のひきいる、蒋介石麾下の最精鋭部隊も、進撃を開始しました。あなたがたは危険です。』・・・・」

それは、はからずも「魂の叫び」声だった。たんなる謀略宣伝ではなかった。
この予期せぬ変調に、日本軍も戸惑ったのだろう。

「・・・・流れてくる声が最初の宣伝口調から、途中で妙に哀切な口調に変わり、危険を予告する警告が奇妙に具体的になった。それは脅かしにしてははっきりしすぎている。山かげに隠れて野営していた日本軍の大隊は、いつかしーんとしてしまった。・・・・」

「・・・・それは偵察機が観測して無線で連絡のあった敵の大部隊の移動の様子と、符号していた。『捕虜になって、おめおめと、裏切り者が・・・』と吐き捨てるように言っていた部隊長は考え込み、若い中尉がしばらくして・・・・・『あのマイクで警告している元日本兵は、敵に強いられて放送しながらも、原稿に書いてあるのだろうこと以外の事実まで我々に伝えようとしているように感じられます。・・・・あの口調、あのニュアンスは、日本人でなければわからない。魂までが腐っているわけではないらしい。部隊長殿、あれは脅しではなく、敵の動きを我々に逆に知らせてくれているに違いありません』・・・・」

かくして
「・・・・狭いテントの中で激論が深夜まで続き、しかし実戦の経験ゆたかな将校の決断で、その夜、日本軍の大隊は夜陰に乗じてひそかに、師団本部に撤収した。・・・・」

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結局、敵味方とも、少なくとも数百人の死傷者を出さずにすんだのだ。

しかし、貝原の魂の叫びはやむにやまれぬ行為ではあったが、戦争という桁違いの悲惨を前にしては、ほとんど「無力」であることもまた冷厳な事実だった。

不運にも、昭和初期に出くわしたひとりの日本人の悲劇だった。
だから
「・・・・もっとも一時戦闘が避けられたとしても国家と国家の争いは変わりなく続いており、助かった日本の大隊が、その時助かったゆえに、より多くの中国兵や非戦闘員を殺すことになったかもしれない。貝原洋一の行為にはたして意味があったかどうか。それは神にしか判定できない。・・・・・」

と叙述したその直後に、作者は敢えて

天上の一角から、悲し気にこの地上の悲惨を見つめている神が、かりに全能の審判者であるとして・・・・。

とクールに付け加えることを忘れない。
戦場体験者には「神仏の加護」など、あり得ないのだと思う。
神も仏もないのだ。

小説「邪宗門」の底流に漂うニヒリズムの通奏低音が、ここにも響いていそうだ。

思うに、生きのびた人々の多くは「神仏を信じない」物欲至上主義の戦後「高度経済成長」を担ったのかもしれない。

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