ゾルゲの日本研究(1)

昭和16年10月、特高が家宅捜査したとき、ゾルゲの自宅には日本に関する書籍が800冊から1000冊近くもあって、証拠品として押収するのに大いに手間取ったという。ゾルゲは相当の勉強家でもあったようだ。

このころの持ち前の研究熱心さについては、自身の回想で、以下のように記している。

「・・・・私は(第一次世界)戦争の勃発まで、裕福なブルジョア階級に見られる比較的穏やかな少年時代を送った。われわれの家庭には経済上の心配というものはなかった。・・・・・私は15歳という若さで、ゲーテ、シラー、レッシング、クロプストック、ダンテと言ったような難しいものに非常に興味を持つようになり、おまけに、解らないながらも歴史哲学やカントと取っ組んだ。・・・・・ドイツの時事問題については普通の大人よりもよく知っていた。私は長年にわたって政治情勢を詳細に研究していた。学校では『総理大臣』と呼ばれていた・・・・」
(みすず書房「現代史資料1962年 214ページ ゾルゲ手記(二)」)

もともと社会事情や歴史、政治、文学、哲学などに関心の深い青年だったようだ。

ヴィルヘルム2世
ヴィルヘルム2世

カイゼル・ヴィルヘルム2世のドイツ帝国が起こした帝国主義戦争の興奮のなか、春秋に富む18歳の青年ゾルゲは帝国に期待して第一次大戦に志願した。しかし、理想とは裏腹の悲惨な戦争の現実と祖国の社会矛盾を目の当たりにして、おおいに失望したようだ。
この戦争では初めて毒ガスが使用されように殺傷能力が飛躍的に発達した兵器と、非戦闘員まで巻き込む「総力戦」によって、その被害は従来とは比べようもない規模になった。勝っても負けても癒しがたい傷跡を残したのだ。

第一大戦2
第一次大戦の塹壕戦

ゾルゲはドイツ人の父親とロシア人の母親の間に生まれた。時あたかも「戦争と革命の20世紀」の始まりだった。
ゾルゲのアイデンティティー形成の背景になったことだろう。

「・・・・1917年の夏から冬にかけて━━私は大戦が無意味であり、ただ徒らにすべてを荒廃に帰せしむるものであることを痛感するに至った・・・・」(同218ページ)
戦争の実態に幻滅していたとき、出会ったマルクス主義にその矛盾の解決を期待したのだった。

戦場で負傷したゾルゲを野戦病院で熱心に看病してくれた、女性看護師とその父親の医師から社会主義思想を知った。レーニンのボルシェビキ革命の直前だった。
人は「時代の子」だから、生まれ合わせた環境から切り離せない。それが「運命」というものなのかもしれない。
そこで出会った「山」を、ともあれ登った青年を後知恵で冷笑するだけでは大切な教訓を得られないと思う。
所与の条件のなかで、どう誠実に生きたかを考察することには意味があると思う。

「社会主義」に出会って戦争の挫折から立ち上がるきっかけを得たゾルゲは、大学でもおおいに学んだのだろう。

ロシア革命
ロシア革命とレーニン

「・・・・私はベルリン大学でこの思想(※革命労働運動のイデオロギー)を詳しく研究し特にその理論的基礎に力を入れた・・・・この数ヶ月間に私はマルクスの基礎知識を得、実践的思弁方法の基本を会得した。・・・・」
たんなる思弁ではない。
「・・・・ロシア革命の勃発は、私に理論的および思想的に運動を支持するのではなく、みずから現実にその一部となることを決心した。・・・・・いまや第3年を迎えようとしている第2次世界大戦、特に独ソ戦を見るにつけても私は25年前の私の決定が正しかったとの確信を強めている・・・・」(同)

と述べている。
こうと決めたら一瀉千里というところだが、この手記を書いているとき、命を賭して守ろうとしたソ連がもはやゾルゲを正当に報いるとは限らないということを、うすうす感じていたと思う。しかし、「私は25年前の私の決定が正しかったとの確信を強めている」と、自己の思想遍歴を肯定するしかなかったところにゾルゲの悲劇がある、と指摘するのは酷だろうか。彼は最後までイデオロギーの信奉者だったのだ。むしろ、スターリンのソ連こそが「本来の社会主義」を逸脱したのだと考えていたとしても不思議ではないと思う。もちろん、そうは書き残していない。

当初ゾルゲは、巣鴨拘置所の中でもラジオを聴くことができたようだ。読み書きはできなかったようだが、ラジオの日本語はある程度理解できたらしく、独ソ戦の推移に注意を払った。また、取調べ官から、時々その戦況情報を得ていた。

SUGAMO PRISON
SUGAMO PRISON

そして当初の劣勢を跳ね返して、ソ連が反転攻勢に転じる状況に期待をかけていたのだろう。ゾルゲが極東の異国で命をかけて守ろうとしたソ連邦はナチスを駆逐しつつある。いっぽう日本人妻石井光子に語ったように、日米戦は決して日本の思惑通りにはいかないと見通していた。だとすると、いずれ情勢の変化とともに、ソ連の介在が期待できるかもしれない。そこに、状況打開のきっかけを得るかもしれないと、はかない望みを託していたのだろう。

そうしたゾルゲなりの推測の中で進行した予審検事との妥協の産物として、手記は残った。
もともとゾルゲは日本に潜入するためにドイツの有力雑誌の特派員という肩書を得、入国してからは日本事情をしばしば出稿していた。極東の特異な島国の不可解な政治行動が世界の注目を呼ぶなか、日本在住のゾルゲの詳細な分析は、数少ない西欧人の専門家としての名声を獲得した。そしてドイツ大使オットの信頼を得、その支援で大使館内にデスクまで与えられた。ナチス党員の資格も含め、その偽装工作は高度に磨かれていた。

ゾルゲの残した論説を読むと、この時代の日本にあって、ゾルゲが到達した情勢判断のレベルは、単なる情報屋に留まらない水準だったことがよくわかる。それはゾルゲ自身も

「・・・・もし私が平和な社会状態と、平和な政治的環境のもとに生きていたとしたら、多分私は学者になっていただろうーーー少なくとも諜報員になっていなかったことだけは確かである。・・・・」(同201)
と自負しているところにも伺われる。

そして、ゾルゲの手記には、獄中の取調べのなかで当局との妥協で作成されたものなので、慎重に計算したうえで尚且つ正直な告白も語られていると思われる。後世に残ることをも予測していたかのようだ。たとえば「私の日本研究」という章では、こうも記している

「・・・・・私は日本語で書かれた本の外国語版で手に入るかぎりのもの全部、日本に関する外国人の著書のうちで最良のものなどを集めた・・・・私は日本の古代史(それには今でも私は感興を覚える)、古代政治史、また、古代の社会および経済の歴史を大いに勉強した。私は神宮皇后時代、倭寇時代、秀吉時代を詳細に研究して・・・・私は普通の外国人の場合よりも、遥かにたくさんの資料を手に入れることができたと思っている。・・・・以上を出発点として研究に乗りだしてみると、現代日本の経済や政治の問題を把握することは訳もない仕事であった・・・・」(同198-99ページ)

無論、当代有数の論客だった尾崎秀実を協力者に得たこともあるが、ゾルゲ自身は確かに、相当なインテリジェンスの持ち主だったといえる。下斗米伸夫氏の指摘どおり「・・・・ゾルゲは、単なるソ連のスパイというには巨大で・・・」あった。

そもそもこの当時のソ連は、すでに相当な高度諜報国家だったようだ。不合理な精神論を振りかざすアジアの島国よりは、よほど洗練された政治大国だった。

「・・・・ベルリンやワシントンと違って、モスクワは中国や日本のことをよく知っているので、容易なことではごま化されはしない。極東問題に関してソ連のもつ知識の程度は、アメリカ政府やドイツ政府の場合より遥かに高く、モスクワはしっかりした根拠に立ち、周到に計画され、かつ組織立った報告を、数ヶ月の間隔で送ってくるように私に求めていた。・・・・・」(同202ページ)

たとえば、2.26事件を起こした陸軍の内情を当時の日本社会の矛盾の表れとして、極めて的確に分析している。
事件の背景には、当時の青年将校や兵の出身地域、とくに農村の疲弊があった。つまりは軍部の存在自体が大きな内部矛盾も併せ持っていた。軍備の過大な財政負担が農村の荒廃を招いていた。
そして日本は国内のエネルギー膨張のはけ口を、必ず「大陸侵略」というかたちで「放出」するという習性を古来から持っていたという。
ドイツ語でドイツの雑誌に寄稿しているので、語学に不得手な島国国家ではあまり注目されなかったのだろうか。

「現代史資料」のうち、特にゾルゲの日本研究の成果と思われる論文や手記の一部が「ゾルゲの見た日本」としてまとまって出版されている。
(みすず書房編集部偏 2003年)

ゾルゲの見た日本

これが70年以上も前の、それもソ連のスパイとされた在日ドイツ人の研究だと思うと、あらためてその分析水準の高さに驚かされる。

同じ頃、帝国大学の学生として社会学を学んでいた父の話によると、たまたまレーニンの訳本を持っていたというだけで早朝に寝込みを襲われ、特高に拉致されてさんざん暴力的な脅迫を受けた学生もいたそうだ。まさに学問の暗黒時代だったのだ。
そんな時に、在日ドイツ人のインテリジャーナリストで日本事情の専門家としての定評を得ていたゾルゲの論文は、今日からみても、貴重な歴史文書でもある。

当時の日本社会は、狂信的な精神論を振りかざす皇国思想狂や暴力的な軍国主義の圧力で思想的には窒息状態だった。社会科学的な研究はおろか、発表の場もかなり限られていたのだろう。現今のどこかの軍事独裁国家を笑ってはいられない。こうした厳しい情報統制の中で、国民がまともな政治判断などできないまま、あの愚劣な戦争に突っ込んでしまった。とても不幸な時代だったのだ。

ゾルゲの日本研究を自分なりに読んでみたい。

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