漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(4)

「国際スパイ ゾルゲの真実」(NHK取材班 下斗米伸夫 平成7年5月 角川文庫)は、ゾルゲ事件の真実に迫る名著だと思った。

特に独ソ戦(1941年6月22日)勃発前後から約半年の諜報戦は、まさに迫真の史実だったことがよくわかった。
不可侵条約(39年)を一方的に破棄したナチス・ドイツの、不意打ちの大侵略を西から受け、存亡の際に立ったソ連とスターリンの最大の懸念材料は東側の日本帝国の出方だった。日本にどれくらいの「北進」の可能性があるかを探るゾルゲ諜報団の活動が、その真骨頂を発揮したといって過言ではない。

日本国内にも、卑しいことながらドイツの攻勢を「好機到来」と見て、三国同盟を根拠に「日ソ中立条約」を破棄して参戦すべきと公言する者がいた。あるいは、ナチスに食い荒らされて、ソ連が抵抗力を失ったあとでシベリヤを無傷でいただけば良いというような、姑息な思惑も蠢いたようだ。
これが誇りある武士道の国とは思えないような、性根の腐った政治家や軍人がいた。そこに繋がって金儲けを企んだ者もいたのだろう。

昭和16年夏(7月末)、荒波にもまれる小船のように国際情勢に翻弄された挙句、日本は無謀にも南部仏印進駐に舵を切った。それは長引く日中戦争の始末に行き詰まり、ABCD包囲網に封じ込められ、まるで窮鼠猫を噛むがごとき暴走だった。
今更言っても始まらないが、米英との軍事衝突は国策上の大失敗だった。こうして日本の戦争指導者は、真相を知らされていない全国民と、罪なきアジアの人々を奈落へ突き落とした。
まさに地獄絵図の始まりだった。

多くの日本人がのぼせあがって自らを見失っていたとき、ゾルゲは帝国日本の破綻を的確に予測してモスクワに報告していたのだった。

ゾルゲの日本人妻・石井光子へのインタビューによると、この昭和16年10月4日、まさに逮捕の半月前、私服刑事が周囲を見張る銀座のレストランでゾルゲと光子の間にこんな会話があったという。

「・・・・日本がアメリカと戦争をするというのよ。・・・・私は、・・・・日本は日米交渉でうまくやるって言ってやった。・・・・・そうしたらゾルゲは、いや、・・・・日本は電撃戦やるって言ったの。私はそのとき、そうかなあ、と思ってたら、(その後)日本は本当に宣戦布告しないで戦争をやったものね。・・・・」

そして
「・・・・『アメリカはモノイイデキマス。絶対に日本は勝てない。やったら負け、必ず負ける』ってそう言ってた・・・・」とも証言している。

半月後の17日、ゾルゲは逮捕された。
そして直後の12月8日、日本は本当に真珠湾奇襲を敢行してしまった。不意討ちの「戦果」に過ぎないのに、愚かにも国民は熱狂してしまった。公正な情報がないなかで、真相を見抜けなかったのだ。

巻末に付された解説文を参照してみよう。

国際スパイゾルゲの真実

「・・・・ゾルゲは、単なるソ連のスパイというには巨大であり、スターリン体制と、天皇制国家、そしてナチス・ドイツの運命にかかわった人物として・・・・・多くの人物によって論じられてきた。」(p263 下斗米伸夫)

「・・・・このことは、ゾルゲ事件の一つの性格を物語る。とくにゾルゲや尾崎は情報を入手し、それを通報するというよりも、それ自体が情報源であるような存在だった・・・・」(p298  尾崎秀樹)

「・・・・ゾルゲは個々の情報をそのまま通報しているわけではない。今回公表されたKGB文書のラムゼイ報告を見ても明らかなように、ゾルゲは入手した情報を綜合し分析した上で、それぞれの答えを出していた。指令に応じたものだけでなく、独自の判断でとりあげた問題もある。三国同盟の締結、独ソ戦開始の時期、北進から南方への対外政策の切り替えなど、最高機密に属する情報が多く、しかもそれを正確につかんでおり、報告そのものは短文だが、その裏に秘められたゾルゲの的確な状況の把握が感じられる・・・。」(同 p307)

これらの解説は、この事件の規模の大きさとゾルゲの卓越したな情報収集力、分析力を物語っている。

漫画アドルフに告ぐ

漫画「アドルフに告ぐ」では大阪憲兵隊長の子息でありながら「アカ」の地下活動に従事、父の部屋に入って軍事機密を接写して「ラムゼイ」に送る「本多芳男」が登場する。もちろん架空の人物だが、機密文書をこっそり高性能写真で撮るという行為は、実際にゾルゲがドイツ大使館で行っていたことだった。

また、芳男が機密文書をもうひとりの地下活動家に手渡す場面がある。
互いにまったく見知らぬ地下活動家どうしだが、予め所定の書店の店先でお互いの「暗号」を交わす。
芳男の合図は「私はこの本をとてもおもしろく読みました。一番おもしろいのは25ページです。」、相手は「おれは73ページが一番おもしろいと思うね」と応じている。
これで互いの認知工作は完了して、その直後に芳男はしおりに入れた写真のネガを書籍にはさんで渡す。例のヒトラーの出生書類だ。

これは、実は獄中で書いた「ゾルゲの手記」(みすず書房 現代史資料1962年)に類似の記述があるので、これを読んで手塚治虫がヒントを得たのだろうと思われる。

たとえば、手記の中でゾルゲはこう記している
「・・・・彼ら(伝書使)との連絡は、モスクワと打ち合わせたうえで行われた。連絡の場所、日取り、面会方法に関する条件などすべて無線で打ち合わせるのであった。伝書使とわれわれがお互いを知らない場合は、特別な標識、合図の言葉、お互いを確認するための一連の文句を無線で打ち合わせて決めた・・・・」と、具体的ないくつかの事例を挙げている。

このゾルゲの手記は、獄中で書き残されたもので、冒頭に
「左に掲ぐるはゾルゲの取調に当り、本人に作製せしめたる手記にして独逸大使館関係コミンテルン及日本に派遣された経緯、支那時代、諜報活動関係、連絡方法、其の他6項目に亙り、其の内容は今後の検挙取締上熟読玩味すべきものあり。」
と解説文のあることから、ゾルゲ事件の取調官や裁判関係者に資料として提供されたものであることがわかる。

当然ながら獄中のゾルゲ自身も、取り調べ当局の意図を充分認識しており、自分の置かれた状況を仔細に考量したうえで書いたに違いない。
この手記がどう取り扱われれるか、きっとあらゆる可能性を想定しながら慎重に作成したのであろう。
そのうえおそらく、彼はこの手記がたんに当面する裁判記録としてだけではなくて、自分自身のいわば「諜報記録」として後世に残ることをも予測していたはずだ。

だからゾルゲの人となりを再現する上で、とても興味深い第一級の資料だ。そう考えてこの手記を解読することには、今日の時点でも大いに意味があるように思った。

切手になったゾルゲ
旧ソ連で切手になっをたゾルゲ

歴史的な背景を確認しながら彼の人生を追うことは、第1次大戦から第2次大戦に至る「戦争と革命の時代」20世紀を学ぶことにもなると思われる。
そして、ゾルゲ評価の分かれるあり様はまた、現代史を読み解く、それぞれの史観や政治的立場の違いを浮き立たせることになるのだろう。

それほどにゾルゲの存在は大きい。

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