改めて第99話を読んでみよう。栁田は副題「魂の行方」に分類している。
「土淵村の助役北川清という人の家は字火石《ひいし》にあり。
代々の山臥《やまぶし》にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿《むこ》に行きたるが、先年の大海嘯《おおつなみ》に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元《もと》の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。
夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪《なみ》の打つ渚《なぎさ》なり。霧の布《し》きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正《まさ》しく亡くなりしわが妻なり。
思わずその跡をつけて、遥々《はるばる》と船越《ふなこし》村の方へ行く崎の洞《ほこら》あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。
男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。
今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛《かわい》くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元《あしもと》を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退《の》きて、小浦《おうら》へ行く道の山陰《やまかげ》を廻《めぐ》り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中《みちなか》に立ちて考え、朝になりて帰りたり。
その後久しく煩《わずら》いたりといえり。」
もちろん、読む人によって様々に異なった感想があり得ると思うが、私にはやはり、主人公である福二の強い喪失感が胸に迫ってくる。それゆえに、いわば「意趣返し」「恨みつらみ」とも言える言葉のやり取りがとても印象深い。福二もつらいが、攻められる亡妻もつらかろう。
津波にさらわれ、いまだに遺体もあがらない妻の亡霊に出くわして、福二が本当に一番問いたかったことは、実は妻と自分の「夫婦の絆」の筈だ。なぜ自分を残して行ってしまったのか。生きているのか、死んでいるのか。
大津波は前年の旧暦5月5日だった。もう、1年以上もたつ。
ところが、亡霊は意外にも二人連れの男女だった。しかも相手の男は「自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。」とわかった。
そして「名を呼びたるに」「今はこの人と夫婦になりてあり」と妻が言うので、それでも諦めきれない未練から、思わず
「子供は可愛《かわい》くはないのか」
と問うた。福二としては精一杯の逆襲だった。
これに妻が顔色を変えて泣くあり様は、哀れな互いの心情が素直に表現されていて、心に染み入る。
婿に入った自分と妻の「夫婦関係」は、もとはと言えば互いの「家」が決めたもの。そういう時代だった。
しかし妻には、すでに「自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男」がいた。
「あの世で」今は、その男といるという。
「この世」で所帯を持ち、子供をなしたとはいえ、妻といわゆる「もと彼」との情は、やはり消えたわけではなかった。改めて思い知らされたのだった。これはうすうす感じてはいたものの、福二にとっては大きな「打撃」だった。もう一度会いたいという、1年余りも続いた福二の切実な思いを、真正面から峻拒されたような思いだったに違いない。
福二は未練とわかりつつも、せめてもの「反撃」に妻の最も弱い部分を衝いた。それは産んだ子供だ。
夫婦は、もともと「他人」だが、自分が産んだ子供はそうはいかない。
福二に会ったとき、はじめ妻は悪びれもせずに「名を呼びたるに、振り返りてにこと笑い」愛嬌さえ感じさせる風情だったが、ここで福二の「逆転痛打」を正面から浴びて一転、腰砕けになって泣くしかなかったのだ。
福二には一種、腹いせの気分もあろう。夫婦の絆よりも母子の縁のほうがはるかに深く強い。しかしいったん切れた夫婦の「絆」を戻すにはまったく無力だ。
だから「腹いせ」以上の効果はない。
ここには「運命の不条理」が描かれているのではないだろうか。しかも舞台は月明かり霧の立ち込める渚で、まさに彼岸と此岸の境界線上。あたかも「能」の舞台のようだ。
簡潔な擬古文が絶妙の効果を生み出した名文だと思う。二人の哀れな心情を過不足なく描いて強い余韻を残した。
よく見ると「もと彼」は、シルエットだけで言葉は全くないから、事態はあくまでも福二と亡霊の妻だけの「魂の世界」なのだ。
研究者の間では「死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元《あしもと》を見て」の「足元」とは、亡霊の二人の足元のことと解釈されているが、私にはそうではなくて、福二自身ががっくり気落ちしてうなだれ、自分自身の足元を見たのではないだろうか、と思える。
だからこそ、そのあと福二は去りゆく二人をまだ未練がましく「追いかけて見たりしが」、はじめて「ふと死したる者なりしと心づ」いたのではないかと思うのだが、いかがだろうか。
福二にとって、ことが生者か死者かの分別はもう問題ではなかった。
亡霊なのだと思い直したのは、連れ合いの男の方も「これも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者」だったからでもあるだろう。二人を追いすがりつつ、これは亡霊に違いないと我に返った。
たとえ亡霊であるにしても、あまりに無慚な妻の告白にあって、傷心のあまり福二は朝までそこに佇まざるを得なかった。
福二は完膚なきまでに妻を失ったのだ。大海嘯《おおつなみ》では肉体を、亡霊からは魂を奪われた。
だから、これが原因で「その後久しく煩《わずら》いたり」という結末につながる。
もしも津波さえこなければ、平穏無事な家庭生活であったのかというと、実はそうではなかった。取り繕った夫婦の間には亀裂感が潜在したのだろう。
「自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男」の存在に、しばしば福二は思い悩んでいたのかもしれない。妻もまた福二と「もと彼」との間で、微妙な矛盾を抱えたままの不完全感が続いていたのかもしれない。
多くの場合、時間とともに深く潜行してゆく心情なのだろう。ふとしたことから間欠泉のように涌出することはあっても。
こうした話は、けっこう様々なバリーエーションで昔の世代から聞く。
ある知人の母(おそらく明治時代の人だろう)が亡くなり、葬儀のため身辺整理をしたところ、結婚前の古い「もと彼」からの手紙が多数出てきて、それまでは全く知らなかった母親の人生の別の側面を垣間見た思いがした、という実話を伺ったことがある。
もちろん、先に亡くなった父親にも残された自分たち子供にも、知らされることもなく大切に保管されていたものらしい。
母親は大事にしまいこんでいて、ときに秘め事のように、読み返していたのかもしれない。
この時代、親の決めた縁組の多かった「家制度の桎梏」を垣間見るという感想もあるかもしれない。しかし、「自由恋愛」を謳歌するように見える今日ですら、何十年も波乱のない円満な夫婦なんて寧ろ不自然に思える、と断言しては不謹慎だろうか。
誰にとっても、一筋縄ではいかない人生の実相を、図らずも「大海嘯《おおつなみ》」が露わにしたのだった。
それにしても、世間体を憚る気分の強い時代に、実在の人物名まで明らかにして、こんな話題をよくも公表したものだと驚く。しかも、信二は昭和初年まで存命だったという。「プライバシー」の漏えいに厳しい今日では考えられない。
しかし栁田は敢えて「実名」にこだわったようだ。「遠野物語」は昔話やおとぎ話ではなくて、「要するにこの書は現在の事実なり。」という。
ところが、研究者によると、このストーリーには類話が関係者のあいだで他に二つもあることが知られている。
調べて見ると、この99話の成立過程はなかなかに複雑だ。
(4に続く)