ケイン号の叛乱 The Caine Mutiny

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名映画Casablanca では愛するイルザを恋敵ラズローとともに見事に逃がしてやり、男を挙げたリックことハンフリー・ボガードも、この映画ではまことに惨めな役柄を演じて見せた。
いわゆる「娯楽モノの戦争映画」ではない。

本物の艦船を提供したことからして、「米海軍の御用達」映画であることは間違いないだろう。 なかなか深く考えさせられる作品。
1954年公開だから、朝鮮戦争のころに制作されたのだろう。

ストーリーは名門プリンストン大学を卒業し、わずか3か月の訓練で出征したばかりのキース少尉の着任と共に始まる。
当初、キースは学歴に相応しく空母か戦艦にでも乗船できるものと期待していた。しかし、案に相違して配属されたのはオンボロ掃海艦だった。 有力者の子弟なので、もっと良い配属先を縁故で獲得することもできたが、心機一転、敢えてこの老朽艦での任務を受け入れた。
エリートだからということで、自分だけが優遇されることを快しとはしなかったからだった。

ところが、この艦には、これまでまともな実戦任務がなかったのか、艦長から二等水兵に至るまで弛緩した空気が蔓延していた。キース着任の案内役、マクマレイ通信長も自嘲気味。
模範的な海軍生活を期待していたキース少尉には、とまどいと違和感が生じた。 それにも拘わらず、艦長が意外にも部下に人気のあることも不思議だ。マリック副長によると、その事情がわからないと、ここでは本物にはなれないと言う。

やがてそこに新任艦長として颯爽とクイーグ艦長がやって来た。
着任早々からだらしない身なりの水兵を叱責し、一気に士気を改めさせた。これを待望していたキースは好感を持った。
今度の艦長こそ歴戦を経た本物の指揮官に思えたのである。
ダレた軍規を改善し、見事な作戦遂行のリーダーシップを見せてくれると期待したのだが・・・・。

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クイーグ艦長

ところがこの艦長、よく見ると、どうも挙動におかしなところがある。

部下の命を預かる戦時下の指揮官として、厳しい規律を要求している、というだけでもなさそう。 部下を叱ることに気をとられるあまり、適切な操艦指示ができないため、艦が海中の訓練用標識を誤って切断。あろうことか、保身のためにそれを隠ぺいしようとさえする。

かと思えば、食堂のデザートを誰かが盗んだと士官を深夜に緊急招集して大騒ぎをする。単調な水上生活を癒すため、船上で催された娯楽の映画上映を気に入らぬと中止させる。
苛立つと、懐中から金属球を取り出して掌中で握り転がす奇癖も持っている。そうしないと沈静できないかのようだ。 どうも性格的に偏っているのだ。
偏屈なので、皆からも次第に敬遠され孤立してゆく。

あるとき、側近の副長と通信長、それにキース少尉が艦長の「異常性」にどう対応するか、お互いの気心を探り合う。 任務の傍ら小説を書いているインテリのマクマレイ通信長(大尉)は親友のマリック副長(大尉)に、今度の艦長は「パラノイア」の疑いありと断定する。そして、軍規の中には例外的に「叛乱」を正当化できる条項(海軍規定184条)もあると示唆する。しかし、善良なマリック副長は慎重だ。

だが、皆がクイーグ艦長の行動に不信を抱き始めていることも確かだ。 間に挟まれ、悩んだ副長は艦長の振る舞いを日記に記し始めた。

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艦長の異常行動をどうするか。左から副長、キース、通信長。

いよいよ実戦命令が下る。それは上陸用舟艇の護送任務だった。
この映画で唯一の戦闘場面。 ケイン号の任務は敵前ぎりぎりまで先導することだった。海兵隊を守るためだ。キース少尉にとっては、初陣だった。

ところがなんと、艦長の命令で護送任務を途中で放棄してしまう。後方の上陸用舟艇を危険にさらしてしまった。
敵(日本軍であろう)の砲弾がさく裂し始めると、艦長は怖気づいてしまったようだ。敵前はるか前にUターンすることを命じたのだ。

これには全員が心外だった。戦場で友軍を危険にさらし、敵に背を見せて逃げたのだ。
細かな取るに足らない規律には偏執的に小うるさいのに、いざ戦場では一目散に逃げる。何かあれば部下に責任を押し付ける。
部下の間に船長を「臆病者」として蔑む空気が広がった。

通信長は艦長を「パラノイア」だと断じるだけではなくて、軍規律条項にもとづいて公然と上部に告発することを提案する。相談の結果三人は艦長を告発すべく旗艦空母のハルゼー提督のもとに向かう。

見上げるような巨大航空母艦だ。 しかし、到着してみると、艦内の将兵のきびきびした士気の高さを眼にした通信長は、途中で気が変わってしまう。一番強硬だったはずなのに。
結局、告発は取りやめにした。

やがて破局がきた。
作戦行動中に艦隊が激しい台風に巻き込まれる。小さな掃海駆逐艦のケイン号は木の葉のように大波に揉まれ、このままでは沈没を免れない。しかし艦長は部下の要請にもかかわらず、波を退避する指示を頑なに拒否。
艦橋の誰もが平常心を失った艦長を、このままにしてはおけないと感じた。乗組員全員の命がかかっているのだ。

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木の葉のように大波に揉まれるケイン号

もはやこれまでと、副長は軍規にもとずいて「叛乱」を宣言。キース少尉もこれに同調して、艦は副長が全権を掌握した。 事実上の「クーデター」だ。
そしてなんとか海難を免れた。

しかし、これが「軍法会議」にかかったのだ。

<軍事裁判>

そもそも、戦闘中の「叛乱」という重大事、そう簡単に軍が認めるわけにはいかない。それは軍全体の士気にかかわることだから。士官たちも「叛乱罪」になれば極刑の可能性が高い。
8人もの弁護士が被告側不利と見て弁護に立つことを忌避。
最期の一人グリーンウォルド弁護士(大尉)が登場。しかし彼もこの裁判は叛乱罪成立の可能性が高い、つまり被告士官たちの断罪は免れまいと言う。

しかし人の好い副長と叛乱を教唆した通信長の様子を見て、副長を助けるために敢て弁護を引き受ける。

この法廷弁護人が秀逸。
前半は圧倒的に検事側優勢の裁判劇。その追及に、精神医療の知識もない副長が艦長を「精神疾患」と判断した根拠を説明できない。更に3人の精神科医の証言でも艦長に異常は発見できなかった。
その上に有力な証言を期待した親友の通信長が、ここにきて真実を証言しない。副長は裏切られた。
実は通信長は自分の小説のネタに、この事件を利用しようとして画策していたのだが、いざ艦長を訴える場面では怖気づき、裁判でも保身を考えて艦長の異常行動を証言しなかったのだ。叛乱共謀罪を恐れたのだ。

後半がグリーンウォルドの見事な逆転。 まず、鑑定した精神科医には実戦経験のないことを指摘して、平時と極限状態での診断の違いを浮き彫りにした。戦場という異常事態の中では、正常人でもときに判断を誤る場合があると説得力をもって議論を導いた。

それにしても細かいことまでグリーンウッドは的確に分析しているし、検事側の論理展開に対しても無駄な応戦はしない。海軍の名誉も考慮し、艦長が「狂人」なのではなく、生い立ちの不遇や長い戦場でのストレスで、常軌を逸したのだと論証してゆく。

グリーンウォルド弁護士の尋問が進むと、次第に艦長自身の自己矛盾が露呈し始めた。当初は自身満々で裁判に臨んだ艦長も、次第に動揺し追い詰められる。 訓練中に誤って海中標識を切ってしまったことや敵前逃亡に近い作戦行動、とるに足らないデザートの紛失騒ぎなどで、艦長が自己正当化のために部下を無能呼ばわりし、その事実を隠してたことが露わになった。

やがて艦長は興奮して証言が支離滅裂になってしまう。 その常軌を逸した混乱ぶりに、法廷にいた誰もが艦長の行動の「異常性」を次第に認めざるを得ない。正体を露呈してしてしまったのだ。
じわじわと追い詰められ破綻してゆくハンフリー・ボガードの演技も、真に迫っていて見もの。
結局、被告たちは逆転無罪という決着になる。

その無罪放免のお祝いの場で。 皆が祝杯を挙げているところに、くだんのグリーンウォルド弁護士 がやってきた。かなり酔っている。そして「この裁判でマリク副長を守ったけれど、とても後味が悪い」と述べる。

裁判では触れなかったが、実はクイーグ艦長はUターン事件のあと、士官を集めて艦長なりの仕方で詫びて、今後の協力を要請したことがあった。 それにも拘わらずマクマレイ通信長の陰謀に惑わされて、士官たちは艦長をすでに全く信用していなかったという「真相」を暴露する。

グリーンウオルドはすべてを見通していて、人の好い副長は「英雄」として弁護したが、狡猾な通信長をどうしても許せない。皆の面前で通信長の顔に酒を浴びせ掛けた。
そして「自分たちが銃後で法律を勉強したり小説を書いたり、大学で遊んでいたとき、誰が実戦の汚れ役を担ってこの国のために命がけで戦っていたのか」と厳しく問う。それは無論クイーグのような現場の指揮官だったのだ。

・・・・・when I was studying law, and Mr keefer was writing his stories, – and willie was tearing up the playing fields of Princeton, –
– who was standing guard over this country of  ours?・・・・・・・・・・・・・who did the dirty work for us? Queeg did, and a lot of other guys.・・・・・・・

歴戦の勇士を一人、この裁判で貶めてしまったことの後味の悪さ。 詰まるところ、艦長を葬ったのはお前たちだったのだ、と厳しく指弾する。軍人としての良心からだった。

弁護士
グリーンウォルド大尉(弁護士)

なるほど、「海軍御用達」の締めくくり方ではある。
前半を観ていれば、こんな艦長では乗組員全員の命が脅かされる、副長の行動は正しかったと思える。平時の民主主義的な平等観に立てば。
しかし、ことは敵味方入り乱れての「戦時下」なのだ。

学校の成績は平均以下だが軍人としても誠実な副長を「叛乱」に誘導したのは、下心のあるインテリ通信長であった。キースが着任したときの案内役で、艦の雰囲気を自嘲気味に解説してのけた通信長には、もともと邪心があったのだ。

かくして、叛乱劇の「真犯人」が通信長であったと気付かされて物語は終わる。これは深い。
あらゆる人間集団に同じ陥穽が見てとれるのではないだろうか。

事件を通してキース少尉は軍人として成長し、新たな任務に就く。なんとその艦には、最初に出会ったケイン号のあの艦長が着任した・・・・。

この映画の主張は、グリーンウオルドが無罪放免の祝賀会で明かした「真相」にあるのだろう。だからこそ、米海軍が実際の艦艇を出してまで全面的に協力したと思われる。

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艦長の命令は常軌を逸していく

先にも述べたように、映画はちょうど朝鮮戦争のさなかに制作され、戦後の53年に公開された。この時期と映画の趣旨は密接に関係しているのではないだろうか。

朝鮮戦争は勝者なき戦争といわれる。第2次大戦の栄光とは大違いだった。
ちょうど、反ファシズムへの参戦意欲を促す効果を映画「カサブランカ」が果たしたように、今度は朝鮮戦争以降の軍への「忠誠の揺らぎ」を防ぐ意図が背景にあったのかもしれない。

実戦経験のない世代が、新たに軍務に就く。歴戦の勇士たちは次々に退役してゆく。時代が変わっても海軍の精神は継承しなくてはならない。 「上官」はやはり「上官」なのだ、という軍の規律を是が非でも厳護しなければ戦争はできない。戦時体制の団結のあり方を残さねばならない。

両方の映画にトップ・スターのハンフリー・ボガードが起用されているのは偶然だろうか。その間に起きたハリウッドの「マッカーシズム」時代を反映しているのではないだろうか。
しかし、時代はやがて60年代の破滅的なベトナム戦争へと移ってゆく。

監督や製作者の狙いには、人間性にかかわる深い問題提起があるようにも思える。

頭脳明晰ではないが、善良素朴な副長が真実に忠実であったのに対して、同僚のインテリ通信長は目先が利くだけに、卑怯にも責任を逃れ保身に走った。その事実対比が、観る者の心に強いメッセージを送っていると思われる。

平時では表に出ない戦時の実相。そこが大変興味深い。

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