Casablanca カサブランカ B級と思いきや不朽の名作に

<製作背景>

言うまでもなく映画史に残る古典的名作。多くの人が一度は観たことがあると思う。
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ところが、もともとのシナリオというのは未完のままでクランク・イン、そのとき脚本も完成してはいなかった、というのだから驚きだ。今日、完成版を鑑賞している我々には想像もつかない話だ。

だいたい、結末の場面で主人公リックが恋人イルザを連れてカサブランカを脱出するのか、それとも恋敵のラズローとともに逃がしてやるのか、二通りのシナリオで撮ってみて比べて、スタッフで相談して後者に決めたのだという。

リック役のハンフリー・ボガードも、撮影所でその日になって初めて自分の役どころを教えられる、などということもあったらしい。まさに泥縄式にできあがった「B級作品」などとも言われている。信じられない。

イルザ役のイングリッド・バーグマン。
ハリウッド初登場のこの作品には、だからあまり良い印象はなかったようだ。
かなり後年になってからはじめて全編を観て「こんなにいい映画だったのですね」と感想を述べた、という逸話もある。演劇の訓練をきちんと受けたプロの女優さんだったので、制作現場の混乱ぶりを目の当りにして、面白くなかったのだろうという。

7人もの脚本家がドタバタ劇みたいに入れ替わり立ち替わり、制作に参加したらしい。

更に面白いこぼれ話は、警察署長役のルノーが投げ捨てる「ビシー水」というラベルの瓶は、撮影所近くのホテルで拾った空き瓶を転用したのだという。当時ナチスの傀儡であったフランス「ビシー政権」への決別を暗喩する小道具として使われた。

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左:イングリッド・バーグマン 右:ハンフリー・ボガード

それにも拘らず、この作品は今日まで70年余り、完成度の高い不朽の名作として映画史に燦然と輝いている。
私自身も何回繰り返し観たことか。その度ごとに新しい発見と感銘を受けている。

好きなフアンは「カサブランカ」という地名を聞いただけで、主人公たちの名セリフやサムが歌う名曲「 As time goes  by」のメロディーが脳裏に浮かぶことだろう。
良い映画は、人の心を豊かにしてくれると思う。

どういう経過で、こんな素晴らしい作品が出来上がったのだろうか。

実際に制作現場にいたわけではないのであくまで想像だが、実は「皆で寄ってたかって作った」ところに、成功の秘訣がひとつあったのではないか、と想像している。監督や脚本家だけでなく、俳優も現場で自分の意見を述べながら皆で作ったらしい。

公開された1942年はアメリカが第2次大戦に参戦した直後。
前年12月には、日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃があった。太平洋戦争とほとんど同時並行の作品だったわけだ。

制作者も政府関係者も、この映画を「対枢軸国への戦意高揚プロパガンダ」であるとは公式に認めていない。だが、ハンガリー出身のユダヤ人監督のマイケル・カーチスはじめ、この時代にハリウッドに集まった人々には、ナチスの圧迫から逃れて新天地アメリカに来た人が多かったので、その政治意識を直接反映していることは間違いない。
アメリカ人の戦意高揚に貢献したことは、確かだと思う。

だから、「ファシズムとの戦い」という切迫した時代背景を見逃すと、平板なラブ・ストーリーになってしまう。映画もまた「時代の子」なのだという好例。

ただし今日から見ると、やむを得ない時代の制約もある。

ドイツ兵の悪役振りは余りに単純化され過ぎだし、イタリア兵の愚かさも漫画的に過ぎるのではないだろうか。娯楽映画だから、そこまでレベルを要求するのは酷かもしれないが、ともかくナチスを懲らしめる「勧善懲悪」が太い伏線になっている。
※後に紹介するが、映画「戦場のピアニスト」に描かれるように、ナチス軍将校のなかにも隠れた人道の士は人はいた。

今日のドイツ人には、つらい映画だとも思う。
我々も相手が日本軍ではないから、お気楽に楽しめるのだ。
これが日本なら、きっともっと酷い描かれ方になっていただろう。戦後の60年代の名映画「ティファニーで朝食を」に描かれた日本人を見て、がっかりしたことがある。

舞台は、ナチス・ドイツの支配下にあるビシー政権下のフランス領モロッコ。実はすべてハリウッドのセットらしいが、異国情緒溢れるカサブランカの雑踏から始まる。
「カサブランカ」とは英語では「White  House」の意味なのだそうだ。「アメリカ」を暗示したのだろうか。

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酒場の主人・リック扮するハンフリー・ボガード

感動の名場面は多いけど、例えば主人公のアメリカ人リック(ハンフリー・ボガード)の経営する酒場の一場面。

征服者として乗り込んできたドイツ兵たちが、我が物顔で「ラインの守り」を歌い始めるところ。これを見たレジスタンス運動の闘志ラズローが危険を冒して「ラ・マルセイエーズ」の指揮を公然ととる。これに呼応して、その場の皆が次々と決然立ち上がって合唱するシーン。
アメリカ人である居酒屋の主リックが状況を察して、咄嗟に演奏者に許可の合図を与えたからでもある。
これは象徴的な場面だ。

ナチス占領下に苦しむ祖国の解放への決然たる意志表示。普段は個人主義でばらばらでも、横暴な征服者を前にしては、皆が立ち上がってフランス国歌ラ・マルセイエーズを合唱するシーン。
「枢軸国」の子孫である私にも、強い感銘を呼び起こす場面だ。
※余談ながら、国連はいわば連合軍の発展形態だから、その憲章には敵国条項(Enemy Clauses)が残っている。いまだに削除されていない。敵国には「Japan」が入っているのだ。

個人主義が前提だからこそ、政治意識の高い「団結」の姿が麗しい。
日本人もそろそろ、こうした洗練された団結心を養うべきではないか。偏狭なナショナリズムに閉じこもるだけでは貧弱すぎる。
長い島国暮らしで、政治センスが低いのだろうか。

「圧政への抵抗」を呼びかける歌声は、一人一人の勇気ある「正義感」を喚起する。

<なぜ心に残る名画になったのか>

しかし、この映画を得難い名作品にしている所以は、そうした政治的なメッセージだけではないと思う。

よく指摘されるように、ひとつはイングリッド・バーグマンという北欧美女と、ハンフリー・ボガードというダンディの組合せ。今日からみてもやはり格好いい。それに、「戦時中」という運命に翻弄される愛情の交錯。心の真実を、時代背景にそって過不足なく描いて見せたことだと思う。
まさにAs time  goes by.
映画で、複雑な政治的背景を観客に解りやすく作るということは意外に難しい。しかし、細かい部分がよく仕上がっていると思う。皆の率直な意見が平等に反映されたのだろう。

我見が混じるが、ストーリーをふたりの軌跡に絞り、時系列に沿って略説してみよう。

事の起こりは、ナチス・ドイツ軍の侵略迫るフランス・パリ。

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リックの店にやってきた美女

たまたま出会った若い二人は恋に陥る。
しかし、美女のほうには、なぜか過去を語りたがらない、ある謎めいた部分がある。

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迫りくるドイツ軍

ストーリー後半になって初めて開示されるのだが、実は彼女はレジスタンスの英雄ラズローの妻イルザだった。ナチスが席巻する戦時下でその素性を明かすことは身の危険を招く。しかもレジスタンスの闘志であった夫はナチスに捕われ、殺されたと知らされた傷心の直後だったのだ。だから年上のリックの優しさが救いでもあったのだろう。
実は、リックもエチオピアやスペインで「反ファシスト」陣営の支援をしていた経歴を持っていたのだ。

ふたりはマルセイユでの結婚を約束し、陥落直前のパリをからくも脱出しようとする、その時。なんと死んだはずの夫ラズローが生き延びていた、という事実がイルザにもたらされた。
一つ目の「運命の皮肉」。

そうとは知らない恋人リック。
降りしきる雨の中、イルザが約束の時刻を過ぎても駅に現れずに焦慮する。
彼女は、紙切れ一枚のメモを残して忽然と消えてしまったのだ。

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雨水に滲むイルザの別れの置手紙
” Richard, I cannot go with you or ever see you again. You must not ask why. Just believe that I love you.
Go, my darling, and God bless you. ”
Ilsa.

「リチャード、いっしょに行けませんし、もう二度と会うこともできません。理由は聞かないで....ただ、あなたを愛していることを信じて下さい。行って、愛しい人。お元気で。」
一方的な別離宣言の理由も知らされず、リックは途方に暮れるが、もはや汽車の時間だ。

これで二人の間が終わればそれまでの話だが、2年後、二つ目の「運命の悪戯」が物語を大回転する。

あれほど熱をあげた恋人イルザを、わけもなく失った傷心のリックは、過去を消して今ではカサブランカで異国風の酒場を経営している。

しかし、もう女はこりごり。好いた惚れたで傷つくのは御免だ。他人事には深入りすまい、というクールな処世スタイル。
あくまで「人情」や「政治」とは一線を画して、斜に構えた孤独を貫いている。
翳のある渋い役どころを、ボギーが演じる。そのきざ加減に少しも嫌みを感じさせない。これは、なかなかできない。

店を偵察に訪れたドイツ軍のシュトラッサー少佐が、この戦争に対するリックの態度を疑い深く確かめると

「Uh,you’ll excuse me,gentlemen, your business is politics. Mine is running a saloon.

「失礼します、皆さん、あなた方の仕事は政治。俺の仕事は酒場の経営ですからね。」

と距離を置いている。それは、そのまま開戦前のアメリカ人一般の政治的態度を象徴しているのだろう。ヨーロッパの戦争に、深い入りするのは御免だ。

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ルノー署長はリックの本当の姿を感じている

しかし、酒場の従業員たちも、いかがわしい裏のあるルノー警察署長ですらも、リックが表面はクールな態度ながら、実は「情にもろい正義漢」であることを感じ取っている。
だから個人的信用があり、密かなフアンが多いし、女も近づいてくる。

そして、リックの酒場には裏の姿があって「自由の国アメリカ」への亡命者たちが、協力者たちと密会したり政治亡命の交渉をする拠点(酒場の名前も「リックのアメリカン カフェ」)でもあった。

従業員には反ナチ運動のレジスタンスもいる。リックは政治とは一線を画しながらも、自分の店を一種の「解放区」にしているからだ。そのためには、治安責任者であるルノー警察署長の密かな悪徳やいかさまも、「持ちつ持たれつ」でそこそこ大目に認めている。
このあたり、いかにも大戦前のアメリカの政治的立ち位置を象徴していて秀逸だ。よく考えているなあぁと感心する。

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サムがAs time gose by を歌う

こうして酒場は微妙な政治的バランスの上に営まれている、アラビア風のサロンといった趣なのだ。

ここに「運命の悪戯」が訪れた。なんとある日、イルザが忽然と店に登場する。しかも今度はレジスタンスの英雄ヴィクター・ラズローの若く美しき妻として。

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レジスタンスの英雄ラズローと妻イルザ

ナチスに追われる二人は、リスボン経由で自由の国アメリカへの亡命を企図しているのだった。店が協力者との密会の場だからだ。

たまたまイルザがリックの従僕サムを見つけ、懐かしさから思い出の「As time goes by」をオーダーした。それはかつてパリで二人のためにサムがよく歌ってくれた思い出のナンバーだった。
イルザは別れたリックの消息を尋ねる。

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Where is rick
「リックはどこ?」

Play it, Sam. Play ‘As Time Goes By.
「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行くままに』」

サムは慌てる。
主のリックにとっては、二度と聞きたくない苦い思い出の曲。演奏は禁じられているのに・・・・。

流れ始めたメロディーに気付いたリックが、ピアノを引くサムを叱ろうとやって来た瞬間、ばったりイルザと眼が合ってしまった。
互いに予期せぬ「運命の再会」に凍りつく。

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ヤケ酒のリックとイルザ
・・・その晩、リックが予期した通り、お忍び姿でイルザは店にやって来た。ムスリム女性風のスカーフを被り夜陰に紛れて登場するイルザ。夜光を浴びてとても美しい。モノクロでぼかしを入れていることが、却って絶妙の効果を生んでいる。
カラー作品でなくても、むしろこれほどの効果を生むカメラワークが素晴らしい。

イルザはパリでの失踪の事情を説明しようとするが、悪酔いしているリックは恨み辛みでとりつく島もない。やむなくイルザは説得を諦めた。

“Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine.”
「世界中に星の数ほど酒場はあるというのに、よりによってなぜ俺の店に来たんだ」

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翌日しらふになったリックは、改めてイルザに事情を尋ねようとするが、今度はイルザが敢然と拒否する。昨晩、悪態をついたリックに、もはや「あのパリのリチャードではない」と。そして、パリにいた時、すでにラズローの妻であったと告白する。
リックは衝撃を受ける。ひどい裏切りだ。

ところがここでまた「運命の皮肉」がふたりを離さない。

ラズロー夫妻が逃げるためには、どうしても「通行証」を手に入れる必要がある。ドイツ軍は、レジスタンスの大物ラズローを逃がすまいとカサブランカ市外への移動を禁じる。
ラズローの身辺に危険が迫ってきた。もはや一刻の猶予もない。

闇市の顔役フェラーリからの情報で「通行証」は、なんとリックが所有しているようだ。ラズローはかつて反ファシズムの活動実績のあるリックなら、と望みを託して協力を要請するが、案に相違してリックはにべもなく拒否。
しかもその理由は「自分の奥さんに聞け」という。

リックのイルザへの「仕返し」が始まった。
恋した美女に捨てられた男の、「このいじけた気持ち、よくわかる」と言っては不謹慎だろうか。単純な私などは、すぐ嵌る。

リックはイルザを取り戻そうと画策する。

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失恋にいじけるリック
ここに至って、イルザは夫ラズローをなんとか逃がすためにリックと直接交渉するハメになるが、そこは「待ってました」のリック。

パリで「捨てられた」と恨み節だから、ここぞとばかりにイルザへの意趣返しをするチャンス到来。
その裏にはイルザへの、心焦がすばかりの未練があるからだ。またそう感じさせるにふさわしい、若いイングリッド・バーグマンの美貌ぶり。

はじめイルザは必死になって「反ナチズムの大義」を訴え、リックも共に戦いに参加し、ラズローを救済して欲しいと訴える。
ところが
「俺にはそんなことは関係ないね。」といじけ顔のリック。焦ったイルザは、つい「臆病者!」とまで罵ってしまうが、勿論リックにはまったく通じない。

Im not fighting  for anything  anymore, except myself

「俺はもう何のためにも戦っちゃいない。自分のため以外にはね。」

すねた気分にぴったりの台詞だ。

追い詰められたイルザはやむなく護身用拳銃を取り出し、通行証を渡すように迫る。

振り向いたリックの眼にイルザの銃が飛び込んだ瞬間、リックはなんと、銃口に身をさらして「ひと思いに殺してくれ」と言う。

Go ahead and shoot. You’ll be doing me a favor.

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 Go ahead and shoot. You’ll be doing me a favor.

この場面、なぜか大いに心打たれる。
これは「情死」の感情に通じるのではないだろうか。日本の江戸時代の浄瑠璃にもありそうだ。自分を裏切った女だが、いまだに強い未練はある。
ならばいっそ殺してくれと居直った。
恋愛の究極は「命がけ」であることが示唆されている。

それほどまでに、リックはイルザに惚れ込んでいたのだ。
そして惚れた女への「恨み辛み」の前には、「正義もヘチマもあるもんか」というロマンチシズム。
不謹慎ながら、大いに共感する。
ただし、あくまで映画でのお話。お許しを乞う。

たんなる「政治的プロパガンダ」を超えた展開だし、ここが一番感動的な場面だと私は思う。スローガンだけで人間が動くのではない。
人間はやはり機械ではない。「心」があるのだから。

この激しい愛憎の迫力を前に、もともとリックが好きだったイルザはその場に泣き崩れてしまう。凡庸な感想ながら、この愛憎表現も優れている。

愛する二人の男の間で、進退窮まってしまったのだ。
もはや「通行証」を握るリックに主導権をゆだねるしかない。イルザの告白がこれまたしびれる。

  I wish I didn’t  love you so much.

「こんなにあなたを愛さなければよかったのに。」

凄い台詞だ。
正直、リックが羨ましい。
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ここで場面は転換。
初めてイルザはことの真相を明かす。黙って聞いているリック。
実はイルザが自分を裏切ったのではなかった、と初めて知ったのだった。

やっとイルザの本心を確認できた。やはり、パリの二人に偽りはなかった。

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戦時下という特殊な状況の中、「運命の悪戯」に翻弄されるふたりだけど、まことによくできた「絶対的矛盾」。しかもラズロー夫妻に時間はない。さてリックがどうさばくか・・・・。
ここもまた、人生の難問。

<男のダンディズムとは>

一晩考えたリックは、一計を案じて芝居を打つ。
ここからが、いかにも名優ハンフリー・ボガードにふさわしい回転劇。

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ラズロー夫妻を逃がすリック

それは大方の予想を裏切って、最後の土壇場でラズロー夫妻を見事に亡命させてやることだった、というわけだ。

ビシー政権下だからルノー署長はあくまでナチの手下という立場に制約されている。まずはそのルノー署長を騙して人質にとる。友人としての親しさにある「隙」をついたのだ。
もともとリックが並の男ではないことを、ルノーはうすうす感じ取ってはいたが、まさか、こんな挙に出るとは。

しかしそこはルノーもしたたか。リックの命令に従い、部下に電話で指示するとみせかけてシュトラッサー少佐に急を告げた。リックは知らない。
そして、いよいよ空港の滑走路での脱出劇。

慌ただしい離陸の直前。

イルザは、てっきりリックが自分を連れて逃げるのだと思っている。
しかしリックはルノーに「搭乗者はラズロー夫妻」だと指示した。リックの真意を測りかねるイルザ。だがもう時間もない。

別れ際にリックは、いぶかるイルザにラズローとともに逃げないと後悔するぞと説得する。これが、一晩考えた結果なのだと。
しかしイルザはまだ呑み込めない。すると、

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ラズローとともに逃げよ

May be  not today and may be not tomorrow 、but soon, and for the rest of your life.
「今日や明日は(後悔)しないかもしれない。だけどすぐに、一生(後悔)することになるんだ。」
それは、リック自身への言葉でもあったのだろう。
否、「自由の国」アメリカ人への呼びかけだと思う。

さらにリックはラズローにイルザが昨晩、自分のもとに来たことを告げる。通行証を手に入れるためイルザが「今もリックを愛している」と嘘までついて夫を助けようとした、と明かす。
なかなか芸が細かい。ラズローがイルザとリックの「過去」をうすうす感じたので、夫婦の間に禍根を残さないための心憎い配慮だ。

かくしてリックの選んだぎりぎりの選択は、この三角関係をすべて飲み込んだうえで自分が一方的に身を引くこと。そうして後腐れなく二人を逃がすこと。
結果リックは反ファシストの「大義」を取り戻すのだ。

見事な解決策だった。これはよくできている。やはり、複数の人々がストーリーを真剣に議論したフシを感じる。

あまりにも有名な、永遠の別れ際の台詞

“Here’s looking at you, kid.” 「君の瞳に乾杯」

“We’ll always have Paris.”  「俺たちにはパリ(の思い出)があるじゃないか。」

こんな素晴らしい殺し文句はない。物語に尽きせぬ余韻を残した。

離陸直前のわずかな時間、結晶のように凝縮した美しいクライマックス。この映画の白眉だと思う。
ため息の出るようなきざな台詞。当方のような「平凡人」では残念ながら生涯、口にすることはあるまい。せめて演技でもいいからしてみたい。

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その時、追いかけて来た悪漢シュトラッサー少佐。リックはすんでのところで撃ち殺した。
ことの次第をすべて理解したルノー署長は、ここで一転リックを助ける。リックとの友情を優先したのだ。彼もまた本心は「反ナチ」なのだった。このときの粋な計らいの言葉。部下に言う。

Round up the usual suspects.
いつもの容疑者を検挙しろ。

ルノーの部下は、犯人がすでに逃亡したものとみてその場を去る。

別れ際のイルザ
God bless you! さようなら、リック。

パリでの別れと同じ言葉ながら、今度こそ「永遠の別れ」なのだった。

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God bress you.

朝靄の空港を飛び立つ機影。
中折れ帽を少しばかり斜に構え、トレンチコートの襟をそばだて、ポケットに深く手を入れたまま機影を見送るリック。

愛するが故に、永遠の別れを選択した「深い孤独感」が背中に漂う。アメリカ人に受ける「ダンディズム」なのだろう。

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二人だけになったルノーは「ヴィシー水」の瓶をゴミ箱に投げ捨てる。署長の地位を捨て、リックと運命をともにする意志を示したのだ。もちろん、ルノーはナチス占領下にあるフランス人の気分を象徴している。

アメリカ建国の理念「自由」を、私は少し共感できたように思う。

製作者たちの意図を離れて、あるいは越えて、これだけの感動を観客の心に呼び起こす秘訣がここにあると思う。

リックの鮮やかな始末のつけ方。
日本語でも「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」などという。愛するイルザの幸せを最大限に思いやった決着だった。それが多くの人々の心の琴線に触れるからこそ、こんなに長い間の人気を保っているのだろうと思う。
また、そこにアメリカへ移住した人々の熱い理想があったのではないだろうか。

こうした背景があればこそ、
平和ボケの時代、整った条件のもとで、緊張感のない「恋愛ごっこ」を見るより、よほど純度の高い恋愛劇になっていると思える。

ただ、機影が去った後、主人公が「これは美しい友情の始まりだな」と言ってルノー署長とともにスクリーンを去る「落ち」は、やや蛇足に感じる。実際、後でこの場面だけが付け加えられたようだ。プロパガンダのためだろう。

Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship.

それはそれとして・・・・・。

改めて同時代の「大日本帝国」の貧弱な文化状況と思うと、「あの戦争」の勝敗はハナから決まっていたな、とも思ってしまう。

負けた理由は、「物量の差だけ」ではなかったと言える。
カルトのような「国家神道」に凝り固まった「ダイニッポンテイコク」は、すでに文化でも完敗していたのだろう。

“Casablanca カサブランカ B級と思いきや不朽の名作に” への4件の返信

  1. いつもいつも素晴らしい内容で感服しています。私も1950年代前半の生まれで、非常に似た考えをしていて共感するところ大です。私は高校の歴史を今も非常勤で教えていて、大好きな「カサブランカ」(イングリット・バーグマンを見るためにという方が正確?)の「ラ・マルセイーズ」の場面を、歌詞(いかにも革命歌!)の日本語訳を見せた上でビデオで見せています。文章の最後の「美しい友情の始まり」という部分、ルノー署長ではなく、リックの言葉です。この部分は製作者ウォリスが映画完成後ボギーを後から呼んで付け加えたとのこと。また英文のLousはLouisの誤り,freindshipはfriendshipの誤りです。弘法も筆の誤りということでしょうか。

    1. gonta様。有難うございます。
      さっそく訂正させていただきました。
      著者の挨拶分に書きましたように、私はごく平凡な「退役サラリーマン」にすぎませんので、学校の先生に読んでいただいてるとは恐縮しました。
      ものすごく遅筆でして、今も数か月に一本程度の出稿ですが、これからもお付き合いのほど宜しくお願いいたします。

      1. こちらこそよろしくお願いします。私は映画ファンというわけではありませんが、「カイエ・デ・モード」というファッション関係のウェブがものすごい情報量で、女優モード図鑑のイングリット・バーグマンの項に、ボギーと昨晩と今夜の話をするイボンヌ役のマデリーン・ルボーがナチスから逃げてきたホンモノのフランス人だと書いてあり、なればこそ「ラ・マルセイエーズ」であんなにもクローズアップされていたのかと納得しました。またラズロ役ポール・ヘンリードを米国に逃亡させた手助けをしたのがシュトラッサー役のドイツ人コンラート・ファイトとも書いてあります。男の私にはあまり興味のないファッションについても参考になります。ぜひ開いてみてください。オードリー関係はそれぞれの映画の方にコメントします。

        1. gonta様
          さっそく拝見しました。
          こんな素晴らしいサイトがあるとは、つゆ知らず、感激しました。ファッションに無知な私にとって、知らないことばかりです。おかげで映画「カサブランカ」をさらに立体的に理解できました。
          本当に有難うございます。

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