キトラ古墳壁画 飛鳥人の宇宙感覚(2 )

キトラ古墳に埋葬された人物については、天武天皇の皇子・高市皇子、長皇子、阿倍御主人、渡来系の東漢氏など諸説あるそうだが、いずれにせよ相当身分の高い飛鳥貴族であったことは確かだろう。古墳年代でいえば終末期に当たるそうだ。
まだ火葬は普及していない。仏教導入の影響もあったのだろうか、同時代の持統天皇は火葬された最初の天皇だという。これから葬送儀礼も大きく変化してゆく時代なのだろう。

古墳の石室の簡略図は以下の通り

キトラ古墳石室略図

で、盗掘孔は幸い南壁の朱雀像を外れていた。「四神の館」にはそのレプリカが展示されているので、石室の規模を実感しやすい。

キトラ古墳レプリカ

同時期に築造されたという高松塚古墳も、同じく鎌倉時代に南壁から盗掘されたが、おそらくそのときに漆喰が破壊されたため、描かれていたはずの朱雀図は残っていない。展示説明では、四神のうち、白虎が南向き(高松塚・これが一般的だという)か、北向き(キトラ)かの違いがあると指摘されている。キトラのほうの朱雀図は芸術的にも評価が高い。

高松塚古墳壁画は優美な飛鳥美人の絵図で有名だが、キトラの場合は四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれていて、そのうち、北壁・玄武の「子(ね)」、東壁・青龍の「寅(とら)」、西壁・白虎の「戌(いぬ)」、南壁・朱雀の「午(うま)」など6体が確認されている。
素人目でみて、中国大陸の神仙思想を連想する。

高松塚古墳の天井は二十八宿の模式図が基本で、日像・月像も描かれているが、キトラのほうがはるかに精緻な天文図となっている。

高松塚天井模式図

特別公開用パンフレットを見ると

「・・・キトラ古墳の天井に描かれた天文図(キトラ天文図)は、天の北極を中心にした円形の星図です。金箔と朱線で中国の星座が描かれており、現状で74座確認できます。天文図の東には金箔で太陽が、西には銀箔で月が表現されています。古代中国では、天には天帝が治める世界が広がっていると考えられており、キトラ天文図も、その天の世界観に則り描かれています。
キトラ天文図の大きな特徴は朱線で描かれた4つの大円です。3つの同心円は、内側から内規、赤道、外軌を表し、もう1つの北西にずれた円は黄道を示します。これらの円は長期にわたる天体観測によって初めて理解できるものです。一部に間違いもありますが、この4つの円を備えることから、キトラ天文図は本格的な中国式星図としては世界最古の違例といえます。」
との説明文が載っている。

私はてっきり埋葬された飛鳥人が見上げた宇宙像が描かれたのだろうと思っていたが、専門家の分析では、どうやらそうではないようなのだ。「一部間違い」という指摘も気になる。

そこでいろいろ調べてみたのだが、この点については、実際にキトラ古墳の天井図を調べた天文学史の専門家・中村士氏の「東洋天文学史」(丸善出版 サイエンス・パレット020 平成26年刊)がとても参考になった。以下はその引用

「・・・・・じつは、朝鮮や中国のものよりも精巧にみえる星座図を持つ遺跡が二つ見つかっている。
一つは奈良県明日香村の高松塚古墳の『天井星宿図』である。1972年に発掘された。700年前後の終末期古墳と推定されている。薮内清の調査報告によれば、古墳の四壁に高句麗古墳の所で述べたような四神図が、天井には二十八宿を、7宿ずつ4方位にグループ分けした星座図が描かれている。全部で約170個の星は直径9ミリメートルの丸い金箔を貼り付け、星々を朱線でつないで星座を示していた。高句麗時代の朝鮮、中国で発掘された古墳天井星座図に比較すると高松塚のほうが精緻に描かれ、金箔の使用も珍しいという。不思議なことに、高松塚天井星座図とよく似た配置の古墳星図は、中国西部の新彊省トルファンのアスタナ古墳で1例だけ発見されているが、中国・朝鮮では見つかっていない。このことはやはり、二十八宿星座図は中国起源であり、後に遠く東と西に伝播していったと考えるべきなのかもしれない。・・・・」(同99-100ページ)
のだという。

そうすると、たまたま高松塚古墳やキトラ古墳が先駆的に発見されたのであって、今後中国や朝鮮半島で新たに同等レベルの天文壁画が発見される可能性があるのかもしれない。

更に続く

「・・・・次いで1998年に、高松塚古墳からわずか1キロメートルのキトラ古墳の内部にも、四神図と天井星座図が発見された。天文図関係の調査は天文学史家の宮島一彦氏が担当した。キトラ古墳は高松塚古墳とほぼ同じ、700年前後の築造と推定される。星は高松塚と同様な小丸の金箔で示され、星同士を結ぶ朱色の連結線も見られた。・・・・ほかの古墳星図に類を見ない精密な星図という印象を受ける。天の川は描かれていない。」

続くこのあとが大事な指摘だと思う。

「・・・・しかし、詳しく測定すると、内規・外軌、赤道の直径比が不正確だったり、黄道の偏心の方向が実際とは180度反転していたそうである。(紙の星図を天井に裏返しに転写した誤りと考えられる)。各星宿の形もくずれたものが少なくなかった。それでも、利用できた計測データから、宮島氏はこの星図が観測されたのは緯度が約38度の地、制作年代はおおよそBC65年からAD400年頃の間と』推定した。・・・・当時の日本人が独自にキトラのような進んだ星図を作る能力はまだなかったはずという判断から、その原図はおそらく中国・朝鮮からもたらされたのだろうと宮島氏は結論した。
私もこの結論に賛成である。・・・・・高松塚、キトラの古墳に見られるような精密な星図が描けるためには、その背景となるかなり進んだ天文学知識がなければならない。中国・朝鮮にはこの時代、またはそれ以前に、そのような星々の記録と天文学知識があった・・・・・・しかし日本の場合には、そうした事実はまったく知られていない。例えば最古の正史、「日本書紀」にも、数理的かつ体系的な天文知識を持つことを窺わせる日本人の記述も記事も見当たらない。したがって、古墳の天井に描かれた星座図を作れたのは、大陸の天文学知識を持った帰化人か渡来人ではなかったかと私は思う。とはいえ、特にキトラ古墳の天井図は、それ以外の星座図とは一線を画した科学的な星図に近い、世界的にみてもきわめて貴重な存在であることは疑いない。・・・」(101-2ページ)

ここで「朝鮮や中国のものよりも精巧にみえる星座図」というのは、「詳しく測定すると、内規・外軌、赤道の直径比が不正確だったり、黄道の偏心の方向が実際とは180度反転していたからだそうである。(紙の星図を天井に裏返しに転写した誤りと考えられる)。各星宿の形もくずれたものが少なくなかった。」という指摘と関連しているのだろうと思われる。

確かにキトラ古墳の天井図は精巧だが、あくまで「輸入品」もしくはその模写などを基礎として作図されたのであり、この古墳が築造された時代の飛鳥にはまだ本格的な天文学が確立していなかったために、詳しい調査をすると、今日の水準からみて初歩的な誤りがあった、というのだろう。
だから、パンフレットの「一部に間違いもあります」という指摘とともに、4つの円(内規、外気、黄道、赤道)についても、「これらの円は長期にわたる天体観測によって初めて理解できるもの」だから、この天文図が中国大陸や朝鮮半島由来の「渡来文化の輸入品」だと推定しているのだろう。

どうやら、飛鳥人そのものが親しく天空を観測して得た知識を描いたものではなさそうだ。この天文図が描けるようになるまでには、相当精緻な観測技術とそれを基礎にした科学的宇宙論の確立が前提になるようだ。

とはいえ、遣隋使・遣唐使を派遣して本格的な中国式の都城である藤原京が構築された時代なのだから、本家ほど専門的な理解には至っていなかったかもしれないが、飛鳥の支配層が最新の舶来の宇宙観をそれ相応に理解したうえで、古墳築造に採用したに違いない。

つまり、埋葬された貴人は、大陸や半島の先進文化を真っ先に享受する立場の人物だったのだろう。

“キトラ古墳壁画 飛鳥人の宇宙感覚(2 )” への2件の返信

  1. はじめまして、検索からこのサイトに到達しました。

    専門家ではありませんが、日本の古代史を研究しています。天体図は非常に興味深く、キトラも以前から見たいと思いつつ、なかなか叶いません。

    調べてみると、三世紀前後の支那のサイエンスのレベルの高さは刮目に値します。また、日本において、記紀を参照すると、ほとんど天体の記述がありません。天津甕星くらいでしょうか。

    さて、記事中、場所が北緯38度とありますが、相馬充,”キトラ古墳天文図の観測年代と観測地の推定”(国立天文台報,2016)2015受理、によりますと、『33.9度±0.7度』となっていました。で、その場所が洛陽や長安では無いかと指摘しております。
    我田引水で恐縮ですが、33.9度は徳島県神山町付近では無いかと。エビデンスは全くありません、単なる直感です。

    唯気になるのは、”鉄は国家なり”と言われます、製鉄方法が支那と日本で何故異なるのか、これを考えると先進技術は大陸から・用途不明な出土物は祭祀の道具と揶揄される所以が理解できます。
    青森に16500年前、土器があったという史実もまた、一考の価値があるかと思います。

    最近、ブログ形式が廃れてゆく中、このようなサイトを書き続けている事に、感謝と敬意を表します。ありがとうございます。

    1. 「らくじん」様
      拙文を読んでくださり、有難うございます。専門家の調査をそのまま孫引きしたものですので、まったく自信がありません。
      国立天文台の相馬充氏の指摘はまったく知りませんでした。有難うございます。

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