映画「ハンナ・アーレント」       人が「考える事」を捨てた時(1)

同じドイツ映画だが、「ヒトラー最後の12日間」がナチズムとヒトラーをその断末魔の12日間で描いてみせたのに対して、別の角度からナチズムのリアリティーを抉ってみせた映画が「ハンナ・アーレント」だろうと思った。

この映画は「アイヒマン裁判」(61年)を傍聴したハンナ・アーレントに焦点をあてて描くことによって、この類まれな知的巨人の孤高の姿を紹介してみせたのだろう。
確かに素晴らしい作品だ。思想信念に妥協のない生きかたを学んだ。

1960年、アルゼンチンでイスラエルの特務機関モサドに捕縛された元SS将校のアイヒマンが、イスラエルに秘かに移送され(アルゼンチンにとっては主権侵害)て裁判を受けることとなった。
このとき、ハンナ・アーレントは、「ニューヨーカー」誌に自ら応募して裁判の傍聴レポートを発表する(63年)。もともとはユダヤ人虐殺のナチ戦争犯罪人を直に考察することが、彼女の主たる目的だったようだ。

いうまでもなく、ハンナ・アーレントは20世紀を代表する高名な思想家、政治学者だが、一般には余り知られていない。

ハンナ・アーレント
ハンナ・アーレント

私自身も学生時代から彼女の名前はよく耳にしたが、その著作に触れたことはほとんどなかった。ユダヤ系ドイツ人で、ナチの手を逃れてアメリカに亡命した学者(政治難民)、アイヒマン裁判レポート「イエルサレムのアイヒマン」を書いて大論争を巻き起した人物・・・・・・という程度の表面的な認識だった。
映画「カサブランカ」で、ナチに追われリスボン経由でアメリカに脱出したヴィクター・ラズローと妻イズラ(イングリッド・バーグマン)のケースを連想する。ハンナ・アーレントの場合は、夫と彼女の実母が一緒にアメリカに政治亡命した。パリ陥落後だった。

それから20年近い月日が経て、アーレントはアメリカで大学教員としての地位を確立していた。
アイヒマンをレポートした彼女の主張をひと言で言えば、本来「考える葦」であるはずの人間が、組織システムの中で思考停止に陥ったとき、平時ではなし得ないような罪を犯す場合があるということではないかと思った。

人間が他の生物と区別できるのは、まさにこの自主的に「考える」という機能を生命に備えているからだ。ここに人間であることの「アイデンティティー」がある、と彼女は考えていたのではないだろうか。
アイヒマンは自分の頭で善悪是非を考えない、組織の論理に忠実な「能吏」に過ぎなかった。いったん組織を離れれば、どこにでもいるような平凡な人でしかなったとアーレントはみた。
イスラエル政府が演出したかったような「悪魔」ではなかったのだ。

映画「ハンナ・アーレント」
裁判を傍聴するハンナ 映画「ハンナ・アーレント」から

そうした冷静な観察にハンナを導いたのは、彼女が若き日にハイデガーやヤスパースなど20世紀を代表するドイツ哲学と出会い、直接学んだからであったのだろう。(ハイデガーとはいわゆる不倫関係であったらしいことがまた別のスキャンダル論争の種になったようだ。なぜならハイデガーは一時、ナチ協力者であった。)

彼女にあっては、そのアイデンティティーは「ユダヤ民族」であるよりも「人間」であることのほうに優位があったのだと思われる。大事な観点だと思う。

しかし、そうした彼女の思想のユニークさは当然のことながら、かつてシオニズム運動をともにしたユダヤ人同胞や弾圧を生き抜いた年来の友人からも激しい非難を浴びた。アーレントと袂を分かった学生時代の旧友の悲痛な姿が描かれている。艱難をともに生きて来た仲間からの批判であったただけにつらかっただろう。

ドイツ出身の彼女自身、フランス亡命以来、実に「無国籍」状態が18年続いた。
そして、やっと国籍と地位を得たアメリカといえども、決してパラダイス=「安息の地」ではないことを突き付けられたのだった。
「イスラエルのアイヒマン」をきっかけにした彼女への非難の嵐のなか、大学の一致した見解として教員退職を勧告された。ドイツ、そしてフランスから命からがら逃げてやっとたどり着いた「自由の国」アメリカで、また生活基盤を失う危機。さぞかし深刻な体験であったと思う。

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思想家ハンナ・アーレントの所説の詳細を知らない私には、彼女の政治学説を正面から評価する能力などないが、この映画に出あってひとつ大きな励ましを得たことだけは確かだ。
また、あのホロコーストを経験した民族がなぜパレスチナ人を抑圧するのか、ずっと不審に思ってきたが、この映画はその疑問に一つのヒントを与えてくれた。

ナチズムの迫害にあったユダヤ人にとって、空前の厄災の只中でともに死線をさ迷い、命を支えあった多くの同胞・・・その無理解と非難にあっても、彼女は決然「孤立」を恐れなかった。空気に流される生き方を拒否した。

研ぎ澄まされた知性は、それこそ全世界と対峙せざるを得ないほどの「孤絶」を生きねばばらない場合があるのだろう。
彼女の場合は、幸い理解ある夫との強い絆があった。あとはごく少数の理解者を除いて支持者はいなかったようだ。

晩年の彼女の表情には、そうした波乱の中で鍛え上げた「威厳」が窺える。

私には、そう思えた。

晩年のハンナ・アーレント
晩年のハンナ・アーレント

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