この作品はかねて評判の高い作品なので、一度は見たいと思っていた。
実際、衝撃的な映画だった。
20世紀が如何に血塗られた殺戮の歴史であったか、改めてその不幸な史実に向き合わさせられた思いだ。証言の一つが第2次大戦中のポーランドにあった。
強国に挟まれたポーランドの運命を象徴するような、印象的なスタート・シーン。
西側から攻め込んでくるナチス・ドイツ軍と東側から迫ってくるソ連軍。大きな橋の上で両岸から手荷物を抱えて避難してきたポーランド人どうしが鉢合わせする。逃げ場のないポーランドを象徴している。
過酷な運命に翻弄される人々。
全編を通して、陰影に富む美しい絵画のような背景が続く。石造りの街並み。雲がたれ込み雪の舞う景色が多いので、重苦しいまでに暗い。身も心も冷えきる。
主人公はポーランド軍大尉。ソ連軍の捕虜になったところへ妻が幼い女児を伴ってやっと会いに来る。
妻は故郷に逃げ帰ることを勧めるが、彼は国家と軍に忠誠を誓い夫婦は分かれた。それ以来、5年あまり妻は義母とともに、ひたすら夫の帰りを待つことになった。
しかしその間に、ナチ支配下の体制で大学教授であった義父は反ナチ宣伝をしたという理由で、大学職員全員とともに収容所送り。
やがて木箱とともに死亡通知が義母にもたらされる。
なぜこんな残酷なことが起きたのだろうか。
他の動物は、同じ「種」どうしで不必要な「大量殺戮」はしないという。ところが人間は殺しあうことを目的にし得る。その動機は人間だけに内在する深い闇なのだろうか。「百獣の王」どころか、極悪の害獣ではないか。
1939年、独ソ不可侵条約を結んだナチス・ドイツとソ連は、東西からポーランドを侵略して勝手に分割してしまう。
武装解除され、捕虜になった兵卒は解放されるが、将校は列車に詰め込まれ収容所送り。
カティンの森の鬱蒼たる林の中で、手際よく機械的に全員虐殺されてしまうのだ。
将校たちはいずれポーランドが再建されると、反ソ運動のリーダーになる可能性があるので、未然に抹殺してしまうのだという。
こんな思考が正当化されるイデオロギーとは何だろうか。
スターリン主義の、悪魔のような一片の指令で、なんのためらいもなくシステマティックに抹殺されてゆく。まるで「人の殺処分」といっても決して過言ではない。
物語の後半に出てくる、この大虐殺シーンは、ぞっとするようなおぞましい恐怖感を呼び起こす。実話だと思うと正視に堪えない。
将校たちは殺される直前で、聖書の詩句を口ずさむ。
人が死を目前にした最期の瞬間に発する言葉は、その人の生きてきた「物語」の文脈で締めくくられる、ということだと思う。
「神よ、我らの罪をもゆるしたまえ」
事件はやがて発覚する。
初めはナチが「ソ連の戦争犯罪」として、のちはソ連が「ナチスの仕業」として、互いに相手に責任をなすりつける宣伝合戦。カティンの森が双方に入れ替わって占領されたからだ。
こんな罪深い行為ですら、平然と「政治利用」するという、人間の業の深さ。いずれも政治的「正義」を標榜した。
スターリンは革命の同志に対してすら、大虐殺を敢行してのけた。(フルシチョフ回想録)
「圧政からの解放」という、輝く希望に命を懸けた人々を、圧政者も顔負けの残酷さで抹殺してのけた。
戦後、共産政権下のポーランドの人々はうすうす「真相」を知りながら黙し、「ナチスの仕業」というフィクションで口裏を合わせて生きてゆくしかない。大部分の人は圧倒的な暴力支配に服従・迎合するほかない。勇気を持って「嘘」を告発する少数のものは、たちまち社会から消去されてゆく。良心の呵責に耐えられない者は自死する。
アンジェイ・ワイダ監督は、ギリギリの境界線上でしぶとく体制を告発し続けてきた。
やっとソ連が崩壊し、80歳にして満を持して作成したこの映画は、「カティンの森」で虐殺された、監督自身の父親へのレクイエムでもあった。
真実が公式に認められるには、20世紀末のゴルバチョフ革命まで待たねばならなかった。真相は半世紀余りも隠されてきた。
冷戦が終って初めて真実が明らかになったことは多い。※「戦場のピアニスト」
人間の尊厳を徹底的に剥奪する「全体主義」の暴力。
権力が「正義を偽装」しながら、実は人間を最も苛み苦しめてきた歴史。それがいかにあざとく罪深い行為かを思い知った20世紀でもあった。「正義」の仮面をかぶった権力の悪魔が跳梁跋扈した。手塚治虫の長編漫画「アドルフに告ぐ」にも通じる問題意識だと思う。
看過できないのは、それがどうやら人間自身の深層に潜む、「根本悪」に由来するということなのだろう。その悪が、今もなお世界のあらゆる局面にわたって「構造的暴力」を振るっている、ということだと思う。
今もなお、この地球上で、大小さまざまな形の新たな「カティンの森」が再生産されているのだ、と思い至ってこそ、初めてワイダ監督の製作意図を十全に受け止めることができるのではないだろうか。
事態は「現代進行形」なのだと。
アンジェイ・ワイダ監督の映画を知ったのは一年半くらい前になります。
新聞の掲載されていた評論をを読んだのがきっかけでした。
興味があり、観たいと思う反面、観るのに勇気のいる作品だと思っていました。
今回の投稿を読んで、それは的中しました。
と同時に、その国の歴史等を知ることができ、また知っていくことが大事なんだと感じます。
アンジェイ・ワイダ監督の映画を通して、ポーランドという国の歴史の一面を知りたいと思います。