Pay it Forward (恩送り) 

216339_1020_A14年ほど前のアメリカ映画だが、ここに描かれているアメリカ社会の現実は、今もそのままだろうと思う。

校内暴力、いじめ、アルコール中毒、家庭崩壊・・・。

そしてその傾向はタイム・ラグをおいて、そのまま今日の日本にも現れて来ていると思われる。

場面設定は砂漠の中の歓楽街ラスベガス郊外の町。なんとなく索漠とした荒廃感が背景に漂う。
歓楽街の人心の荒廃と、潤いの少ない砂漠地帯という背景が呼応しているように思えるのだ。

出だしの場面。主人公トレバー少年が中学校に初登校するシーンに驚いた。
学校の入り口で、金属探知機を通らなければならないという有様。しかもその金属探知機にちゃっかりナイフを通すテクニックを身に着けている子供。

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「Pay it Forward」という言葉は適当な訳語がみつからないが、見返りを期待しない「恩送り」とでも訳すのだろうか。そこに込められたメッセージは、ひとことで言うと、見返りは期待しないでアカの他人に施しを与える行為の連鎖。恩返しではない。
見返りを期待しない「善意の施し」を、1人から3人にネズミ算式に拡大連鎖して拡げゆこうというアイデアだ。

好意を受けた者が、今度は自分が主体になって全く別の3人に善意を伝え、拡大していくというものだ。善意を施す自分と、向ける相手との間の関係性は問われない。基本的にまったく見ず知らずの他人である。

このアイデア自体は決して新しいものではないのだという。一般的に欧米ではボランティア活動を大切にする伝統があるので、決して荒唐無稽とは言えないリアリティーがあるのだろうか。

何か自然災害や社会的な事件をきっかけに呼びかけがあがって、はじめて発生するというわけでもない。

 日本で言えば中学校1年生、最初の社会科の授業でシモネット先生から与えられた課題・・・・“自分の手で世界を変える方法”・・・・をヒントに11歳のトレバー少年が思いついたひらめきだった。それが「Pay  it Forward」行動で、意外にも見ず知らずの人々の間でそれこそネズミ算式に拡大する。

ふとしたことから自分もその「善意の施し」をまったく見ず知らずの人に受け、その出どころに関心を持ったある記者が、ことの起こりを手繰って取材を開始した。出もとを訪ねていった果てに、最終的にこの少年のアイデアにたどり着くという筋だて。

 ところで、そのシモネット先生は、顔から首にかけてケロイドが浮き出ていて、初めての授業で生徒たちを驚かす。何かいわくがありそうだ。

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運動に参画した、社会的に立場のある弁護士に記者がこの活動を「カルト運動か」と尋ねる場面もあるところが面白い。さすがに記者の質問に心外だったのであろうか、弁護士は真相を明かす。

それは喘息の発作で苦しむ娘を伴って、病院で父娘で順番待ちをしていたときのこと。今にも苦しんで呼吸困難に陥りそうな娘に応急処置を求めたにもかかわらず、待合での順番待ちを繰り上げてくれない病院スタッフの杓子定規な態度。
それ見ていた、たまたまけがで同席していた黒人男性が看護師さんたちの冷たい応対に怒って、いきなり拳銃を下に発射。くだんの娘への緊急対応を強引に要求する、という場面がある。「善意の表現の仕方」が銃をぶっぱなす、というところがいかにもアメリカらしい。
でもこれが効奏したのだろう。弁護士の娘は順番を繰り上げて処置してもらった。

 弁護士はこの黒人男性の善意へ「恩返し」するために、まったく赤の他人に何らかの「善意」を無償で施すことにした。その相手がたまたま車が大破して困っている取材記者本人だったという経過を明かす。

そして、この黒人男性は盗みをして警察に追われている時に、危うく通りかかった車に乗せて助けてくれたホームレスの老婆からこのアイデアをもらったのだという。

この老婆が実はトレバー少年の祖母でもある。
祖母と母との間にも家庭の問題が原因の「心の溝」があって、祖母はホームレスなのだ。郊外にたむろするホームレスたちの溜り場で暮らしている。
ホームレスだけど車に乗っているところがアメリカらしい。その車で買い物に出かけていて、偶然に出会った例の黒人男性を助けてやった、というわけだ。

でも、これは厳密にいうと「犯罪幇助」になるだろう。警察に追われていたのだから。

 通常の法規や規範、あるいは「常識」を超えてしまっているところが興味深い。うがった見方をすると、社会の混乱や家庭崩壊は、もはや既存の秩序や倫理をそのまま復興しようとしても、根本的な解決は期待できないということなのだろうか。

私には、いわゆるモラル・ハザードの行き着いた果てのような、荒廃した風景に見えてくる。
アメリカ社会の一断面に過ぎないなどとタカをくくってはいられない。もはや日本にとっても、「対岸の火」ではいられないように思えるのだがどうだろうか。

いずれにせよ、こうした状況の中で、見返りを求めずに相手への善意を主体的に行動しゆく運動なのだろう。
それがなにかしら「宗教的な行為」にも見えるからこそ、取材記者は「それはカルトか」と問うたのだと思う。
しかし、こうした無償行為は、現代社会を取材しているマスコミの「社会常識」には、新手の胡散臭いカルトにしか見えないのかもしれない。
それはマスコミの社会を見る眼が歪んでいるからだろうか。

かくして記者は、そもそもの出処の少年にまでたどり着くのだ。
すると、それは学校の社会科の課題への取り組みからこと始まったということがわかった。
ここで一転、トレヴァー少年は「英雄」になって、テレビインタビューを受けるということになったが・・・・・。

 今度はこの実践を思いついたトレヴァーに焦点をあててみよう。

実は、中学1年生のトレヴァーは、アル中で家庭内暴力の父がいる。夫婦仲たがいしてその父は家を出ている。だからバーやゲームセンターで働いている母アーリーンと2人暮らし。
しかし本当のところ、母親もアルコール中毒に侵されている。トレヴァーに内緒で、しばしばこっそりとアルコールに手を付けている。

主人公にとっては、何よりも自らの崩壊した家庭を回復したいという切実な願いが根にあるように思える。その憂いに満ちた純真無垢な表情やしぐさが心に染みる。
彼は祖母も含めた自らの家庭の歪みと家族の相克を、一番弱い立場で蒙っているのだろうと思う。家族皆が仲良く平和であって欲しい。こどもの発育にとって家庭環境は死活的に重要だ。

 そんなトレヴァー少年の努力は、薬物中毒でホームレスの青年に社会復帰の機会を与えたり、母と独身のシモネット先生の間の急接近を図って実現したりする。
ストーリー展開の過程で、母親も先生もそれぞれが少年少女時代に深刻な傷を負っていることが明かされていく。

顔から体に大きな火傷を負っているシモネット先生は、はじめはなかなか心を開かなかった。トレヴァー少年の願いを込めた協力もあって、母と先生はなんとか結ばれる。間の悪いことに、そこに家出していた父が帰ってきたり・・・・という展開。

しかし残念なことにトレヴァー少年は、インタビューが放映された、まさにその日に、いじめられていた友人を助けようとして、逆にいじめっ子に刺されて死んでしまうのだった。

 ともかく、主人公であるトレバー役の11歳の少年の演技が真に迫っていて卓越している。成長過程で子供と大人の中間地帯にある少年の、憂わしい心理としぐさをまことに見事に演技しているので感心した。
身近な大人たちの不幸を憂い、なんとかその平和と幸福を回復したいと切実に願う思いが、憂わしいしぐさによく表現されている。

クラスの他の子供たちの演技の上手さも秀逸だ。同世代の日本人の子供たちよりはるかに演技力があると言ってよいのではないだろうか。文化の違いだろうか。「演ずる」「表現する」ということが、日本人一般よりも進化しているのかもしれない。
トレヴァーから3世代遡って計算すると、祖母は1940年から50年代の生まれという計算になるだろうか。
アメリカが史上最も繁栄した時代に生まれ育った世代が、この少年の祖父母の世代ということになる。

 第2次大戦に勝ち、未曽有の経済繁栄を謳歌したアメリカン・スタンダードが、世界を席巻したかに見えた50年代から60年代頃。
その時代からは想像もつかないような、現代アメリカの凋落ぶり。

私の友人のある白人アメリカ人が語っていた。そのご両親は60年代の栄光を知る年配のアメリカ人なのだろう。
「なぜこんなにアメリカは悪くなってしまったのだろうか」と嘆くことがあるという。

 ストーリーの中で判明するのだが、シモネット先生のケロイドは子供の頃に実父から受けた虐待だった。夫婦の不仲、父子関係のトラブルのなかで、なんと実父からガソリンをかけられ、火をつけられたのが原因だという。なんとも凄惨な話だ。自分に火を付けたときの父の眼には、恐るべき「満足感」が浮かぶのを見たのだという。

「ネオ・コン」とか「原理主義」とかいわれる社会政治勢力が伝統的な価値観の復活を声高に呼びかける動機の一つがわかるような気もする。
これほどまでに荒れた社会をなんとか復旧したいという切なる願いと試みを、一人の少年の発案と実践に託したのかもしれない。

だが、古い価値観をそのまま持ち出してきても、現代の問題には本質的な解決はできないと思う。どこかちぐはぐなのだ。

 この映画では、少年の勇気が社会に広がるやに見えたとき、でもとの本人が殺されてしまうという、なんともやりきれない結末を迎えるのだ。
だが、勇気ある先駆者の訃報を聞いて予想外の多くの人々が少年の死を悼み、ローソクを灯して自宅前に行列をなす・・・・・。

Pay It Forward the last ten minutes

 それでもまだ絶望するには早い、希望はあるのだ、という作者のエンカレッジメント・メッセージなのだろう。トレバー少年を悼む心に、「人間の生き直し」を促す効果があると考えたのだろうか。
Watching a movie creates a mourning heart for the Trevor boy. You may have thought that the feeling had the effect of promoting the “Human Revolution.”

追記:ある早朝、ラジオ体操が日課になっている著者は、夜明けの小径を歩いていて、財布を拾った。中を見てみると金銭とともに免許証や健康診断書まで入っていた。
たぶん、早朝に働く清掃作業員のものと思われた。相手の会社名、氏名がわかるのでそのまま届けようかと思ったが、思い直して、こちら側をまったく匿名にして交番所に届けた。
ささやかな善行だが、ふとこの映画を思い出した。

2021年11月29日記

参考

Pay it forward is an expression for describing the beneficiary of a good deed repaying it to others instead of to the original benefactor. The concept is old, but the phrase may have been coined by LilyHardy Hammond in her 1916 book In the Garden of Delight. “Pay it forward” is implemented in contract law of loans in the concept of third party beneficiaries.

ウイキペディアより。