義父母との会話で次第に判明してゆくのだが、主人公の紀子(原節子)は八年前、おそらく終戦間際に夫を戦死で失ったのだ。夫・昌二は結婚直後に応集したのだろう。子供はいない。
そして紀子(原節子)は今も独身のままだ。
まだ若くて美しい後家さんのままでいることが、先の短い老夫婦には気がかりになっている。
この映画が発表された当時、同じような境遇の「戦争未亡人」がたくさんいた。

実の長男長女がそれぞれ生活と仕事で精一杯なため、充分なもてなしもできない。そこで長女志げの依頼で、紀子が今日は仕事を休んで東京見物を案内してくれた。
独り身の身軽さも手伝って、実子よりも義理の娘のほうが時間をかけて甲斐甲斐しく親孝行してくれる、運命の皮肉。
女優・原節子の存在感が、いやがうえにも耀く。

その晩、長男の幸一(山村聰一)と長女の志げ(杉村春子)は、持て余した老父母をどう処遇するか思案していた。
「・・・・お父さんお母さんいつまで東京にいるのかしら」
このとき、志げは金を出し合って父母を熱海に送り出してしまうという「妙案」を思いついたのだ。これなら手がかからない。志げが、美容師の仲間内の研修会か何かで泊まったことのある旅館なのだろう。
「・・・熱海でいい宿屋知ってんの。見晴らしがよくて、とっても安いの」
これに二つ返事で飛びついた長男幸一。
「総領の甚六」タイプで、いつも妹のほうが先導役なのだ。
幸一も、子供や父母を連れて遊びに行こうと考えていたところに急患があって、結局両親をどこにも連れていけず仕舞いで気がかりだったのだ。
田舎を出た長男というのは、残念ながら親の期待に応えられない場合が多いのだろうか。
地方からの上京者にとっては、過酷な生存競争の東京なのだ。この背景には戦後の「都市化」という事情も反映しているだろう。ちなみに、父の周吉は尾道の公務員(教育課長)だったようだ。
「・・・・そりゃいい。おれもちょいと困ってたんだ。そりゃいいよ・・・・」
「・・・・そうよ、この方が安上がりよ。それに温泉も入れてさ・・・・・」
志げの連発する「安上がり」という言葉には、ある種の酷薄さが響く。自分を生み育ててくれた親なのに。
東京はシビアな経済原理の街なのだ。ここで生き抜くために志げが身につけたのだろう。

この幸一、実は大学で「博士号」を取得したという医師なのだが、両親がはるばる尾道から上京して訪ねてみたら、住んでいるところはかなり郊外(足立区内らしい)で、大きな川(荒川か)の土手下、つまり場末の住宅兼医院といった零細な構えだった。ここにも「東京のせちがらさ」が見て取れる。
しかも、老夫婦が宿泊するために、2階子供部屋の勉強机を廊下の奥に仕舞い込まなければならないほど手狭な住宅だった。
内科・小児科の町医者だが、看護婦さんもいない(つまり雇う余裕がない)ようで、包帯も妻が洗っている。
尾道を出発するときには、隣家の御婦人から
「・・・・立派な息子さんや娘さんがいなさって結構ですなァ。本当にお幸せでさぁ」
と、うらやましがられたものだったが、実際に来てみると、想像とは裏腹の厳しい現実が待っていたのだった。
長女・志げのほうも下町(台東区か)の小さな自宅兼美容院を営んでいるが、住み込みの若い女の子を1人雇って、店のやりくりに精一杯の様子だ。子供はいない。
こうして、志げの紹介した熱海の温泉旅館は、着いてみると確かに海辺の景色の良いところにある静かな宿だった。
周吉も窓外の海をみながら「・・・・静かな海じゃのう」
と当初は御満悦だった・・・・・・。

ところが、その晩の宿屋はどこかの社員旅行たちのドンちゃん騒ぎ。隣部屋は徹夜マージャンの喧騒。ついでに夜半には艶歌師の流しまで登場して、とてもじゃないがゆっくり寝るどころではない。やかましくて二人はとうとう寝付かれずじまいだった。
(余談ながら、このチョイ役で登場する艶歌師のうち、ひとりの女性は当時の小津監督の彼女だったという丹念な調査研究が最近発表された。)
けたたましい騒音が響くなか、老夫婦の部屋の外の廊下には、スリッパが二足きちんと寂しげに並んでいるシーン━━思わず唸りたくなるような演出だ。
志げの思惑とは雲泥の差があったのだ。
そもそもこの宿屋は老境の夫婦が憩うような宿泊施設ではなかったということだ。
笑えるようで笑えない、悲しいリアリティーが滲む。
こうして、罪のない老夫婦の期待が次々と裏切られてゆくプロセスはある意味、とても残酷でもある。
せっかく東京に来たものの、二人ははやくも尾道に帰りたくなってゆくのだ。
睡眠不足で疲れた二人は予定を繰り上げて、志げの美容院に逃げ帰ってきてしまった。
このときの親子のやり取りも、これまた見ていても辛いシーンだ。

「・・・・・アラ、もう帰ってらしたの?」
と不審顔の長女志げ。
これに対して、まさか宿屋がやかましくて寝付かれもしなかった、などとは言えない父母。お金を出してもらっている弱い立場だ。
「・・・・・もっとゆっくりしてらっしやりゃいいのに・・・・どうなすったの?」
これはきつい。老母とみも、志げの詰問調に気おされて、おどおどしているのがありありと見てとれる。子供の顔色を窺いながら、本当のことがますます言えない惨めな老父母。この構図の位置関係も見事だ。いかにも老夫婦が志げから「とがめられている」風情を表現している。
有体に言って、志げは厄介払いが効奏しなかったために不満気なのだ。その剣幕にたじろく老父母が余りに痛々しい。こんなとき、実子だからこそ遠慮がないのだ。しかも志げは今晩、美容師組合の会合で自分の店が当番会場なのだという。
熱海から帰ったばかりなのに、疲れた体で二人は落ち着き先を捜さねばならない。観客として見ている我々も、親への同情の余り、とてもつらい。
そしてその直後、様子を見ていた美容院のお客が志げに
「どなた?」
と尋ねたとき、間髪をいれずに
「ええ、ちょいと知り合いの者━━田舎から出てきまして・・・・」
と、こともなげに志げが答える。すると、客が
「そう」
と継ぐ、このやり取りの凄惨さには、誰しも心痛むだろう。
いくらなんでも、実の親に、と思う人もきっといるだろう。
これはどういう意味なのだろうか。
私は以下のように思う。
たぶん、このお客は志げにとって上得意の常連さんなのではないだろうか。そして、住み込みのキヨという使用人から「先生」と呼ばれている志げは、無意識のうちに客の手前、見栄を張って出自を隠したのだろうと推察できる。
実は「東京」の水準に合わせるためなのだろう。志げは「故郷」を捨てているのだ。
私もかつて地方人として東京に住んだことがあるので、何となくこの場面にはある意味「心当たり」を感じる。根っからの江戸っ子には解りにくいだろうが、「上京」してその生存競争の渦に入った人の中には、自分が「地方人」(つまりは「かっぺ」)であることを無意識に隠そうとする心理が働く場合があるのではないだろうか。
「花の都東京」には、ついついそうした見栄を張ってしまう「空気」があるのかもしれない。「美容院」という仕事柄が、尚更これを増幅しているかもしれないと思うのは、私の邪推だろうか。
小津監督自身も、東京生まれの地方(伊勢松坂)育ちだったと思う。
田舎から出てきた老父母を、馴染み客に対してさりげなく
「ええ、ちょいと知り合いの者━━田舎から出てきまして」
と言ってのける酷薄さには、大げさに言えば東京という「虚飾の世界」に生きる長女志げの生きかたの本質が、ありありと露呈しているように思った。
「花の都」にはある種の「虚構性」があるように思う。よく考えてみると、長男、長女は尾道という地方出身なのに、終始完璧な東京弁だ。私には不自然に思える。
小津監督は意識していただろうか。
私自身は父の仕事の関係で東京で物心つき、岐阜で育ったあと東京の大学を卒業してからの大阪住まい、というような転居をたまたま経験したので、なんとなくこの「落差」に見当がつく。地方と東京、同じく東京と大阪との間に、それぞれの生活感覚の差異があると思う。何よりも「ことば」が異なる。
一言で言えば、東京は「来るも者は拒まず去る者も追わない」が、大阪は必ずしもそうではない。人の繋がり方にも大きな違いがあるように思える。
同じ国でありながらの、この微妙な「落差」の功罪はまた別のテーマとして考えてみたい。
こうした微妙な感覚の違いはこの映画を観る海外でどれだけ理解されているのだろうか。あるいは類似のケースが外国にもあるのだろうか。
ともあれ、これは深刻な映画だと次第に判明してゆくのだ。