Argument without End 「果てしなき論争」

当事者が語るベトナム戦争の信じがたい真相。
それは、まったく「無駄な消耗戦」だった。
なぜ、かくも取り返しのつかない悲劇が起きたのか ?

本書はケネディ政権からジョンソン政権に至る7年間(61年から68年)まで、アメリカ国防長官だったロバート・マクナマラの編著書。邦訳は2003年5月に共同通信社から発刊された。

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ケネディとマクナマラ

ベトナム戦争当時のアメリカとベトナムの政府の要職にあった人々で、実際に戦争を指導した旧敵どうしが20世紀末に直接会って、当時を回顧し議論した報告内容。

その目的は、あのような悲惨極まりのない戦争を、本当はしなくても済んだのではないだろうか、或いは、少なくとも無用な殺戮は未然に避けられたのではないかという、当事者マクナマラ自身の痛切な仮説に基づく。
これを、マクナマラは「回顧録」(1997年共同通信社刊)で告白していた。

それだけに内容は、ずしりと読み応えのある作品だった。

果てしなき論争

ベトナム戦争は、ちょうど私が中学生から大学生までの時代だった。

連日のテレビ・新聞報道でジョンソン大統領とともに「マクナマラ国防長官」の名前が繰り返されていたが、戦争の実態について、当時はあまりよくわかっていなかった。

のんびりした田舎の中学生、高校生に過ぎなかった私には「ベトコンとアメリカ軍の戦い」といった、表面的な印象だけしか記憶に残っていない。「ベトナム戦争」は日常茶飯事の一つで、関心は希薄だった。
しかし戦場から送られてくる凄惨な報道写真などから、相当残酷な殺戮が現に行われているということは、おおよそ検討がついていた。

だからといって自分が今、そのために何かするべきだとまでは思い及ばなかった。反戦運動も盛んだったが、自分とベトナム戦争との関係を実感できなかったので、自分の問題としてとらえる意識はほとんどなかった。

最近になってやっとこの戦争の実態について、何か手がかりになればと、手にしたのがこの著作。以前から読もうとは思っていた。
本書は、自分の予想をはるかに上回る貴重な歴史の証言だった。

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最も驚いたのは、この言語に絶する悲劇が、実はとても初歩的で単純な相互不信や思い違いが大きく起因していたということ。そして、相手の内情を忖度できないうちに「和平の好機をたびたび取り逃がした」結果であったという、にわかには信じがたい真相だ

かつての敵国どうしだから、会議では、はじめは双方への激しい非難の応酬から始まった。
その中で、はからずも双方ともに当初は想像もしなかった真相が、次第に露呈してゆくようになる。

そして時に驚きと衝撃のあまり、当事者どうしが言葉を失い、しばらく沈黙に陥る場面も何回かある。 なんとも沈痛な雰囲気が会場を支配したことだろう。
なにしろ取り返しのつかない悲惨な戦争を命じた、双方の責任者どうしだったのだから。
この戦争で傷つき、命を落した莫大な数の人々の側から見ても、まったく信じがたい不条理の極みであろう。

マクナマラ自身によれば
「・・・・ベトナム戦争は、人類の歴史を通じて最も血なまぐさい戦争の一つだった。およそ380万人ものベトナム人(北、南の軍民あわせて)が殺された。アメリカは5万8千の人命を失った。・・・・」
傷を負った人々は更に莫大な数に登るし、「枯葉剤」などの後遺症にいまも苦しむ人が多数知られている。 まさに眩暈のするような大消耗戦だった。
そして米軍は建国以来の歴史的な大敗を喫し、ベトナムから惨めな撤退を喫した。「二つの大戦を勝利した主役」という威信(実は、一方的な過信に過ぎない)は地に落ちた。

詳細は本書に譲るとして、主たる根本原因の一つが「相互の無理解」「誤解」「不信」にあったなどという、幼稚で愚劣な事実が炙り出されてゆく過程には、心底驚かされる。

まずは根拠のない、抜きがたい相互不信が根底にあった。

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ジョンソンとマクナマラ

米ソ両超大国が地球規模で核兵器をもって睨み合う冷戦時代。

朝鮮戦争、ベルリン危機、キューバ危機の延長線上だけでしかベトナムの事態を理解できなかったアメリカ。
硬直した冷戦思考にとらわれ、これを単純化した「ドミノ理論」。インドシナ半島全体が「共産化」されるのではないか、というアメリカ人の恐怖を生んだ。(その国内版の一現象がマッカーシーのデマだった。)

ここで負けるとアメリカの威信は失墜し、同盟国からの信頼も失う。

北ベトナムはソ連・中国の手下であり、その配下に南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)もあるという、とても短絡的な思い込みが基礎にあった。
ところが事実はもっと複雑で多元的であった。相手の輪郭が正確に見えていなかったのだ。
それに、アメリカには軍部を中心に、圧倒的な戦力で解決できるはずだという「驕り」もあった。相手はアジアの後進小国に過ぎない。ひとひねりで十分。2度の世界大戦での誇大な成功体験が、却って災いした。

一方、ソ連と中国の根深い確執。その間に挟まれ、民族統一と独立のために大国の思惑に翻弄されまいと苦闘していたハノイ。
長い侵略の歴史で積み重なった北辺の大国・中国への不信。共産圏の内情は、決して「一枚岩」などではなかったのだった。
場合によっては、その間隙を突くことも可能だったはずだ。

しかし、日本の軍国主義と戦い、やっとフランスの植民地支配から北側半分が独立しただけのアジアの弱小国が、世界第一の軍事超大国と対峙するためには、ソ連、中国の援助がどうしても必要だ。機嫌を損ねるわけにはいかない。かといってアメリカとの直接対決は避けたい。

それに、南の解放戦線の結成は第一義的には、アメリカの支援を受けた当時の南ベトナムのゴ・ジン・ジエム政権の過酷な圧政への抵抗であった。つまり、はじめから北ベトナムの手先としてインドシナ全体を「共産化」することを目論んだ、共産党が全的に支配する革命組織として始まったわけでもなかった。
アメリカには、それがはっきりとは見えていなかった。私もベトコンは100パーセント北ベトナムの下部組織だと思い込んでいた。

知識も情報もない中、妄想だけが独り歩きしたことだったと今更言われても、死傷した人々に申し開きもできない。もはや弁解の言葉も意味をなさない。

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一方、北ベトナム側もワシントンの意思決定のプロセスの詳細を把握してはいなかった。無理もない。戦争は彼らの国内の差し迫った現実であり、太平洋のかなたのアメリカはあまりにも遠い未知の国だった。

前近代的な農業国家には、地球の反対側に位置する世界最大の軍事超大国アメリカの基礎的な情報すら欠乏していた。これまでに接した経験もない。人的なつながりも弱かったのだろう。
だから、毎日の空爆で同胞が無慚に殺戮されている、圧倒的な現場感情からの発想に偏るのも無理はなかった。民族の存亡がかかっているから、余裕もない。
アメリカがサイゴン政府を応援する意図が、かつての宗主国フランスの植民地主義とどう違うのか。多くのベトナム人にとっては、その区別すらも理解できなかっただろう。しかも今度の敵は、フランスをはるかにしのぐ強大な地球規模の軍事超大国だ。
ベトナム民族に、なぜこんな不幸な運命が降って湧いたのだろう。地政学的な分析だけでは納得できない。

かくして互いに相手の意図と目的を読み違え、その実像はほとんど見えていなかったし、敵手の立場を忖度しようというセンスもなかったのだろう。勢い、望まない殺戮だけがエスカレートする。

そしてこの間に、大規模な軍事衝突を回避する機会を、うんざりするほど何回も取り逃がしてもいた!

つまるところ、本来はお互いに命を懸けて殺しあわなければならないような「敵」ですらなかったのだという、まったくもって気の抜けるような、恐るべき事実が明らかになる。

これは第3者として読んでいても、とてもつらい。あの膨大な命の犠牲は、一体全体なんのためだったのか。

互いに全面的な武力対決を回避しようとしていたにも拘わらず、65年の「トンキン湾事件」「プレイク攻撃」をアメリカは北ベトナムの国家としての軍事的意志の表れと誤解した。
ところが事実は、現場指揮官の命令による、あくまで現場的な軍事行動に過ぎなかったことがこの対談で初めて判明。今頃知ってもどうにもならないが。
北ベトナムは、当時のアメリカほど中央集中の管理体制が行き届いた軍事国家ですらなかった。しかし、アメリカもハノイの内情がさっぱりわかっていなかった。相手の力を誇大に妄想していた。信じがたい判断ミスだ。
まるでコンピューターが石つぶてを投げられて、物理的な機能マヒに陥ったような様相だった。

本書では明示されていないが、更に疑わしいのは、「安全地帯」に潜みながら、実は戦争を待望していた者(勢力)もいたらしい、ということだろう。私にはそう思える。

こののち、アメリカの報復としての「北爆」が始まり、やがて地上軍が投入され、全面的な直接対決に入る。戦闘は後戻りのできない泥沼にのめり込んで行った。
量的には第2次大戦で全ヨーロッパに投下した以上の爆弾が、あの狭い国土に投下されたというのだから、その破壊の凄まじさが想像できよう。にもかかわらず北ベトナムは耐え抜いた。

そもそも大部分が典型的なアジア的農村地帯への爆撃の効果には、限界があったようだ。
社会インフラの貧弱さが、皮肉にも空爆の威力を限定した。

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その一方、アメリカは65年2月から67年4月までなんとか都合41回にもわたる様々な和平交渉の打診を試みたが、北ベトナムはそれを米軍の軍事行動の拡大を偽装するための「プロパガンダ」の一環と疑っていた。そのようにしか見えなかった。
むしろ、交渉の大事なところで運命の神に見放されたようなアメリカ軍自身の誤作動もあって、和平交渉の真実性を担保できなかった。本音は北ベトナムを地上から抹殺しようとしているかに見えた。
ここには、マクナマラの「合理主義」ですら変えようも無い運命の「悪循環」が垣間見える。

日本に投下された原爆もそうだと思うが、パイロットには落とされた現場の地獄絵図が見えない。爆弾を投下する者と、その破壊力に圧殺される者との現場感覚の差は、武器がハイ・テク化するほどに拡大してゆく。最近では無人爆撃機が開発され、その残虐さがますますエスカレートしている。
こんなことは、もうやめるべきだ。なまみの人間の実感から発する平和への願いを最大限に尊重すべきだと思う。

映画「第三の男」の有名なシーンに、ハリー・ライムが親友マーチンスに殺人の哲学を述べる部分がある。観覧車から地上を望んで「点」にしか見えない人間を殺すことに、どんな罪があるのかと問う場面。
それは、いかなる理由であれ、空爆を正当化する国家の欺瞞性への根源的な批判なのだった。そんな「正義」になぜオレを罰する資格があるのか、という居直りだった。
1949年の時点で、この主張が多くの人々の心に響いたのは、悲惨な戦争の直後だったからではないだろうか。

肉体をぶつけ合う古典的な武力衝突には、互いに生の実感があった。
だから「熊谷直実と平敦盛」のような話も生まれる余地があった。相互の心身の「痛み」を直接実感しやすかった。
しかし現在の戦争の残酷さは、殺戮が抽象化されたぶん、生の実感が希薄になっている。皮肉なことだが、科学技術の発展に比例して殺戮の酷さが飛躍的に増大された、と言える。

もはや戦争を正当化する「正義」など国家にはない。
一体全体、人類は「発展」など、しているのだろうか。
ますます残酷になっているのではないだろうか。

交渉におけるアメリカ側のアプローチの仕方も拙劣だった。
直接対話のルートが開けないため、基本的には「仲介者」交渉でしかなかったのだ。互いの意思疎通のルートが、これほど貧弱だったことも失敗の一因。その上に大事な局面での不思議なほどの行き違いや、不測の誤作動もしばしば重なったわけだ。まるで悪魔の書いたシナリオ通りに、仲よく手をつないで地獄に転がり落ちていったかのようにすら見える。
恐ろしい運命だ。

そもそも、アメリカは3000年にわたるベトナムの歴史からの発想を認識できていなかった。ベトナム人の思考様式や文化に対する理解が、ハナから決定的に欠落していたからでもあった。
ハノイの共産主義プロパガンダや政治的発言の背景に意図された、微妙なメッセージをまったく読み取れなかった。和平へのシグナルはいくつもあったのだ。

アメリカ人自身、ヨーロッパ中心の世界観からして、もともとベトナムの存在にはまったく無頓着だったようだ。若いアメリカの、身の丈を超えた責任に押し潰されてしまった感もある。

ホー・チ・ミンは独立当初、植民地支配から独立し建国したアメリカに一定の期待を持ってメッセージを何回も送ったが、トルーマンはこの「アジアの弱小国」をまったく相手にもしていなかった。
無視というよりは、そもそも眼中にすらなかった、ということが真相に近いようだ。地球規模の軍事力を持ちながら、世界認識はあまりにも幼稚だった。
単純な「冷戦構造」が思考を麻痺させていた。
実は日本への原爆投下も、戦後の東西冷戦における主導権争いの意図が見え隠れする。

「・・・・・我々は直接話し合わず、お互いを根本的に誤解し、仲介人に頼りすぎた。そして比較的低いレヴェルの政府当局者がそれぞれの指導部を代表し、成り行きまかせの接触を繰り返したのである・・・・・」(同書503項)
「・・・・・最大の敵━━ベトナム戦争が生んだ苦悩の根本原因━━は相互の無知であり、ワシントンとハノイが相手の考えを見抜けなかったことにある・・・・・」(同604項)

今更ながら、なんという愚かな総括だろう。

そしてそれは、何も過去のベトナム戦争に限った話ではないことに気付く。ソ連のアフガン侵略、アメリカのイラク戦争、アフガン介入、中東紛争など、どれもこれもまともな結果を生んではない。にもかかわらず紛争やテロの総量は拡大傾向だという。そして史上かつてない規模の大量難民の発生が世界を揺るがす。
むしろ21世紀の今日の時点でこそ、この作品を読むべきだと思った。

最近にわかに騒がしいアジア・太平洋の国際環境。果てしないアフリカの内戦、ウクライナとロシアの紛争、ガザ侵攻、イスラム国の凄惨なテロなど、いまだに血みどろの殺戮におびえ、苦しむ世界。
そこにベトナム戦争の教訓は生かされないのだろうか。
マクナマラが人生の最後で、恥も外聞もなく登場した意図は、まさにそこにあるのだろうと思う。

多くの責任ある立場の人物がそうしているように、何もしないで口をつぐんで死んでしまえば、それで済んでしまった事柄かもしれない。
しかし、マクナマラは一人の人間として歴史に対する「責任」と「誠意」を残したといえる。勇気がなければできないことだろう。
そこには、多くの若者を「無駄に」死なせたことへの斬鬼の念があったのではないだろうか。人間としてさぞ苦しんだろうとも思う。

もう二度と自分たちの起こしたような悲惨な失敗を、人類が繰り返しえてはならない、という切なる悲願が全編に滲み出ている。
この叫びは、正面から受け止めるべきだと思う。

まさに「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」のだ。

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先の大戦の日本側指導者には、こうした誠意ある人物はほとんど出なかった。
むしろ、敗戦後も反省はおろか厚かましく居直って、権力の側に生き延び続けた連中が多かったのではないか。これが「武士道の国柄」だろうか。

だから未だにアジアであまり信用がないのだと思う。本当に「反省し」「お詫び」しているとは思われていない。難しい話ではない。誠意がないからだと思う。

学生時代に、アジアの留学生たちの日本に対する厳しい本音を何回も直に聞いた。普段は言わない辛辣な日本批判が多かったと記憶する。「日本人は、金儲けしか考えない」と。今の中国人にあてはまらないだろうか。人間として浅ましい印象を与えるのだろう。
現今のアジア・太平洋地域の険しい国際関係を、一人の日本人として、冷静に見つめ、複眼的に考えるためにも、恰好の著作に違いない。
貴重な歴史書だと思った。